ピラティスの歴史について
こんにちは!
新潟市中央区にある株式会社the REFORMERでトレーナーをしている
中山佑(ジョリ)です!
近年SNSやテレビ、インフルエンサーの方が行う事で認知度が高まっている「ピラティス」
ザリフォーマーでもピラティスを中心としたアプローチを行なっていますが
ピラティスとはどういうものなかという疑問を持たれている方もいらっしゃるかと思います
本日はピラティスそのものについて解説をしていきたいと思います
ピラティスの誕生
ピラティスは創始者であるジョセフ ヒューベルトゥス ピラティス氏の名前からきています
1883年に日本人街がある事でも有名なドイツのドュっセルドルフで生まれました
ジョセフ氏は幼い頃にリウマチ熱などの病気を患ったり、いじめにあっていた経験から「強くなりたい」という想いで身体に良いとされる運動を実践したり独学で身体について学んでいました
その後、健康的な身体を手に入れてからは主にイギリスで防衛術を教えていたと言われています
ですが、1910年代は第一次世界大戦の真っ只中だった為、イギリスとアイルランドの間にあるマン島でピラティス氏は4年間拘留されていました
そこで、負傷した兵士のリハビリテーションやエクササイズを教えていたわけですが、ここがピラティス誕生したきっかけになります
そんなジョセフ氏はピラティスの事を「コントロロジー」と呼んでいました
コントロロジーとは
ジョセフ氏はコントロロジーの事をこのように位置付けしました
要約しますと
コントロロジーを行う事で身体の悪い癖を治し
「しなやかさ・柔軟さ・強さ」全てを手に入れながらも筋肉や関節に余計な負担をかけない独自のメソッドとして拡がりました
先述したように兵士のリハビリテーションとして用いられてた事からも分かるように老若男女どの世代においてもピラティスはお勧めです
アメリカでの拡がり
その後ジョセフ氏は1926年にアメリカへ渡ります
アメリカへ渡る船の中で、ピラティスの普及に尽力した奥様クララ氏と出会います
そして、アメリカへ渡った後は1930年代にクララ氏と共にピラティススタジオをオープンしたのですが、スタジオが入っているビルにはダンスのリハーサルスタジオがありました
ダンススタジオのバレリーナを中心に拡がっていた訳ですが、意外にも当時のスタジオには男性客が半数以上を占めていたと言われています
怪我をしたバレリーナがジョセフ氏の元でピラティスを行い、怪我や不調を克服した事からアスリート界隈にたちまち噂が拡がってあっという間に一般の方に拡がっていきました
ジョセフ氏の金言
ジョセフ氏は1967年に亡くなるまで熱心に研究やクライアントの指導に明け暮れていたと言われています
また少々変わり者だったようで
「ニューヨークの街を裸で歩いて自身の美体を民衆に見せつける」
「パーティー三昧で大量の酒と葉巻を摂取していた」
こういったユニークなエピソードが今でも語り継がれているところに彼の魅力を感じますね
そんなジョセフ氏はピラティス(コントロロジー)について素敵な金言を残しています
運動の効果を実感するのにはある程度時間はかかりますが、継続の大切さを改めて重要だと感じる言葉ですよね
自分自身の体と向き合う上でもこの言葉は心に刻んで、僕自身も運動や日々の生活を意識して過ごしていきたいと思います
本日はピラティスの歴史について解説しました
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!