場数を踏むという解決法

仕事や何かをやってみる時に、自分の不甲斐無さに情けなくなったり、穴があったら飛び込みたくなるような赤っ恥をかいたりすることがある。そうでなくても、どうしても上手くなりたいことがあったりすることもあるだろう。

そういう時に、場数を踏んでいくという解決法がある。

回数を重ねないと解決しないこと

はある。百聞は一見にしかずだし、一見だけだとそれが通常通りなのかイレギュラーなのかは判断できない。また見ることと自分が実際にやることは別物だ。

自分主導で2-3回やるだけでは、全体を円滑に運ぶには少ない。面接、プレゼン、勉強、料理、語学、運転、引越し、ゲーム、どれも上手くなるにはそれなりの回数が必要だ。

ゲームはやり込まないと上手くならないのはみんなわかっているのに、どうして仕事/勉強とかはやり込む前に「自分には適性がないから、センスがないから、頭が悪いから、性格が合わないから」と理由をつけて諦めるのだろう。

たくさんやってみないとどうなるかわからないし、そもそも世の中の多くのことは凡人が出来ることで溢れている。「凡人だから出来ない」というのはおかしい。


毎回、できる限りのことをする

場数を踏めば誰でも自然と上達するわけではない

その時その時でよく考え出来ることを最大限やって、一番いい結果を出すことを目指す。もちろんこれは簡単ではないし、毎回非常に苦痛を伴う。辛い、大変、もう辞めたい、全然上達しない、出来る気がしない、終わりが見えない、ストレスが半端ない。それを何とか耐え、場を踏む。そこで良いことも悪いこともある。思い出したくないトラウマが出来るかもしれない。しかしそれが自分のレベルをあげる。

最大限出来ることをやって得た結果は、次回で大いに活かされる。「次回はこうしよう」と明確にわかるのだ。


積み重ね

毎回、出来る限りをやってきたことの積み重ねである。

自分が一朝一夕で出来るようなことは誰もが少しやれば出来ることで、何かしらいいモノを望むのには全然足りない。いいモノとは、評価や昇給、生活レベルの向上、時間やお金以外にも精神的なゆとり、などである。

例えば、noteを3日連続投稿するくらいのことは、多くの人が可能だ。しかしこれを3ヶ月連続投稿するとなると、やる人は減ってくる。noteをやることでの何かしらのメリットや成果を得たい場合は、少なくとも3ヶ月くらいはやらないと何も始まらないと思う。途中で辞めたら、ちゃんとした成果が出たか出なかったかもわからない。特にメリットが金銭や他者との差別化であるならば、真面目に向き合うことをある程度の積み重ねることは不可欠である。


場数は自分でも増やせる

向き合う場数のチャンスはたくさん落ちている。それを取りにいく。試験でいうと模試みたいなもの。

「やってみるか?」と言われた挑戦は全て向き合う。例えば、勝算が低いコンテストでも参加して頑張ってみる。


まとめ

上達したいなら場数は必須。場の数は自分でもある程度コントロールできるし、その濃密さは完全に自分次第だ。もちろん成果は、各人の取り組み方次第による。

逆を言えば、今はダメでも、場を毎回向き合い、数をこなすことで上達し、それによって解決することがあるということ。

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