【短編小説】友チョコをあげよう〜あなたを友達とは思ってないけれど
「これあげる。友チョコ作ったんだ」
美夏はカバンから丁寧に包装された箱を取り出した。恐らく手作りのチョコレートだろう。
「マメだねぇ…。どうしよう、私何も用意してなかったよ」
早貴は両手で箱を受け取りながらも、申し訳なさに頭を下げた。
「良いんだよ。私が作りたかっただけだから」
美夏は笑顔でそう言った。
2月14日の昼休み。
最近は2人で昼食を取ることが多かった。早貴は細身なのによく食べる。母の作る弁当だけでは足りず、自分でも1食分作って持参している。
早貴の母親は「これで娘が自立するなら」と、計2食になるお弁当を無駄とは言わなかった。
その理由は早貴の料理スキルにあった。一面茶色の弁当箱には、無造作に突っ込まれた冷凍食品達がひしめき合っている。ちなみに事前に解凍されたものは一切ない。
如月高校の教室に電子レンジがなければ、こんな弁当はなかなか成立しないだろう。
早貴に少しでも料理スキルを身に付けてもらいたい親心と、少しでもまともな食事をして欲しい親心。早貴は毎日弁当箱を二つ用意していた。
「冷食も一度は調理されてるから、自然解凍で十分なんだよ」
早貴は親心も知らずに胸を張っているが、美夏は黙って早貴の弁当を電子レンジに放り込むのだ。それがふたりの昼食の始まりだった。
「早貴もいい加減、食べ物を味わうことを知りなよ。
食べることが可能イコール食べられる…じゃないんだよ」
美夏はいつも美味しく食べて初めて食事だよ、と早貴に訴えかけていた。
これじゃあ、彼も大変だね。
早貴には中学生の頃から付き合っている彼氏がいる。料理上手な彼に胃袋を掴まれているはずの早貴は、まったく料理の腕が上がらない。
「私、料理向いてないのよ」
あっけらかんと言う早貴。早貴はスクランブルエッグすら焦がしてしまって、満足に作れない。
普段は凛々しいのに、食事のことだけはだらしがないんだから。
そんな早貴だが、彼氏である聖悟と、親友の美夏のふたりが作る料理だけは満面の笑みで食べるのだ。味にまったく拘りがないわけではないらしい。
イラ…。
美夏の胸にはしこりができていた。
そして迎えた2月14日の昼休み。美夏が手渡した手作りチョコを、早貴はうれしそうに箱の上から抱きしめていた。
ちくり。美夏の胸を刺すトゲ。
しかしその痛みすら忘れるほどの大事件に、美夏は気がついてしまった。
「何も用意してないって、まさか…」
早貴は義理チョコを作るような人ではない。だから美夏に対して友チョコを作ることもないだろうとは分かっていた。しかしわざわざ何もと答えたと言うことは…。
「おうよ!そのまさかよ!」
決め顔で言わないでよね。どうやら早貴は、聖悟のための本命チョコレートすら用意していないらしい。
美夏はため息をついた。
「あのね、バレンタインチョコレートって言うのは錬金術なの。
チョコレートが指輪に化けるイベントなのよ」
彼氏に将来を約束させるようなアクセサリーをおねだりするための、釣り針をつけた餌なのだ。
美夏は訥々と語った。
「でもね、それは等価交換じゃなくなるよね。
私は聖悟と対等でいたいし、お互い医学部受験で忙しいから、将来を縛ったりしたくないし」
早貴はあくまでも自分の人生を共に歩むパートナーとして恋人も親友も大切にしたいのだと言う。
だからどちらかが相手に依存してしまうような、恋人らしいイベントは極力避けたいらしい。
早貴はそれを言い訳にして、その実めんどくさいだけでしょ?
「こいつ人の心が読めるのか?」
早貴は大げさに驚いてのけぞった。
「もう…早貴がそんな態度なら、聖悟くん奪っちゃうぞ」
美夏は唇をとがらせた。そうよ、私は早貴に友情なんて感じてないんだから。
親友同士だと思ってるのはあなただけだよ、早貴。
その言葉は飲み込んで口には出さないことにする。これは言ってはいけない言葉だから。
「聖悟のことなら…奪ってもいいよ」
早貴は寂しそうにつぶやいた。しまった!美夏は口を押さえて戸惑いの表情を見せる。
聖悟は医師を目指している。将来は僻地医療に携わりたいらしい。しかし早貴は大病院でバリバリ働きたいと思っていた。
歩む未来が違う。早貴は聖悟をサポートできない。お互いに自分の夢をかなえたら、その時は一緒にいられない。
早貴は必ず訪れる、聖悟との別れに怯えているのだ。だからドライな関係に徹しようとしている。
だったらなおさら…。美夏はまた言葉を飲み込んだ。
「聖悟くんと別れたくないなら、そう言いなさいよ。表情が嘘をついてるよ」
美夏は早貴の背中を擦りながら、早貴を優しく抱き寄せた。
胸と胸が柔らかく接触する。
ああ…。好き。好きだよ、早貴。
美夏の肩が濡れる。早貴は美夏の前でだけは涙を見せるのだ。
聖悟への恋は、叶わない。苦しくて流す涙。
残酷だね。私は私で叶わない恋に震えているのに。
美夏は優しく早貴を抱きしめながら、鼓動が高鳴らないように深呼吸した。
美夏は早貴を友達とは思っていない。感じているのは友情なんかじゃない。
愛情だ。
それを包み隠すように「友チョコ」と名乗った手作りチョコを渡した。
それは甘くて苦くて、少し酸っぱいラズベリー入りのチョコレート。
気持ちが届かない事は分かっている。だけど、チョコレートが早貴の口の中で溶けていく間くらいは、早貴の心を自分だけのものにしたかった。
帰り道、並んで駅まで歩く早貴と美夏。学校近くの緑地公園で美夏は周囲を確認した。
人気はない。今日くらいいいよね?今日くらい。
美夏は心を固めて、唐突に早貴を抱き寄せた。
突然だったので早貴はバランスを崩して倒れてしまう。美夏が庇ってくれて怪我はしなかった。
だけど…。ふわりと頬に触れた感触。
美夏の、くちびる。
倒れたまま、美夏は早貴を強く抱きしめた。
起き上がると同時に、ふたりはあわてて身をはがした。
「ごめんね!」
美夏は何事もなかったかのように振る舞っている。だけど、早貴の顔をみることはできない。
早貴は当たっただけと思っているだろう。だけどあのキスは事故なんかじゃない。かなわぬ恋心から、故意にやったことだ。
早貴を置いて走り出す。その五歩目で足を止めて、美夏は振り向いた。
「また明日ね」
「うん、また明日」
早貴からの返事に、美夏はほっと胸をなで下ろした。いつか早貴にこの気持ちが気づかれてしまう日が来るのだろうか。その時は恋人に…なれないよね。なんだかんだと聖悟くんの事好きだもんね。
でもいつか、気持ちだけは伝えたい。だって、だって…。
美夏はは一人で駅に向かって歩き出す。後ろを振り返って、早貴がいないことを確認して、少し大きめの声で叫ぶのだった。
「言っとくけどそのチョコ、本命なんだからね!」
届かせるつもりのない言葉。ただあなたの事が好きだから。それだけでも幸せだから。
だからいつかは伝えさせてね。あなたが好きだった事。それだけでも幸せだったこと。
たったそれだけを…。
※友チョコじゃなくて百合チョコをタイトルにしようと思ったのですが、検索したら普通に百合チョコという単語があったので断念しました。