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遊びって、大事じゃね?~AI時代の教育のあり方を考える~Part 4(全10回以上連載予定)

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忙しい向けの要約が目次の最後についているので、忙しい人はそこだけみてください!
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ご挨拶(いつもの)


やあ、皆さん。
私は教育業界でいわゆる塾長をしながら、
教育によってもっと子どもたちが、ひいてはその親が、
もっと心地よい人生を送っていくためにはどうしたらいいんだろうなって
考えているおじさんです。

塾長しながら、もっと今の子に必要な教育ってなんだろと悩んでたら、
「あれ?これからのAI時代、”遊び”大事じゃね?」
と、思いまして。(いきさつはPart 1をご確認ください。)

これからの社会を想像すると、
きっとAIなどに代表されるテクノロジーがどんどん進化して、
いわゆる、”仕事”で取り組むような課題解決が容易になっていき、
人はより人としての実存的な在り方と向き合う時代になるのではないかと。

その時代で大切になると思われる”遊び”という概念を調べ始めると、
「遊びスイッチ、オン!」という素敵な本と出会う。

しかし、なんとこの本の要約がないじゃないですか日本語で。

そこで、
これからの社会に必要な教育のヒントが”遊び”かもしれないというお話をしつつ、「遊びスイッチ、オン!」の要約を作る。(最終的には要約だけで1記事にしようと思います。)

という目的の連載です。

今回はパート4。この本の第二章に入っていくでガンス。

前回はですね、第一章ね。10ページくらいしかなかったのですが、
今回の第二章は、40ページくらいあんのよ、約4倍。

でね、ボリュームがめちゃくちゃ多いので、
第二章は前後半に分けます。

いやー大変っすね。要約。はい。頑張りやす。

第二章『だけど遊びって何なんだ? なぜ遊ぶんだ?』(前半)

本当は嫌なのだけど、遊びを定義してみよう

『遊びスイッチ、オン!―脳を活性化させ、そうぞう力を育む「遊び」の効果』p.23

はい。第二章はここから始まります。
私ではなく、博士の心の声ダダ漏れ状態からのスタートっす。

何でそんなに博士が遊びを定義することを嫌がっているのかというと、

遊びが、
・マージ(not merge it means "本気")で多様だから。
・前意識的、前言語的であるから。
(要は遊びは本能的原始的で言葉にするなんで美しくないのだっぃぁぁあっぁイィい!!!)

なんですね。はい。

遊びを定義するのが嫌なのは、遊びは、遊びを経験することによってのみ享受できる、美しいものであるからだ。遊びを定義するのは、まるでジョークを説明してしまっているようなものだ。

『遊びスイッチ、オン!―脳を活性化させ、そうぞう力を育む「遊び」の効果』p.23, 24

はい。なんかすみません博士すいませんほんとに。
きっとね、もう定義したり頭使ってる時点で、遊びを真に理解することは難しいのだろうと私も、察するわけです。

でもそうだとして、遊びはそんなにも美しくて、人間が享受できる素晴らしいものであるにも関わらずですよ。

それが段々、現代の社会で奪われてきてませんか?気のせい?
(こんな感じのSF好きなんですよね私、1984とかThe giver とかPSYCHO-PASS(アニメ)とか。え?お前の趣味は聞いてねえからはよ続きかけ?・・・チッ。)

要は博士は、「もう定義とかいいじゃん、やめやめ〜い」と。
「何で楽しいのかわかったら面白く無くなるかもよ?お笑いも解説されたら、おもんないやろ?ええの?」と。

でも博士が仕方なく定義したきっかけがありました。
それが、ゴリっゴリの理系集団に遊びについて講演するため
だったそうです。
(HPでお馴染みのヒューレットパッカード社向けにらしい。)

つまり、彼らのために、ある程度視覚的に体系的に見せる必要があったのです
(共に講演するパートナーのラニーさんからは、「相手は技術者。仕様書の山をむしゃむしゃ食ってそれをデータで流し込むようなやつだぞ。定義なんてないって言ったら生きたまま食われるぞ」とか言われてたのは普通にウケます。ラニーナイスキャラ。)

そして実は理系の教育を受けてきたブラウン博士は渋々(渋幕!)こう定義します。
(今の文の途中で要約上、極めて不適切な教育者ジョークがありましたが、私のことを生きたまま食べないでください。)

遊びの特性
・これといった目的はない(ただ単に遊びたいから遊ぶ)
・自分から進んでやる(義務でも強要されるものでもない)
・本質的に魅力的である(遊ぶと、とにかく楽しい)
・時間に囚われない(時間が過ぎるのを忘れてしまう)
・自意識に囚われない(どっぷり浸かってフロー状態
・気まぐれに変化する(遊び方無限大、セレンディピティ大歓迎)
・いつまでも続けていたくなる(そのために遊びが変化する)

『遊びスイッチ、オン!―脳を活性化させ、そうぞう力を育む「遊び」の効果』p.25,26 改編

ええ、こんな感じらしいんですよ。
で、私はこう思うわけですよ。

(ここから私の心の声パートです。)

遊び最強じゃね?と。
遊びが仕事になってお金稼げたらやばくね?と。
(えぇ、やっぱ塾事業なんかさっさとたたんで公園で子どもたち捕まえて遊びまくった方が・・・え?事案?・・え?通報?・・・はい。・・・はい、はい・・・。・・・塾続けます、はい。)

(私の心の声パート終わり。)

・・・ゴォホン。(脳内の何かを祓う咳払い)

でまあ他にもですね、博士は2人の学者さんのことを引き合いに出して、
遊びを定義していきますが、1人は割愛します。
(引用するための情報に乏しくて割愛です。申し訳なすび。)

割愛せずにここに召喚したい1人が、

遊びのことを研究する上では避けられない、
遊び研究の第一人者、ヨハン・ホイジンガさんでゴンス。
(きたぜビックウェーブホイジンガカワバンガ!)

それではホイジンガさんの遊びの定義に触れていきます。
(ホイジンガ大大大大大先生の名著、「ホモ・ルーデンス」は古典で読むのに苦戦するので、このまとめを見るとざっくりとつかめます。)

さて、この本『遊びスイッチ、オン!―脳を活性化させ、そうぞう力を育む「遊び」の効果』に書いてある、ホイジンガさんの遊びの定義はこうです。

ホイジンガの定義は次のようなものだ。
「遊びとは、『普段の生活』からきわめて意識的に隔離される、『不真面目』で、同時に遊びに携わる人を極めて深く夢中にさせる自由な活動のこと。物質的な興味とは無関係な行動で、そこから得られる利益は一切ない。決まったルールにのっとり、時間的、空間的に独自の境界の中で整然と行われる。遊びは、他者を締め出しがち社会的組織形成を促す」

『遊びスイッチ、オン!―脳を活性化させ、そうぞう力を育む「遊び」の効果』p.30

これは多くの点で、ブラウン博士の定義と重なっているらしい。
でも、唯一ブラウン博士が「そこは違う」と言っているのが、
「ルール」は定まっている必要はない。という点。

ここは確かに。と思う部分もある。

おそらくルールは、遊びが参加者を夢中にさせる要素の1つであって、必須ではないなとは私も感じます。
まあ結局のところ、深く考えずに、遊びは、遊んでいる当人の心の状態によるのでは?それこそフロー状態であるか否かに尽きるのでは?と。

はい、要約に戻ります。

結局のところ、私にとって、ここまで紹介してきたどの定義も、すべて言葉足らずに思える。

by ブラウン博士

きました。ブラウン博士のイヤイヤ期が戻ってきました。
その後の文章にもイヤイヤやってます感が書き連ねてあるんですが、
暇なので、オネエなブラウン博士風に意訳していくと、

(場末のおネエ風)ブラウン博士
「あたしゃね、図と表、定義をぎっしりパワポにしたら何千枚もできますのよ。ええ、でもさ、遊んでるときの感覚を抜きに真の遊びなんかわかんないのよ。ええ。それはさ、ディナーパーティーを開きつつ、ごちそうの代わりに料理の写真しかださないのとおんなじなのよ。お食事もさ、口の中に入れないとわからないでしょ?」

はい。博士が嫌がっているので、定義はそれくらいで終わりにします。

さあ!
ここで1つ、興味深い遊びの例を見ていきましょう!(急)

ホッキョクグマとカナディアンエスキモーの例

想像してみてください。
ここは北極で、あなたは犬ぞりで移動している途中で休憩することにしました。
キャンプ張ってね。ちょいキャンプから離して、そり引いてくれる犬(カナディアンエスキモー)を繋いでね。休んでいました。

ふと、その犬たちに目をやると、時期的にお腹を空かせているであろう、ホッキョクグマがピョンピョンと跳ねるように犬に近付いているではありませんか。

あなたは思うでしょう。

「あ、うちの犬食われますやん。あかん。お家帰れへん(絶望)」と。

ところがですね。犬とクマ、なんと遊び始めました。
しかも、犬は吠えもせずに、尻尾を振ってお出迎え。

「・・・え?」

ってなるわよねこれ。

しかもここから3日間連続で、ホッキョクグマは、遊んでは帰り、遊んでは帰りを繰り返したそうです。(みてる側はたまったもんじゃありません。)

博士はこの事例に対しこんなコメントを。

ひもじくとも心は満たされたクマは、自分のアザラシの狩場へと戻っていった。この二頭の中にあった、空腹や生存本能をも抑えてしまうほど強いものとはいったい何だったのだろうか。

『遊びスイッチ、オン!―脳を活性化させ、そうぞう力を育む「遊び」の効果』p.35

何だったんでしょうね。マジで。
その疑問が、次に繋がっていきます。

ここから博士は、人間の遊びをもっとよく知るためにですね、
動物界における遊びからそれを深めようとするわけです。

動物界における遊びからわかること

スチュワート博士は(急にFirst Name!??)研究を進める中で、

次第に、人間にとって遊びがどういう意味を持つか知るためには、人間以外の動物で遊びがどのように作用するか理解する必要があることがわかってきた。

『遊びスイッチ、オン!―脳を活性化させ、そうぞう力を育む「遊び」の効果』p.38

らしいです。
(余談ですが、人間の遊びの研究者と、人間以外の遊びの研究者あまり交流がなかったらしい。)

そんでもって、動物界の遊びの研究者に物理的に絡みにいきます
それが、ボブ・フェイゲンさんです。

この人、どんな人かと言いますと
動物の本質とそれがどう進化したかについての研究の第一人者だそう。

ブラウン博士は会いにいくわけです。彼に。

そしたら、アラスカ州アドミラルティー島のフェイゲンさんの研究スポットに近い杉の木の上で過ごすことになります。
(先のフェイゲンさんの名前にあるリンクでも言及されていますねこの島のことは。)

フェイゲンさんは妻も連れて、この島で10年以上もの間その島のグリズリーの詳細な調査を行っていたわけです。中々ヤバい人です。(いい意味で。)

その中でブラウン博士はフェイゲン夫妻と一緒に、グリズリーの超多様な遊びの様子をめちゃくちゃ目撃するわけです。その様子にブラウン博士はもう超うっとりです。

でも、もはやただの好奇心旺盛な少年となった、
ブラウン博士は疑問が生まれちゃうわけです。

頭の中では、遊びは目的もなく、紐解いてしまうとその美しさがなくなってしまうかもしれない。そうわかっているんだけれど、こんなに生き物に普遍的に遊びが確認されることは、何かしらの意味があるんじゃないか。と。

そして、フェイゲン(夫の方)とこんな会話を繰り広げます。
※ここからは、ブラウン博士とフェイゲン(ボブと呼んでいきます。)の怒りメーター(MAXは100%)とともに、超絶意訳しながらお届けします。

ブラウン博士(怒りメーター0%)
「ボブ、なぜこのクマたちは遊ぶんだい?」
ボブ(怒りメーター16%)
(いやそんなんみたらわかるやんけ)楽しいからさ。」
ブラウン博士(怒りメーター22%)
(いやそういうことじゃなくてやね)違うよ、ボブ、科学的見地から見て、彼らはなぜ遊ぶのかということを聞いているんだ。」
ボブ(怒りメーター46%)
(科学とかうるせえわ見たらわかるやろ・・・よし、諦めてもらおう)なぜ遊ぶのかだって?・・・。なぜ鳥は歌うんだろう、人間はなぜ踊るんだろう。それはね・・・そこに喜びがあるからさ。(キリッ)
ブラウン博士(怒りメーター75%)
(もしかしてこいつ言葉通じひんのか・・・?動物の研究しすぎて言葉忘れたんか?)あのさあボブ、君はハーバードとMITの学位を持っている。クマに関する知識も深い。動物進化の研究もしている。しかも君の書いた本は哺乳類の遊びについて、最も信頼できるものだ。だからもっというべきことがあるだろう?教えてくれよ、動物はなぜ遊ぶんだい?」
ボブ(怒りメーター86%)
(おいおいこいつ芸術的センス皆無か?遊びという素晴らしいアートに説明なんかしたらくだらなくなるとか言ってなかったか?おいおい・・・まあ、それっぽいこと言っとくか)この世では次々に新しい難題が押し寄せるし、この先何があるかわからないよね。でもあのクマたちは遊ぶことで、この惑星のそういう変化に備えているんだよ。」

二人の会話の超絶意訳

はい、ここです。
なぜ人も、動物も、遊ぶのか。その目的を、このボブの発言はそれを示すヒントです。

この原著:「play」が書かれた時点(2009年)ですら、
ほんといろんな生き物が遊ぶことが確認されていたんす。

哺乳類や賢い鳥たちだけではなく、
タコは「リラックスした状態で、物を特定の方法で動かす」ことに没頭したり、
縄張りを持つ魚の中には泡を吹いて遊ぶように見える種もいれば、
アリですら(ごめんねアリさん)じゃれあいが見られるという。(アリはこの人の発見らしい)

では、なんで我らは遊ぶんだろうか。

その意味って、生物としての目的って何なのだろうかを、次の後半から考えていこう。(真面目)

追記:
このまとめをする中で、自分の遊び心を大切にした結果、絵本が生まれました。
もしよろしければ、サンプルだけでも読んでみてください!
絵本のタイトルは、「かみかみかみ」で、子どもと読める内容ですが、
裏設定があります。彼は本当は食べているのかを想像してみて欲しいです!

絵本はコチラ

続きはこちら
以下のリンクからも行けます。


忙しい人向けの要約(第二章前半)

第二章では、博士がイヤイヤ遊びを定義することから始まります。

本当は嫌なのだけど、遊びを定義してみよう

『遊びスイッチ、オン!―脳を活性化させ、そうぞう力を育む「遊び」の効果』p.23

とある講演会での登壇がきっかけで、ブラウン博士は遊びの定義を作ることになります。それが以下です。

遊びの特性
・これといった目的はない(ただ単に遊びたいから遊ぶ)
・自分から進んでやる(義務でも強要されるものでもない)
・本質的に魅力的である(遊ぶと、とにかく楽しい)
・時間に囚われない(時間が過ぎるのを忘れてしまう)
・自意識に囚われない(どっぷり浸かってフロー状態
・気まぐれに変化する(遊び方無限大、セレンディピティ大歓迎)
・いつまでも続けていたくなる(そのために遊びが変化する)

『遊びスイッチ、オン!―脳を活性化させ、そうぞう力を育む「遊び」の効果』p.25,26 改編

ついでに博士は、他の学者の遊びの定義を引き合いにだしながら定義について話しますが、結局のところ、

私にとって、ここまで紹介してきたどの定義も、すべて言葉足らずに思える。

by ブラウン博士

ということで、話はなぜ私たちは遊ぶのかという観点へ向かい
博士は、人間にとって遊びがどういう意味を持つか知るために、人間以外の生物学的・進化論的コンテクストから遊びという行動を見ることにしました。

そこでボブ・フェイゲンという学者にコンタクトをとり、グリズリーの遊びを研究する中で、博士はボブに疑問をぶつけます。
(博士散々定義やら意味やらそういうもんじゃないと言ってたけれど聴きたくなっちゃいます。)

なぜ、グリズリーは遊ぶのかと。

ボブは渋々こう言います。

「この世では次々に新しい難題が押し寄せるし、この先何があるかわからないよね。でもあのクマたちは遊ぶことで、この惑星のそういう変化に備えているんだよ。」

どうやら、これが私たちが遊ぶ意味・目的を知る上で大きなヒントのようです。

その話を引き合いに出しつつ、博士は、
生物が、そして人間が遊ぶ意味・目的に迫っていきます。

(後半へ続く。)
以下のリンクからもいけます。


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