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身なりなんかより脳味噌を見せて。

見た目に無頓着なわけではないけれど、多分他の社会人に比べれば気にしていない方なのかもしれません。
実際様々な人から「その服やめなよ」「髪うねってるの変だよ」なんてよく言われたものです。
でも大体が「自分の好みにそぐわないから矯正してきて」って威嚇なんですよね。
(もし異臭がする、とか清潔じゃない、とか場にそぐわない、ならそういうのは言い方をこねずストレートに指摘するような人たちから言われるので)

この服は私が可愛いと思ったから着ている。
髪のうねりもとくに私には「違和感」ではない。
自分で不快に思うなら、すでにその部分はすべて直している。

だから直さずにいると「あいつは人に従うのが嫌で意地を張っている」なんて言われるわけですよ。
いくら私の「好き」や「気にならない」を伝えたところで、その「好き」が反抗心のガワにしか見えないそうで。
それにモヤモヤする日々がずっと数十年間。

実際私自身、他人の容姿に不快感をなかなか感じないんですよね。
もちろんTPOや清潔感に関しては別だけど。
「あいつの服変じゃない?」って同意を求められても「あの人髪型整えればいいのにね」と言われても、「本人が全力で『好き』を表現しているならそれは素敵なこと」にしか思えなくて。
だって他人からしたらイマイチに見える部分も、その人からすればときめきながら作ったものかもしれないし。気にならないものはどうしても気にできないし。
これを伝えるとまたヒソヒソされるわけです。

だから私、もしかすると人に興味ないのかなぁと思ってたんですよ。
でも違ったんですよね、一つだけありました。
気にしてるところ。

それはずばり、言葉。
物書きが生業なせいか、その人の書く言葉に興味があるんです。

どんな字を書くのか。
どんな言い回しをするのか。
どんな感想を抱いているのか。

見えないものにほど、惹かれる。
生み出された途端、見つけた途端、昂揚する。
それが何故かは分からないけれど。

なんせ、字や言葉にはその人の感性が見えるんですよね。
題材からは「好き」だって見える。
それを眺めるのが、楽しい。

物語を読む時の醍醐味の一つは、「この人はその脳味噌でこれを考えたのか」とひっそり思うことでもあると思います。
あくまでその人そのものを断定するのではなく、その脳味噌はこれを作ることも可能なのかってくらいですけれど。
(そういう意味では「こんなものを書くからこんなことをしたいんだな」とは思えないし、思う人は何か違うなぁとなる)

そしてそれが知っている人なら尚更なんですよね。
だから知り合いのブログとかSNSが大好きなんですよ。
「こんな感性で造るんだ」って。
写真載せるだけだとしてもその写し方でだいぶその人の個性が出るのが、見てて楽しい。
そらSNS中毒にもなるわってね。

というわけで、またぶらり。
波の隙間を縫ってくるとしましょうか。
その「好き」で作り上げられて打ち上げられたそれを探しに。

匿名コメントでも、「こんなお題で書いてよ」的なリクエストでも、人生相談でも、なんでも募集中。
基本的にはつぶやきで返信します。よろぴこちゃん!

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