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『逃げても、逃げてもシェイクスピア 翻訳家・松岡和子の仕事』を読んだら、シェイクスピアの苦手意識が消えた。
ソ連に11年抑留された父、女手一つで子供達を守り育てた母。自身の進学、結婚、子育て、介護、そして大切な人達との別れ――人生の経験すべてが、古典の一言一言に血を通わせていった。最初は苦手だったシェイクスピアのこと、蜷川幸雄らとの交流、一語へのこだわりを巡る役者との交感まですべてを明かす宝物のような一冊。
20代の頃、村上春樹ばかり読んでいた時期があった。その彼のエッセーで、10代の頃に世界文学全集を突破した、という話にずいぶん影響された。
試しに河出書房新社の世界文学全集リストを見ると、その一番目はシェイクスピアだった。
ドストエフスキーやトルストイなど過去に字面だけでも追った作品は、とりあえず読んだことにして、
その他で、誰もが聞いたことのある作家、バルザック、スタンダールなどから読んでいった。でも、シェイクスピアは読む気がおきなかった。
シェイクスピアを読まなければいけない、という思いが、ますますシェイクスピアを遠ざけた。
シェイクスピアは劇作家だから、作品は脚本のカタチをしている。ト書きのない連なった文章を読むのに慣れているわたしは、登場人物のセリフのやり取りを追うのがとても辛かった。
この本は、若い頃はシェイクスピアに怖気づいていた松岡和子さんが、どのような成り行きで、50代から28年かけてシェイクスピア全37作品の新訳を手掛けることになったのか、
戦後、母が幼い松岡さんと妹弟を伴い、満州から引き揚げたこと、一族の話、その後の生い立ちを、日本の戦後史と絡めながら紹介し、解き明かせる仕掛けになっている。
というのも、戦時中「満州国」の高官だった父の前野茂氏は、戦争責任の一端を問われた。そのため連行された後、11年間ソ連で抑留生活を強いられ、日本に帰国を果たす。
『ソ連獄窓十一年 全四巻 前野茂著/講談社学術文庫/1979年 』
わたしの両親は、松岡和子さんと同世代だ。南朝鮮で材木商を営んでいた曾祖父と曾祖母、祖父母、終戦の年7歳だった母と3人の弟妹たち、そろって朝鮮半島から船で広島へ引き揚げた。
当時の話をほとんど知らないわたしは、朝鮮半島と満州、相当の立場の違いはあるにしても、自身の一族の話と重ね合わせながら読まずにはいられなかった。
そこから、時代は過ぎ、大学の英文科に進んだ松岡和子さんは、シェイクスピア研究会に入会するも、400年前の英語に恐れをなし、いったんシェイクスピアから逃げ出してしまった。
英文科に進んだからには「シェイクスピアの一作も原文で読まなくては」という殊勝な気持ちを起こして、シェイクスピア研究会をのぞいてみた。
しかし、その後、研究会の舞台「夏の夜の夢」で演じる機会があり、次第に芝居の世界に引き込まれていく。
劇団研究生になり、演じる側と裏方などの役割を経験するなかで、シェイクスピアに再び引き寄せられる。
後に、蜷川幸雄氏が、シェイクスピア作品全てを上演する際、松岡和子訳を使うと決めたことや、その他多くの貴重な出会いを重ね、50代から28年かけて、上演されるたびに常に更新を重ねながら、シェイクスピア全37作品の新訳を完成させる。
そんな彼女の半生をたどっていくうちに、戯曲としてのシェイクスピアの成り立ちが、肌感覚でわたしにびしびし伝わった。
昨日、Amazon プライムで、ローレンス・オリヴィエ 監督・主演の映画「ハムレット1948年英」吹き替え版を観た。
ローレンス・オリヴィエはシェイクスピア役者として有名だ。映画だけど舞台を見ているような雰囲気だった。セリフのひとつひとつ、言葉やリズム。シェイクスピアは時代を超えている! 吹き替え版の日本語のリズムと語感を味わった。
好きな一節をご紹介する。
シェイクスピアを訳すにあたって、和子にはひとつの流儀がある。印刷が終わって用済みになったA4コピー用紙を半分に切って、メモ用紙としてためておく。そこに、太くて柔らかいBの芯を入れたコクヨのシャーペンで手書きしていく。
翻訳文を書くのではない。原稿を打ち込むのはパソコンだ。では何を書くか? 引っかかる原文を、手書きでこの裏紙のメモ用紙に書いていくのだ。まるで数式を整理していくように、何度も書き直しながら、和子はシェイクスピアの言葉の意味を探っていく。
当初、シェイクスピアの名訳はたくさんあるのに、新訳を出す意味はあるのか?すでにある翻訳をアップデートするだけではいけないのか、と思ったそうだ。
400年前の英語である以上、今とは違う文法や表記に加え、シェイクスピア戯曲の、音韻、倒置、省略、掛け詞、言葉遊び、などの解釈は、更新され続けなければならない、と気が付いたそうだ。
現代のインターネットを駆使した情報量の増加にも伴って、日々解釈を巡っては、新しい発見がある。
手に入る限りの英文テキストなど資料を読み、稽古場に立ち合い、シェイクスピアのセリフを生きた言葉に更新する日々は今も続いている。
そんな、松岡和子訳のシェイクスピアはとても読みやすい。単にスラスラ読めるだけではなく、舞台劇のセリフとして、原文の意図を活かした言葉の美しさ、を感じることができる。
と言うわたしは、まだ「試し読み」でほんの冒頭いくつかを読んだだけ。でも、今のわたしはシェイクスピアに壁を感じない。
シェイクスピアに国境や時代はない、常に現代人の傍らに寄り添っている、と松岡和子訳のシェイクスピアは言っている。読むことのプレッシャーはいつのまにか消えてしまった。
「この世界すべてが一つの舞台、人はみな男も女も役者に過ぎない。それぞれに登場があり、退場がある」(『お気に召すまま』第二幕第七場)
和子はこのシェイクスピアの台詞を抱いて生きてきた。自分の退場シーンが来るまでは精一杯生き切るのだと思いながら。強い覚悟を持って。