子どもに”怒った”わたしを考える
私には2歳の子がいる。
親の欲目から見て、賢く、思いやりのある子。
その子に数日間トイトレのことで怒りまくった私。
事実は
「朝、保育園に行く前の時間にパンツにウンチを漏らし、言わなかった」
「何度か確かめる声かけをしたが、嘘をついた」
その子に対して、私は
『もう知らない』
『ずーっとおむつはいとけばいいよ』・・・・
怒りは収まらず、2歳の子を責めたてた。泣いているのに気づいているのに。
「そりゃ、パンツにされたら怒るよ〜」
と慰めの声かけもしてもらった。
でも、私は私の怒り方が気になってしかたなかった。
何かが、気になって、そわそわした。
正当化できなかった。
怒っている時の頭の声に焦点を当てて振り返ると、
「なんでできないの」
「もう、3歳になる」「いつまで・・・」
「何回も言っているのに」「言うことを聞かない」
「また洗わなくちゃ」「私ばっかり仕事が増える」
「怒れば反省する」「反省しろ!泣いて考えろ!」
「私の努力が無駄だった」「他よりも早くできたかった」
私は早くから細々とオムツなし育児にも取り組んできた。
私がやってきた育児を、子ども自身に否定されたようだった。
そしてなにより、
『母親として、できていない娘』『誇れる娘ではない』
として、私の母に評価されてしまう!
そんな焦燥感、怒りでいっぱいだった。
そう、私は
私のために怒っていた
そして、そこには、
『私の母からの評価』
というものさしが存在していた。