「常設展 ー線で描くー」開催中
現在Cyg art galleryでは「常設展 ー線で描くー」を開催中です。
今回の展示は、是恒さくら、佐佐木實、中嶋敏生、長谷川誠の4名を「線」に注目してご紹介しています。
「線」を紡ぐ表現という共通点がありながら、その生み出し方や用いる技法にはそれぞれ違いがあります。各作家から伺ったエピソードを交えながら、各々の作中の「線」に表れているものが何なのか考えていきたいと思います。
鯨のイメージを編みなおす ー是恒さくらー
是恒さくら(これつね さくら)は、1986年広島県出身。国内外各地へ赴き人と鯨のかかわりなどについてリサーチを行い、造形作品や刺繍作品、リトルプレス「ありふれたくじら」などの形で発表しています。最近ではグループ展「ナラティブの修復」(せんだいメディアテーク、2021年)への出展や「VOCA展2022 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─」(上野の森美術館、2022年)への選出など、活躍の場を広げています。
今回のグループ展では、藍染の布に刺繍を施した作品や、流木の観察を基に鯨をはじめとして生物と人の活動にまつわる物語を描いたドローイング《泳ぐ木のキヲク、石狩湾》シリーズを展示しています。
日本では捕鯨問題などが想起されがちな鯨のイメージですが、地域によって信仰の対象としたり、鯨を捕獲しない・食用としないなど、実際の鯨との関わり方には幅があります。「『人と鯨とのかかわり』の多様さと広がりを様々な角度から捉え直すことで、部分だけを見ていてはその全体をつかめない『鯨』という生き物のイメージを編み直していけるのでは」と是恒は語っています。
今回展示している《泳ぐ木のキヲク、石狩湾》シリーズは、北海道の石狩湾で拾った流木が制作の出発点になっています。すっかり削られて摩耗した流木、その表面に浮かぶ線の表情を見て、是恒は鯨や人や海辺のまちの風景を見出したのだそうです。それは明確なエピソードというよりは、是恒の記憶のどこかに内在していたものが紡がれ浮かんだもの。是恒はそのイメージを線として画面上に起こすことで、自分だけに見えている情景を立ち上がらせたのだといいます。
是恒の作品は、鯨を中心として人の営みを多角的に紡ぐものです。同時に、是恒の中にある風景や物語をも「線」にのせることで編みなおしていると言えるのではないでしょうか。
しるしをしるす ー佐佐木實ー
佐佐木實(ささき みのる)は岩手県出身。幼少期から書に親しみ、言語学の博士号を持つなど、ことばや文字に注目して活動を展開する作家です。
今回の展覧会では《イ充つ》(いみつ)というシリーズの作品を3点展示しています。「イ」という文字を人の象徴として捉え、人と「イ」の重なる部分を見つめながら、規格化されたことばと型に収まらない断片的な事象を捉えた作品です。
佐佐木は、ことばに関わる自身の制作を「しるしをしるす」取り組みであると語っています。ことばは社会の中で広く共有された枠組みがあるからこそ意味を伝達・共有できる、つまりことばや文字は記号的な意味合いの「しるし」の一つである、という解釈です。一方で、そのしるしの枠組みに収まりきらない(=既存のことばに落とし込めない)個々の思考や感情がある点にも目を向けています。与えられた枠組みとそこに収まらないもの、その両者の間を行き来しながら画面上に記していくことが佐佐木の制作姿勢のひとつと言えます。
今回展示している《イ充つ》シリーズの特徴として、墨や鉛筆などの筆記用具と、画材として用いられるパステルやインクなどが同じ画面上に共存していることが挙げられます。佐佐木によれば、文字を記す墨や鉛筆を使うことは「ことばという枠組みに準じて記す」こと、対して画材を使うことは「ことばという枠組みに収まらないもの」という比喩の表れなのだそうです。
しるしが社会的に共有されていることと、そこに収まりきらない内面的な機微、この対比を佐佐木は「共通性と個別性」とも言い換えています。そしてその二面性は、しるしの発信者のみでなく、受け手にも同じく存在するはずと語っています。佐佐木の記した線の形跡を追うことは、鑑賞者自身のことばの受け取り方、つまり社会生活を営む人間の中に内在する「しるし」の輪郭と向き合うことにも繋がるのではないでしょうか。
内から湧きでる言葉との対峙 ー中嶋敏生ー
中嶋敏生(なかじま としき)は1989年岩手県生まれ。高校、大学時代に書を学び、地方公務員を経て書道教室の運営をしています。
今回の展示では《すでに特別なものと、それをあまり気にしない私》というタイトルで、文字だけでなく図的な要素や数字などが書かれた書の作品を展示しています。
このシリーズで中嶋は、絵画の名作を描き写すことから制作を始めています。このような制作過程には、中嶋が制作と向き合う中で見出したひとつの方法が関係しています。
自然と頭に浮かんで溢れ出た言葉を記していくことが、書に向き合う姿勢として不自然さがないもののように感じる、と中嶋は述べています。書の作品制作を進めるうちに、書く言葉を決めてから筆を取ることに対して違和感を抱くようになったのだといいます。ただ、内から溢れ出る言葉の背景には強烈な体験やほとばしる想いがあることが多く、そのような鮮烈な経験がなかったと語る中嶋は「本物の書家にはなれないのか」と悩んだ時期があったのだそうです。そこで、自身が書に向かう方法として「”考えながら書く”状況に自分を追い込む」ことを始めたのです。
絵画の名作を抽象的に臨書(名筆を見て書き写すこと)をして、それを眺めることで自然に言葉が出てくるのを待つ。「自らの中に特別なものがないなら、既にある特別なものと対峙する」ことを選んで浮かんだ言葉は、絵画作品とは関係のないものだったそうです。巨匠に尊敬の念を払いながらもその事をあまり意識せずに自作に向き合えた作品、それが今回の《すでに特別なものと、それをあまり気にしない私》だったのです。
拙い表現でも文法を間違えても、書き直しをせず迷わず筆を進めたという本作。作品の筆跡には、中嶋の飾らぬ言葉と共に、中嶋独自の書へ向かう姿勢そのものまでもが立ち現れていると言えるのではないでしょうか。
偶発性で魅せる ー長谷川誠ー
長谷川誠(はせがわ まこと)は、1958年秋田県出身。山や木、氷などの自然物を彷彿とさせるインスタレーションの他、白を基調にした静けさのある平面作品が特徴の作家です。
今回の展示では、スタイラスという独自の表現技法を用いた絵画作品と、蝋を用いた作品を展示しています。
スタイラスとは、2010年から長谷川が用いている独自の技法名です。キャンバス等に塗った下地用絵具ジェッソを、ニードルで擦ることのみで表現を行う技法を指します。ジェッソによる白い画面と、近くで見てやっとその全貌が見えるような微細な表現が特徴です。
もう一種類の作品、蝋を用いた《瞬きの間に-001》《瞬きの間に-009》は、よく見ると一方が地層状に隆起し、もう一方が反対に陥没しています。肉眼で直接見ないとなかなか捉えることができませんが、その起伏は地図上の等高線のようにも見えてきます。
この作品について長谷川は「流し込んだ蝋が硬化するときに歪みが生じる様が、自然の現象の様な表情を見せるのではないか」と語っています。型を等高線状にする行為は長谷川の意識的なものですが、結果として歪みが生じる点は人間の意識の及ばない部分なのだそうです。また、蝋の内にぼんやりと浮かぶ線の表情も、蝋が固まる過程で意図せず生まれたものです。長谷川は高温の蝋が冷たく硬化する過程に、水が凍る過程を見出しています。
作品に立ち現れる表情を自然の原理に任せる姿勢は、自然物をモチーフに制作を行う長谷川の真髄を感じさせるようです。偶発的に生まれた線の表情を、ぜひ間近でご覧いただきたいと思います。
展覧会「常設展 ー線で描くー」に際して、「線」を手がかりに4名の作家の活動をご紹介しました。内に秘めた形のない事象を可視化させる線は、作家一人一人の葛藤や根底にあるテーマを切実に映しているように感じられないでしょうか。
展覧会は8月3日(水)まで開催しています。会期は残りわずかですが、皆様のご来場をお待ちしています。
(スタッフM)
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●展覧会概要
「常設展 ー線で描くー」
会場:Cyg art gallery
(〒020-0024 岩手県盛岡市菜園1-8-15 パルクアベニュー・カワトク cube-Ⅱ B1F)
日時:2022年7月16日(土)ー2022年8月3日(水)
10:00–18:30/会期中無休
入場無料
・展示詳細はこちら:https://cyg-morioka.com/archives/1922
・作品やグッズを豊富に取り扱うオンラインショップはこちら:https://cyg-morioka.stores.jp
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