障害者・○○症候群という呼称が嫌いですという話
こんにちは。こんばんは。
今回は、障害者(〜障害)・○○症候群という呼び方について話していきたいと思います。
今日のブログ内容は、デリケートかつ難しい話でもあります。
あくまでも、ボク個人の考えや意見となります事をご理解くださいね〜
ボク的には、そもそも〜障害や○○症候群みたいな呼び方が好きではありません。
はっきり言って、すごく嫌いです。
たとえばLGBTQ問題にある『性同一性障害』というものや、天才肌の人を『サヴァン症候群』とするものがありますが、これら当事者は病気を抱えた患者ではありません。
性同一性もしくは性別違和というのは、ある日に突然として発症する病気でもなければ、もちろん障害でもないです。
そして精神障害でもありません。
また、天才と呼ばれる人をサヴァン症候群とする事もいかがなものかと思います。
何だか病名みたいな扱いにしか思えないですし、なにも天才でいいじゃないですか。
学術上だか医学上だか知りませんが、何でも概念みたいな型にはめる呼び方や分類的なものは大嫌いです。
到底理解できないものです。
それから『障害者』という呼び方についてですが、人によっては障害を個性と捉えたりなど、前向きな考え方を示す人がいる一方、やはり障害者という呼び方にはネガティブなニュアンスが含まれているように感じます。
そこでボクなりに障害者のポジティブな呼び方や捉え方、表現のことを調べてみました。
調べてみて初めて知ったのですが、90年代〜
Challenged(チャレンジド)という米語が使われている事が分かりました。
今ごろ感はありますけどねww
チャレンジドというのは『挑戦という使命や課題、挑戦するチャンスや資格を与えられた人』を語源とするそうですね。
一見すると、障害を抱えているいないに関係なく、全ての人に当てはまるような感じにも見えますよね〜
てか、当たり前のことを言っているだけのような気がしますww
がしかし、その当たり前にこそ大きな意味がある事を見出すべきです。
つまり『障害者も健常者もなく平等である』という事の意味が含まれています。
本来、そこに垣根はないという事です。
チャレンジドという表現が良いのかどうかの事は、人それぞれの考え方があると思うので何とも言えませんが、障がいをマイナスとして捉えないという事においては、素晴らしい在り方だと思います。
障がいを抱えているがゆえに経験する様々なことを、自分や社会のために活かしていこうとする想いが込められたChallenged(チャレンジド)という表現。
ボクとしては素敵な呼称だと思いますよ。
ただ、表現が遠回しではないかと反対する声もあるようですが、障害を抱える人の新たな呼称については難しいものがありますね。
デリケートな問題なだけにです。
そもそも米国でこのChallenged(チャレンジド)という言葉が生まれたようですね。
だけど、人権の国アメリカとされながらも、Handicapped(ハンデキャップ)やDisabledperson(障害者)というネガティブな呼称に対する違和感があったんですね〜
現在ではスウェーデンなどでもChallenged(チャレンジド)が使われているそうです。
ここまで長々と話してきましたが、呼称や表現というのは自由である一方、だからこそ慎重に考えなくてはいけないものだと思いました。
しかし、呼称や表現の以前に、障害を抱えている人と健常者の垣根のような分断みたいなものを考えるべきです。
同じ社会にいながら、障害者や病人はそれらしくいろ!みたいな現状がありますからね。
悲しいことに、そういう心ない人たちが一定数いるんです。
何様だと思いますけどね〜 バカがよってww
自分が健常者で上みたいに言うなら、障害や病気を抱えている人の目線まで階段を降りて物事を見てあげるべきでしょ。
それが上にいる者の姿でしょうが!って、皮肉を言ってやりたいww
もちろん上も下もないんですよ。
だけど、上から目線の奴にはワザと立場を問うてやりたいですよね〜ww
は!このままではグダグダになってしまうので、これにて〆たいと思いますね〜
ちなみにボクなら『人々を魅了する又は希望を与える力を持った者』みたいなニュアンスの呼称を考えてあげたいですけどねww
もしくは努力の人みたいな感じとかねw
はい、それでは今回はここまで。
また次のお話で会いましょう。