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【MEN 同じ顔の男たち】キリスト教ノリについて。


登場人物

ハーパー 主人公、気が強く優しい女性、ジェームズ(夫)が別れたら自殺すると言って脅して、離婚できない。だが、殴られた事をきっかけに夫を部屋から追い出す。

数分後、夫が上の階から落ちてきて、落下死する直前の夫と目が合ってしまう。夫が上の階のバルコニーから、部屋に入ってこようとしたのか自殺する為に飛び降りたのか分からない。

庭の柵に腕が串刺しになって裂けていたり、酷い死に方をしているのを見てトラウマになる。
心を癒す為に、自然豊かなカントリーハウスへ旅行に行く。

ジェームズ 主人公の旦那 別れるなら自殺すると宣言し、別れられないようにする。ハーパーが友人に自分の悪口を言ってるんじゃないかと勘繰り、携帯のロックを解くように


※村の住人は全て同じ顔をしている。

ジェフリー お節介で冗談好きな村の住人、悪意無くセクハラをしてくる。

祭司 村の住人、詩的なセクハラをしてくる。ジェームズの味方をしてハーパーを人殺し扱いする。

子供 村の住人、挨拶の様にハーパーを罵倒する、かくれんぼをしてくれないとキレる。

金色の全裸男 村の住人、ストーカー、神秘的な存在。


シーン紹介と解釈


田舎へ癒されにきたハーパー。予約していたカントリーハウスにつく。庭になっていた林檎を食べる。

屋敷を訪ねると、宿の主人(ジェフリー)に出会う。

ハーパーが勝手にリンゴを食べたことを知ると、怒ったフリをして、冗談を言う。

ジェフリー「林檎泥棒はダメですよ、だって禁断の果実ですよ。」(キリスト教ノリ

部屋を紹介してくれるジェフリー

女性は流すものにご注意、浄化装置に限界がある。(生理イジり)

ジェフリー「ご主人は?」

ハーパーが離婚を仄めかす。

ジェフリー「失言でした。」といって謝る。

お節介で冗談好き、ハラスメントを悪気なく習慣的に行ってしまう、田舎者という印象。


ハーパーは友達と電話して励ましてもらう。


ハーパーは気分転換に森へ散歩をしにいく。雄大な自然に癒される。

廃線になったレールが山にあり、トンネルに入る。声が反響するのを使い、声の高さを変えて一人でハモる。

トンネルの向こうから男が走って追いかけてくる。

引き返して逃げるが、変な道に入ると埋め立てられたトンネル道に行き着いてしまう。

行き止まりで男を待つ訳にもいかないので、道のない山の斜面を無理矢理登ると、集落の廃墟につく。

廃墟を出て広大な野原に出ると安心して、写真を撮った。写真に何かが写り込んでいるのを見つける。

カメラから目を離して前を見ると、追いかけてきた男は、金色の全裸おじさんだった。

怯えて、家まで逃げ帰るハーパー。

仕事の電話をしていたら、窓の後ろから全裸金色のおじさんが庭に入ってくる。

友達と電話をしながらルームツアーをしている時に、ギリギリバレない様にチラチラ映り込む。シュールな映像。

綺麗な庭を友達に見せようとカメラを向けると、金色全裸おじさんが、庭のリンゴを食べているのを見つけて恐怖する。

警察を呼ぶと、比較的すぐに到着し捕獲してくれたが、金色全裸おじさんを迷い込んだ浮浪者、無害な存在だと思っているので緊迫感が無い。


気晴らしに近くの教会へ行くハーパー。ステンドグラス越しの自然光が凄く綺麗。死んでしまうと知っていたなら、自分を殴ったジェームズの罪をあんなに責めなかったと罪悪感と後悔に苦しみ、教会で思い出して激しく泣く。

外に出ると、マリリンモンローのお面を被った子供にクソ女とカジュアルに罵倒される。

お面の意味 (アンディウォーホール。一点物として価値を持っていた芸術品を、大量生産可能な物にする。マリリンモンローという実際の人物の顔を書いた作品を工業製品の様にシステマチックに大量生産して売った。村の住民が同じ顔であることの隠喩)

お面を外した子供の顔が不自然な程老けている。

司祭が現れ、彼は問題がある子だから理解してと我慢するように言われる。

司祭はハーパーが教会で泣いているのを見た、あなたが苦しみから解放されるには人から理解されることが必要だといって、ハーパーに苦しみを告白するよう促す。

ハーパーが、夫が死んだ経緯をはなす。

ハーパー「上の会からバルコニーを伝って、部屋に入ろうとして足を滑らせたのか、自殺したのか。そして、落ちる時に私を見てた。その時ジェームズは何を思っていたのか。その事に囚われているんです。」

司祭「なぜ彼を死に追いやったのか?謝罪する機会を与えたか?」とハーパーを責めてくる。


(何かの隠喩としての演出)

目をくり抜かれた鹿に綿毛が入る。ウジが湧いて鹿の体が分解されていく。(生命のサイクル)

金色の全裸男が額に葉を刺す。(神秘的な存在)

(本編)

ストレスの溜まったハーパーが酒を飲みにバーへいく。

ジェフリーがいて、断っても無理矢理奢ってくる。(男が女に奢らないのは恥だという考えは、紳士的だとも取れるが)

警察が来て、ジェフリーに話す。

警察「そういえばハーパーさんが泊まっている、お前の宿に不審者が来た、全裸の男だ。」

ジェフリー「えぇっ、こっそりお楽しみ?」(共感性が低く、犯罪被害者を冗談でからかう。)

ハーパー「まぁ大丈夫です。警察に捕まえてもらったので。」(不快だけど、我慢して流す。)

警察「でも、一時間前に釈放した。特に罪状がない。」

ハーパー「ストーカーだと言いましたよね?山から家まで追いかけてきたって。」

警察「それはあんたが、二回見ただけだ。向こうは一度目かもしれない。もう一度見たら教えてくれ。」(ストーカー被害を本気にせず、まともに取り合ってくれない。)

犯罪者に甘すぎる対応に怒って、バーから宿泊先のカントリーハウスに帰る。

友人に今日の愚痴を話す。

友人「私も今から車を飛ばしてカントリーハウスに向かう。次に不審者が来たら、斧でやっつけてあげる。」

ハーパーは少し安心する。

庭を見ると警官がいる、話しかけても何も答えない。庭の照明が消えて、外が一瞬真っ暗になり、明るくなると目の前から警官が消えている。

林檎が沢山落ちる。警官が制服を脱いで、走ってくる。

カントリーハウスに逃げ帰る。

ドアが開くと、ジェフリーが助けに来る。

ジェフリーが庭を見回ってくれると言い、それに恐る恐る着いていくハーパー。

庭の照明が消えると突然ジェフリーが消えて、金色の全裸男が現れる。

金色の全裸男がハーパーに、タンポポの綿毛を飛ばしてくる。精子の隠喩?これまであった嫌な記憶が、全てフラッシュバックする。

ハーパーは、また庭からカントリーハウスに逃げ帰る。

何者かが、郵便受けから手を出してくる。謎の腕に護身用のナイフを刺すと、刺されたナイフがつっかえて郵便受けから手が抜けなくなる。手の主は無理やり抜こうとして、腕が真っ二つに裂ける。


逃げた先のサンルームに、顔の老けた少年がいる、僕を傷つけたと言って裂けた腕を見せてくる。(腕を刺したのは主人公だが、裂けたのは自分のせい。)

階段を登って、最上階の浴室に逃げる。

ドアが開いて、手の裂けた司祭が現れる。

司祭が詩的な言葉で、ハーパーで淫らな妄想をしたと話してくる。

それがお前のエロス資産であり、支配力だと言いながら、誘惑されたから仕方ないと被害者面をして、ハーパーを襲う。

裂けた片腕の裂け目に首を押し付けられ、2.5本指で両肩を掴まれ、壁に押し付けられる。

ハーパーは護身用のナイフで司祭を刺して、逃げる。

そのまま庭に出て車に乗り、この村を離れようとする。

すると、途中で消えていたジェフリーを轢いてしまう。

ジェフリーがブチギレて、車のドアを開け髪を引っ張って外に出され、引き倒される。

車を奪われる。ジェフリーが車で轢き返そうとしてくる。(そもそも身体的性差がある非対称な関係なのに、男女平等パンチを正義だと主張する的外れな意見に対する批判?)

金色の全裸おじさんが出てくる。顔から発芽している。

金色の全裸おじさんが、笑いながら出産する。

金色の全裸おじさんから、同じ顔の小さい全裸のおじさんが出てくる。

その小さい全裸おじさんも叫んで倒れ、腹が膨れてくる。

そしてその大きくなったお腹からまた、同じ顔の青年が出てくる。

その同じ顔の男も、また同じ顔の男(中年男性)を産む。


最後に産まれた住民の口から、足が出てきてジェームズが出てくる。(逆子)


産まれたてのジェームズ(姿は大人)が普通に歩き出し、ソファーに座ってハーパーを責める。

ジェームズ「腕が裂けて、肺が潰れ、死んでしまったのも全部君のせいだ。」

ハーパー「ジェームズ私に何を求めてるの?」

ジェームズ「愛だよ。」

ハーパー「そっか。」(諦めた顔で)

斧を掴む。

(シーンが移り、友人の視点になる。)

朝が来て友達が着き、凄惨な現場から悪夢の様な出来事が全て現実だったと分かる。

街を覆っていた曇り空は晴れ渡り、青空が広がっている。

庭の階段に座って黄昏るハーパー、かつては愛していた夫に対する、少しの喪失感を噛み締めた。

(エンディング)

冒頭とエンディングに流れる挿入歌の歌詞が、ハーパーが再び希望を持って歩み初める今後を示唆しています。

歌詞全体の意味を端的に言えば、目を覚まして自由は大切だ、誰にも縛られる事なく自分で判断し、真実の愛を探しましょうという事です。

込められたメッセージ

無償の愛というキリスト教ノリの否定。

愛は、無償の奉仕(感情労働)を要求する際に、都合の良い言葉として、現在その価値を貶められている。


瘡蓋を何度も剥がしては、生々しい傷跡を弄りその様を見せつけ、その行為を否定すると相手を加害者に仕立てて、悲劇の主人公気分を愉しむジェームズ。

このまま退廃的な気分に酔いしれたジェームズの要求通り、ケア要因として、母性という名の無償の愛を搾取され続ける生活に嫌気がさし、逃れようとするが、ジェームズはどこまでも追いかけてくる。

それでも諦めず友人の助言通り、実際に斧を振り下ろし、男に明確な否定を示し、完全に過去を断ち切る事に成功する。

映画内で、男性が女性に対して何度も無意識の内にハラスメントを繰り返す描写が出てくる。

これを考える為に、バロンコーエンの自閉症(共感能力の欠如)に関して提案している概念である「極端な男性脳仮説」を採用する。

男性にも共感能力が高い個体は存在するので、悪戯に分断を煽る差別的な論調を避ける為に、男性脳を認知脳、女性脳を社会脳と、バロンコーエン風に定義します。あくまでもここでの男性、女性という表現は、統計的な偏差に基づく雑な分類に過ぎません。

認知脳と社会脳のシーソーゲームによって、実社会の秩序が保たれているのですから、その能力に上下はありません。

しかし、社会脳(女性脳)の能力は資本主義社会の中で資本に換算されにくく、なっています。

むしろ他人の気持ちに共感せず、搾取構造の上に成り立つ構造を作って儲ける、システマチックな思考に偏った共感性を欠如したサイコパシーの高い人格の方が、有利に働く場合もあります。

男性脳に偏りシステマチックな合理性だけで動く社会に移行する事は、上位数%の優れた認知脳の持ち主が富を独占し、劣っているから貧しいとされ、ケアや相互補助のシステムが破壊されれば、社会全体の幸福度を下げてしまいます。

システマチックな能力と共感の能力は、相補完的な関係にあります。もっと男性脳が悲しみに寄りそう、女性脳(社会脳)という社会的な能力(公共性の高さ、利他的行動)に対する評価を、男性脳(認知脳)並に高く設定するべきだと感じました。

同じ顔の男たちは、論理によって形作られる人格には多様性がないという事です。

キリスト教ノリというのは、見返りを求めるのは本当の愛じゃないっしょ。みたいな、やりがい搾取の様な狡いロジックの事です。

キリスト教ノリで、女性脳(社会脳)の能力の恩恵を受ける事を当たり前だと思わず、何らかの形で受けた恩を返すべきです。

自称サイコパスの、フリーライダーはカッコ悪いから辞めましょう。

思想的な価値だけではなく、音楽と映像の美しさが、グロテスクさを際立たさせている傑作ホラー映画でした。

挿入歌 LOVE SONG エルトン•ジョン 

愛は扉を開く

愛は私たちが回さなければならない鍵です

真実は私たちが燃やさなければならない炎です

自由は私たちが学ばなければならない教訓です

私が何を意味するかわかりますか

あなたの目は本当に見ましたか

愛は扉を開く

私たちがここに来たのは愛です

誰もあなたにこれ以上提供できない

私が何を意味するかわかりますか

あなたの目は本当に見たことがありますか...

エルトンジョン 和訳抜粋

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