わたしは、山口小夜子を「したい」のだ。「真似たい」「なりたい」ではなく。
葦田くんが山口小夜子の映画を観て、感想を書いてくれた。
わたしのことにも触れてくれていて、とても嬉しい。冒頭のメッセージはわたしが送信した原文ママで、なるべく何も損なわないように、取り零さないようにという、葦田くんの誠実さが滲み出ている。改めて尊敬の意を抱くとともに、原文のまま世に出されても一応恥ずかしくないメッセージを送信していた、数日前の自分に安堵した。
とはいえ、思えば、わたしは小夜子について語るとき、必然的に丁寧で真剣な言葉を選ばざるを得ないのだった。何故なら、彼女はわたしに最も大きな影響を与えた存在、いまの人生の礎となっている存在だから。
葦田くんの文章には到底及ばないが、わたしも改めて記そうと思う。いまからお話するのは「わたしがしていること、やりたいこと」を一言でまとめようとすると「山口小夜子」になる、ということ。
はじめに:長く、きわめて個人的な前置き
わたしと山口小夜子の出会いについては、2019年にも記事にしたことがある。
大学受験のための勉強の、息抜きのためにたまたま立ち寄った書店で、たまたま自分と同じ名前の雑誌に出会い、たまたまそこに山口小夜子の特集が組まれていた。
その日、幼少期から抱えてきた「一重瞼ではいけないのか?丸くて大きな目でなくては、いけないのか?」という疑問に、突如解答が示されたのだ。
翌年、2015年はまさに小夜子の年だった。
春、東京都現代美術館にて「山口小夜子 未来を着る人」が開催された。たしかに足を運んだのだが、実はその時期の記憶自体があまり無く…(大学生活になかなかうまく馴染めず、講義をさぼりたくて、わりと軽い気持ちで訪れたような気がする。最初にあれだけの衝撃を受けておきながら、大変申し訳なく、恥ずかしい)
そして秋、件の映画「氷の花火 山口小夜子(松本貴子監督)」が公開。
この映画は、もう本当に、何度も観た。
2017年頃までにかけて、関東全域の映画館を飛び回った。合計で7、8回は観ていて、今でも内容はかなりしっかり覚えている。
同時期にテレビでも何度か特集が組まれていたので、可能な限り全て観た。
それからエッセイ「小夜子の魅力学」も…。すみません、きりがないので、このあたりでいい加減、本題に入りますね。
わたしがいかに、山口小夜子に影響を受けているかについて
化粧
なんといっても化粧。わたしの化粧を見たら、小夜子からの影響を受けていることはすぐに分かってもらえると思う。
黒く長いアイラインで横の流れを強調する。唇と、そして眼の周りから、気分によってはこめかみあたりまで、広く紅色を差す。(濃淡の赤色だらけのわたしの化粧道具の中には、資生堂から発売された「SAYOKO」という名前の頬紅もある)
最近流行りの「顔の余白を埋める」「中顔面を短く見せる」メイクには懐疑的で、むしろ「その部分は美しいのだからあけておきたい」と思うほう。
これはもう何年も変わらない。自分の顔にも心にも、最も合っている化粧だと思っている。
美学
それから、もちろん内面も。いまなら「ブランディング」とも呼ぶところだけれど、小夜子には「美学」という表現のほうがしっくりくる。
葦田くんのこの表現には深く頷いた。
かつてマツコ・デラックスが、小夜子について「単純に綺麗という次元ではなく、悔しかったらここまで登って来なさい、とでも言うような、狂気や、恐ろしささえ感じた」という主旨の発言をしている。
つらぬきとおすということ。もはや戻ってはこられぬ、他に誰もいない遠いところまで行ってしまえば、それは既存の言葉ではあらわせない、比べようのない固有の価値になる。
小夜子は外出時には必ず化粧をして、決して素肌を見せなかった。ほかのモデルと同じように素早く着替えるのに、裸は見せなかった。
時に自身を「小夜子さん」と呼んだ。本名:山口小夜子という一人の人間を、芸名の「山口小夜子」から徹底して廃し、完璧な「山口小夜子」を作り上げていた。
「山口小夜子さん」は、ニコチンとアルコールと笑い声、華やかなモデルたちがひしめき合うランウェイの控え室、その片隅で、一人、静かに読書をしていたそうだ。その姿は、あの冨永愛が「声をかけることができなかった」と語るほどのものだった。
小夜子は、たびたび、纏足の展示に訪れていた。
そして、ある時「美しいことは苦しいこと」と呟いたことがあるそうだ。
「ファムファタールの紫闇」は、偶像だ。
孤高でしなやか、一途で軽やか、悪意も躱して自分の魅力にしてしまう紫の魔女。「紫闇」自身がわたしの作品。
偶像を保つためには、耐えねばならないこともある。それが具体的にどんなことで、どんな苦しみかは、わたしは語らずにおく。それが「紫闇」だから。
ただ、小夜子の言葉が「美人もいろいろ大変だよね~」という次元とは到底異なる意味合いだということは、わたしにでもわかる。
表現
それから、表現への飽くなき探求心。
小夜子は「ファッションモデル」として紹介されることが多いし、最高のファッションモデルであることには間違いないけれど、実はこの肩書きは、彼女を語るには十分ではない。
小夜子の活動の幅は、ある時期から大きく拡がっていく。
舞踊、演技、服のデザイン、朗読、DJ、インタビュアー…。
そしてそれらはモデルとしての在り方にも還元され、活動後期の小夜子のウォーキングは、オーソドックスな「歩き、センターでポーズを取って、ターンして、歩く」という枠から大きく外れたものに変化している。
小夜子がモデル以外の活動を始めたとき、周囲はとても驚き、戸惑ったようだし、そのことがこれまでの仕事相手との縁が切れる原因になったこともあるようだけれど、研ぎ澄まされた感性とあらゆる方向に張られたアンテナを持っていた彼女のこと。その頭の中にある、表現したいものを形にしたいと願ったとき、「ファッションモデル」という方法では足りなくなってしまったのだろうと思う。
これは決して「迷走」ではない。それぞれの手法という糸を織って、新しい布をつくるのだ。
小夜子による、谷崎潤一郎「陰翳礼讃」の朗読作品「影向」を観たことがある。
小夜子の声色、間、装い、立ち居振舞い、その影、背景にプロジェクターで投影される小夜子のシルエット…。すべてが相乗されておそろしいほどに引き込まれる傑作。
布を纏うことを仕事にしていた彼女は、最上級の美しい布を織ることまでも仕事にしてしまった。
小夜子は、歩くことから始まった人だ。歩きながら、手を中に浮かせてみたら、それはダンスだし、さらにそこにセリフをつけてみたら芝居だ。
表現手法が増えていくことは彼女自身にとってはごく自然なことだったのではないかと推測する。
わたしにも心当たりがある。
「あなたは'なんの人'なのか」という問いに、長年悩まされている。歌、写真、アクセサリー作り、装い、文章、動画、心理学、あまりにもいろいろなものに手を出しすぎて、ひと言では言い表せないのだ。
これら全てが、わたしが心のうちを表現するために必要で、しかもまだまだ足りない。(事実、最近はダンスを独学で始めた。現状、文字通り「手も足も出ない」が)
「マルチクリエイター」や、広い意味での「アーティスト」という言葉もないことはないけれど、「いろいろやりたい人、いろいろできる人」というよりは、「自分の表現したいことを表現しようとしたら、いろいろなことに手を出すことになった人」なので、あまり腑に落ちない。
そこでわたしはいまのところ「ファムファタール」を名乗っているわけだ。
小夜子は晩年、全ての活動を総称する肩書きとして「ウェアリスト」を名乗っていたそうだけれど、これって僭越ながら、わたしの「ファムファタール」にあたる肩書きなのではないだろうか。
映画のタイトル「氷の花火」にも同じものを感じる。彼女を既存の言葉で表すのはとても難しい。現実には存在しない「氷の花火」という喩えは素晴らしいなと思うし、彼女によく似合う。
「山口小夜子」は人名であり、題名である
わたし個人としては、小夜子には「ウェアリスト」という言葉すら必要ないと思う。
彼女なら「あなたは'なんの人'なのか」という問いに「山口小夜子」と答えれば、もうそれで十分だから。
山口小夜子の作り上げてきた「山口小夜子さん」という人物像、写真、ランウェイでのウォーキング、出演した舞台や映像作品、人生でしてきたことすべてが、「山口小夜子」というタイトルの、ひとつの完璧な作品だ。
だから彼女は、何者であるか問われたら、名乗るだけでいい。
山口小夜子を「する」ということ
わたしは山口小夜子に憧れている以上に、山口小夜子を「したい」。「真似たい」「なりたい」ではなく。
多面的で、どこを取っても美しく、あらゆる方向に強い光を放って魅了する、世界に一つだけの宝石のような表現をしたい。そういう人生を生きたい。と、いうこと。
映画のクライマックスに置かれた「永遠の小夜子プロジェクト」は、まさに、山口小夜子を「していた」。小夜子に関わった人たち。小夜子の人生を変えた人、かつて小夜子に人生を変えられた人、まさに今から変えられようとしている人。彼らの熱意や愛や技術を惜しみなく注ぎ込んだ、魂のぶつかり合いみたいなあの戦い、それ自体が「山口小夜子」だった。そうしてあの奇跡みたいな作品が完成する瞬間が訪れたのだと思う。
山口小夜子を「している」人々、これから「する」人々
彼女が月に帰ってから16年。わたしと同世代の人たちは山口小夜子を知らないことも多い。
でも、今現役で活動している様々な方が小夜子の影響を受けて、山口小夜子を「している」。小夜子本人のことは知らなくても、きっとあなたも一度くらいは、「山口小夜子」に触れているはずだ。
先日、ファッションに詳しい友人に小夜子の画像を見せたら絶賛してくれて、「こういう、縦じゃなく横に強調するメイクはしたことがなかった。やってみたい」と言ってくれた。
(彼女は小夜子のことは知らなかったけれど、セルジュルタンスは知っていた。ほら、ね)
50年前の小夜子の写真が、令和を生きる人間の心を動かし、影響をあたえる。
永遠に褪せない輝きを放つ宝石のような「山口小夜子」。
この記事を通して、新しく小夜子を知ってくれる方が一人でもいてくれたら嬉しいし、今後も積極的に発信していこうと思う。
そして、いつか「ファムファタール」という枕詞が必要なくなるくらい、全力で、山口小夜子を「して」いきたい。
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