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「泣く」という表現の奥にある気持ち
今日、グループホームで仕事中のこと。
突然泣き出すことのあるSさん。
今日は、「歯磨きをしに行こう!」と誘い洗面所へ向かうと、「お父さんのところに連れて行ってくれると?」と。
以前泣いていたときに、「お母さんに会いたい。」と言っていたので、Sさんのお父さんのことを指していると思っていた。
よくよく話を聞くと、亡くなった旦那さんのことだった。
「今日は会いには行けないよ。」
と伝えると、
「そっか。」
と答えるSさん。
歯磨きをし終わると、急に泣き出す。
「会えないのは、悲しいし寂しいね。」
と声をかけると、頷きながら泣いている。
聞けば、男前で優しい旦那さんだったと話す。
漁師さんだったらしく、エビを持ってきてくれるのが嬉しかったのだと。
リビングで過ごしているときは、スタッフが話しかけると話すこともあるが、ほとんどテレビを見ていたり、みんなの様子を眺めていたり、うとうとしていたりする。
車椅子に座りっぱなしなので、うとうとしているときに、部屋で横になることを勧めたことが数回あるが、Sさんはリビングにいたいと言う。
部屋に1人でいるよりも、人がいる中で過ごす方がいくらかでも落ち着くのだろう。
「家」として過ごしているところではあるが、どこか落ち着かず、心細さがあるように感じる。
旦那さんやお母さんに会いたいと言うことばの奥には、心から安らげる環境がほしいという望みがあるのではないだろうか。
旦那さんのことについて話し出すとだんだんと笑顔も戻り、「あんたは?お父さんはおると?」とわたしに関心が向くほど活気づいてきた。
自分ではことばにならない想いが、「泣く」という表現になっている。慣れ親しんだ人が恋しくなるほど、心細かったり、ふともの悲しくなることがあるようだ。
自分の気持ちを自分でしっかりと感じることができたとき、人は不思議なくらい安堵する。
わたしも自分の想いがことばにならず、伝えたいことが表現できず、もどかしいと感じることが多々ある。
相手のことを観察し、感じ、声にはならない声を代弁すること。
これも大切に培っていきたいわたしの仕事だ。