【PCR検査という通貨儀礼】(コロナ禍の演劇2021) 第10話
2月も末日、自宅にPCR検査キッドが届いた。
「演劇は、罪なのか」
小型の段ボール箱のソレは厳重に仰々しく包まれていたが、開けると小学生の時に見た学研の知育玩具キッドみたいに拍子抜けした検査回収具が、一式揃って入っていた。
不謹慎にも
「免罪符」という言葉が浮かんだ。
ルネサンスも末期の頃、神からの罪を許される護魔符みたいなものを教会が売ったらバズって大儲けしちゃってルターの宗教改革のキッカケになったアレだ。
回収するは
テレビCMでも見た名前の会社だ。
検査結果で役者が一人でも陽性だったら「公演は中止」という恐ろしさもあり
届いても、しばらく居間に置いたままだった。
「必ず、明日までに切手を貼ってポストに入れてください」
と制作の三國屋さんからグループLINEで念を押されていた。
やっと、開けた。
説明書を読み、水色のおもちゃみたいな小さな漏斗に唇を当て唾を目盛りのラインまでプラスチックの小さな瓶にいれる。
唾、そんなに出せない。
そこに別の容器から保存液を足し混ぜシッカリ蓋を閉め、採取日書き込み、自分の名前とバーコードの印刷されたシールを貼り、漏れた場合用の吸水シートを巻き、そのまた周りの断衝材のプチプチでさらに保護し、同封されていたメルカリの搬送用び組み立て段ボールみたいな小箱を作り、唾液の入った厳重な小包みを入れ、渋谷の宛先シールを貼り、出来あがった。
その物々しさったら、
冷ややかに笑えた。
「ツバで、罪が許される(かもしれない)」
僕の妄想も加速した。
コロナで起きた本性こそ「罪」の始まりなのかもしれない。
今の資本第一主義経済は、ユダヤ人の金貸しの「利息という発明」が発端だ。
神の楽園を追われた罪深き人間たちへ「神の罰としての労働」という考え方に、
貨幣の「利息」という「労働(罰)からの解放という発明」が人類を発展させた。「利息」という「期待への妄想」が人類を新たなステージに引き上げた。
アレよアレよと(お金に罪はないけれど)
これが世にハマり拡大急成長して、大航海時代へと発展し植民地を広げれば加速した繁栄と貧富の差を持たらし、恐慌をやらかし大戦争もやってのけ資本経済へ繁栄と更なるマクロの進化と謳歌をしたけどリーマンショックに泡とハジけて、さらに虚をつくコロナ恐怖で世界経済はもっと閉塞しているという末世に至った。
「利息の妄想だけが膨れ上がり膨張した、空っぽの理想へ」と
そもそも「罪」という言葉が西洋の考え方っぽくてキナ臭いのは人間がもともと罪を背負い、神から罰を受けて生かされているという、罰当たりな僕には今だピンときていないところに端を発しているからだ。だいたい稲作文化には「働かずに生きるため」の利息なんて嗜好はない。
実りを願い作り収穫を祝う、
「土地と共に生きる」だけだ。
演劇は、罪なのだろうか
まるで「通貨」儀礼だ。
PCR検査の結果がコロナ陽性じゃないから公演が許されるという免罪符を僕たちは買っているのか。
しかも検査法が
ツバを吐いて審判を問う、とは
なんとも皮肉で背徳的だ。
罪と罰(ドストエフスキー)
ツバとバツ(回文)
それしても
生きていくための人間の条件がこうも色々と翻弄されていくことに、
氷河期の恐竜よりはマシだろうと、思うしかない
311の震災もあった。あれから10年目も、さらにコロリとコロナで世の中が変わっていくのを目の当たりにしているのは確かなことだ。僕らはそんな中で更にたくましく、したたかに生きるしかない。
切手220円分、梱包された検査キッドに貼って赤い郵便ポストに入れた。
あとは検査の結果を待つ。
シバイハ戦ウ。
【コロナ禍の演劇シリーズ】
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【公演終了しました。ありがとうございました!TAKI 】
「 シバイハ戦ウ 」
2021/03/12(金)~03/14(日)
@中野あくとれ
作+演出=吉田テツタ
キャスト(五十音順)
池田ヒトシ
瀧下涼
日暮玩具
山口雅義
僕のnoteへのスキとフォロー、そしてコメント…ほんと有難うございます!ゆっくりマイペースですか全て目を通しております。
精進、誠意を込めて、ここに描き記したいです
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