主人公がぼくのコートを探していた。 読書記録⑤挾み撃ち 後藤明生
ある日のことである。
ぼくは一軒の本屋のことを思い出した。
浦和PARCO「今日からの暮らし」という催しに出展していた川越の本屋である。
とがった本ばかり売っていた。
古本も新刊もリトルプレスも大量にたずさえている。新刊は利益が少ないらしい。イベントでこんなにたくさん新刊を並べるのは「ばかのやることですよ」と言っていた。
ぼくの実家はさいたま市と川越市の境目にある。その街には家族で営むおいしいカレー屋さんがあり、実家のメンバーと食べる。母が新体操、父が空手の経験者という点が共通している。
小学校入りたての娘さんがいる。うちに遊びに来たとき、僕のとっちらかった部屋を見て、
「……ほしいものがすぐとりだせるね!」
もう気がつかえる。
それにしてもあまりに美味しいミールズ。週替わりでカレーが違う。その日は「スパイシーラムすじカレー」と「アサリとトマトのキーマ」を頼む。
満腹になったところで、本屋さんを思い出す。今ぼくは川口に住んでいるのでだいぶ足重になっていた。今日がチャンス。
「じゃね」と実家のメンバーにとつぜん別れを告げ、コートに手を通す。
「あ、帰る?わお、かわいいコートだね」
お気に入りのコートなのだ。
川越駅から東武東上線に乗り換え、霞ヶ関で降りる。
駅名も仰々しいしはじめて降りるしで、なんだかそわそわしたが、川口に似た雰囲気があり、たてなおす。カレー屋さんがたくさんあるが、今日は目もくれない。
川越の夜ははやい。
もう日も落ちてきてたいていの店はシャッターを閉めている。
20分ほどシャッターに挾まれ不安になりながら商店街を歩く。と、見えてきた。
複合施設?MIBUNKAの一角にあった。
MIBUNKAのことは今回はよく分からなかったが、なんかいいかんじそう。
いずれにせよ入店、天国!!
大量のリトルプレス、文学、哲学、、、どの本にも一期一会を感じてしまうどんぴしゃのラインナップ。
そして、ピックアップされている棚が、
「後藤明生」
とがりすぎだ!
ぼくもあまり詳しくないが、古井由吉や阿部昭と同じ内向の世代の作家。
そのなかでも一風というか一味というか一際かわった作家である。
大学の友人に勧められた「蜂アカデミーへの報告」はまさに奇本で、エッセイの皮を被った乱書きのような、『白鯨』を思わせる文学作品。
まあ、ようわからん。
ようわからんのだが、けっきょくとりこになってしまい、所属する高校の図書館に入れてもらったり定期テストに出題したりしている。
好き勝手、である。
ただ本屋ではなかなかお目にかかれない。どこにいっても在庫なしが常である。
その後藤明生がひと棚まるまる!
そんなことあるかいな、と思いつつ、購入。
『挟み撃ち』、読みそこなっていたのだ!
レジを通すと、店主さん(以後ホォルさん)が話してくれた。
「『挾み撃ち』ですね、変な話です。主人公が昔着てた外套、コートを探すんですけど、あ、ぼくも前そのルートを歩いてみて、川口とか蕨のほうに……」
ーぼく、住んでます。
「あ、そうなんですね。当時とは地図も変わったりしていて、、みたいな話をこの『代わりに読む人』創刊号に寄稿したんです』
寄稿!ホォルさん、おもしろい。聞くとこの雑誌は「創刊準備号」も「創刊号」も小特集が後藤明生らしい。変。
「後藤明生お好きなんですか」
ー少しだけ。『蜂アカデミー』おもしろくて図書館に入れちゃいました。ああ、高校で国語教えてるんです。
「『蜂アカデミーへの報告』読まれたんですね、ほら、この雑誌の特集でもpanpanyaさんが『蜂』を読んだエッセイ漫画が、、」
ーください。
とかなんとか、たくさん本を買ってしまった。
聞くと、哲学科卒だったり、男子校卒だったり、奇妙な偶然の一致が重なる本屋だった。
家に帰って雑誌を読んで驚いた。ホォルさん、同い年だ。
奇妙な出会い(哲学科卒は屋内にいることが多く、街で出会うことは、そう無い)におもしろがりつつ、いよいよ『挾み撃ち』をひらく。
ひらいて、息を失った。
主人公が探す「カーキ色の旧陸軍歩兵用外套」が、まさにその日ぼくが着ていたコートだったのだ。
主人公が自分と同じユニクロのウルトラライトダウンを着ていたって驚くじゃないか。
この偶然よ。
読み進むめると、ぼくが出た高校が出てきたり、この前行ったお茶の水のニコライ堂に差し掛かったり、奇妙な一致があまりにおおい。
そもそも主人公が立ち止まり思索を開始する橋は、御茶ノ水での浪人時代に何度も渡った(名前は知らない)橋だ。
なんだか妙な気持ちのまま本を閉じた。
戦時から後藤明生の時代から今、後藤明生の出身地である北朝鮮から川越からここ、空想から小説から現実、あらゆる次元のあらゆる方向から、とつぜん挾み撃ちされてしまった。
とりいそぎホォルさんに報告すると、
「なんとまあ、すごい偶然ですね!主人公の外套への執着が横山さんに『挾み撃ち』を手に取らせたのだろうか…」
手に取らせたのだろうな…と思う。
個の読書体験としてこのうえない連続でした。
また行かなきゃ。