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【AbemaNews】中核派の議連長は頑張っていた。

動画内で永遠と繰り返された、なぜ暴力という表現を使うのか?という問題について扱いたいと思います。

先ず、暴力の定義や、暴力という表現の使用に対する是非は、本質的な問題ではありません。

なので、中核派の議連長が質問に対する回答力が欠如していた訳ではありません。寧ろパネラー側の質問が、本質的でない、全く無意義で瑣末な定義に拘り進行を妨げていました。


中核派側の主張は、正当な目的の為の手段(暴力)は肯定されるという事に過ぎません。
これは、警察権力が治安維持の為に行う暴力が正当化されるのと同じ理論です。

警察が銃を携帯するのは暴力の肯定だという主張は通りません。治安維持という正当な目的の為の手段(暴力)ですよね。

ですから、目的の正当性を問う事が本質的な問題なのです。中核派の議連長は寧ろ、質問に対して真摯に答えようとしています。


田村淳さんが、「イジメという暴力で傷ついた子供達と対話した後に、何であっても暴力を肯定する事は出来ない。」と仰っていましたが、イジメを罰する警察権力もまた暴力なのです。

勿論それは露悪的な表現で、普通それを暴力とは表現しないでしょう。
しかし、その前に動画内で、物理的•精神的危害を加える事が広義の意味での暴力だと定義したのですから、それに則って話すべきです。

言葉の定義は本来その目的によっても変化します。動画でも言及されていた様に、暴力であっても、その目的によっては、正当防衛と呼ばれ罰せられない事もあります。


暴力という表現を使うと人を集め難いという論点

自称お人好しの人が、私の様な人はデモに参加してあげたいと思うけど暴力などと謳っていると参加し辛くなるので、暴力という表現は辞めた方がいいと仰っていました。

しかし、それは一個人の意見でしかありません。短期的な目標としては、最終的には、暴力を振るわれる/振るう覚悟のある強い意志を共有した大規模デモ隊を結成することが、目的なので軽い気持ちで来る人は弾いた方がよく、流入する必要がありません。

出来れば、数の威圧(デモンストレーション)という精神的暴力だけで解決したいが、それはおそらく不可能だと考えているので、物理的な暴力を振るう/振るわれる覚悟のある人間を多数集めるという主張は、目的の是非を問わないなら間違ったものとは言えません。

実際に参入障壁の高い条件で約100人もの構成員を集めていることから、暴力というセンセーショナルでインパクトの強い表現はコピーライトとして一定の成功を収めています。

もちろん通俗道徳的に暴力という言葉を使って人を集めるのは法治国家内のモラルとしておかしいという主張がある事も分かります。

しかし、それは評価経済で宝くじに当たった、成功者(資本家)側に有利な理想論です。
そもそもAbemaNewsのこの取材企画自体が、中核派という暴力を謳った過激な団体を番組に起用すれば、インプレッションを稼げるという打算も込みで企画されたものの筈です。

もし、中核派を名乗らず牧歌的な広告表現しか使用せず過激なデモを行わない団体であれば、注目も集まらず、取材も来なかった可能性もあります。

「暴力」でなぜ解決したいのか?←そもそも議連長は暴力で解決したいとは言っていない。

議連長の主張として、暴力というコピーライトを使うことに拘っているのは事実ですが、暴力それ自体を目的としている訳ではないというものです。この主張に、論理的に間違っている部分はないと思います。


孫辰洋氏の発言 世襲制が気に食わないのか?それとも世襲制によって何か問題があるのか?

議連長の回答世襲制によって民主主義でなく実質的な独裁になっている。←言い過ぎ。


貴方が望む社会について具体的に述べて下さい←社会という抽象的で広いテーマについて具体的に述べるのは難しい。


孫辰洋氏の発言 貴方の理想通りに資本家が死にました。それでどうなんですか?(どういう社会を理想としているのか?)←資本家に死んで欲しいというのは、出来れば物理的な暴力を使用したくないというのが議連長の主張なので、ミスリーディング。


議連長の回答 衣食住が過剰生産されているのに、飢えた人がいる社会に対する疑問とそれの改善を求めるのが理想。←これを達成する為に企業の国有化が最適な手段なのか、などの具体的な議論に進んで欲しかった。



因みに私は政治思想として、中核派ではありませんが、話が通じない等の意見は、正確な事実では無い誹謗中傷であり良くないと思います。矢嶋さんは議論を深めようと頑張っていました。またそれとは別に、各論として議連長である矢嶋さんがSNSで行った皇族に対して加害を仄めかす表現については、問題があると思います。

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