【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第67話-梅雨が来た〜少女たちの闘い

 梅雨が近い。日に日に気温が上がり、蒸されるような湿気がシャツを、スカートを肌に貼り付けてくる。厳密に言えば如月中学校の制服は袴スタイルのパンツなのでスカートに見えるだけなのだが。
 坂木紗霧は学校近くの緑地公園でベンチに腰掛け、本を読んでいた。
 木漏れ日の光量は読書にちょうど良く、暑さも軽減してくれている。湿気とは裏腹に風は爽やかだった。
 もう半月もしたら読書を外でするのは厳しくなるだろう。今の間に、この束の間の贅沢を楽しむことにしよう。
 最近手に入れた恋愛小説を読み進めていく。そこには紗霧と同じ中学生たちの純愛が描かれていた。
「学校の勉強もだけど、恋も勉強しておかないとね…初めてだから」
 この前みたいに北村くんが偶然通りかかったらどうしよう。今日は個別指導の準備をしてたから会えるかも知れない。
 本を読みながらも紗霧の足はぱたぱたと止まることなく動き続けるのだった。

「あっつい…もう緑の中で本を読むのも限界かなあ」
 高島理美は緑地公園を散策していた。趣味は森林浴と読書。この緑地公園は理美の欲望を絵に描いたような場所だった。
 山手に行けば大きな神社があり、そこはもっと深い緑に包まれながら読書ができるのだが、いかんせん遠い。
 如月中学校を受験したのは、学校帰りにこの緑地公園で読書がしたいからだった。
「夏が来るまでにたっぷり読んでおかないと」
 そんな独り言を呟きながら公園内を歩いていると、見覚えのある姿に出くわした。
 坂木紗霧だった。
 一瞬眉間に力が入り、心拍が早くなる。北村貴志の隣の席にいる紗霧は、理美にとってた妬みの対象だった。
 何回か貴志を訪ねていった時に、彼の目線が紗霧に向いていたのを確認している。
 胸にもやもやと渦巻く黒い感情を、理美は咳払いして吐き出した。

「好き。好きだよ。すっごく、すっごく、君のこと、大好きなんだよ!」
 いつも明るくて、太陽のような笑顔の少女が、必死に主人公に気持ちを投げかける。
 思春期の得も知れぬ感情の渦の中で、自分自身を見失い、周りと距離をとっていた少年の心をこじ開けようと、少女は思いの丈を彼にぶつける。
 君は一人じゃない。だって私はこんなにも君のことが好きなんだ。
 紗霧は小説の少女に自分を重ね、目に涙をためていた。告白の言葉が胸のうちには留まってくれず、朗読という形で飛び出してしまった。
 その声も鼻声で、思った以上に力がこもっていたのか、自分の声に驚いて紗霧は本から目を離すのだった。
 キョロキョロと周囲を見回して、誰もいないことを確認する。
 ……いた。見覚えのある制服だ。おずおずと目線を上げると、高揚した気分が一気に冷めるのを感じた。最悪の相手だ。
 高島理美がそこに立っていた。
 貴志の事を好きであろう女子が。そして紗霧の勘が確かなら、貴志もきっと高島のような女子は嫌いじゃないはずだった。
「高島さん、今帰りなの?」
 平静を装って声をかけてみる。理美は肯定すると、左手に持った本を顔の隣に持ち上げて、表紙を紗霧に見せてきた。
 やっぱり最後のセリフは聞かれていたのか…。それは紗霧の読んでいたものと同じタイトルの小説だった。

 髪の長さはほぼ同じ。丁寧に揃えられた長さの前髪は真ん中で軽くわかれており、丸い額がちらりと覗くところもほぼ同じ。いや、理美のほうがしっかり前髪を分けていて、額が広く見える。
 洗顔後の保湿もかなり丁寧にしているのだろう。みずみずしい白い肌が輝いている。
 顔の作りは似ていると言えば似ているのか。二人とも中学生とは思えない大人びた雰囲気の美しさの中に、幼い可愛らしさを残している顔立ちだった。
 身長は少しだけ理美が高い。声質は似ていると思う。
 紗霧と理美の決定的な違いは全体的な体のラインが、理美のほうが起伏に富んでいるところだろうか。
 そこだけは努力のしようがない。紗霧は恨めしそうに理美の胸を睨みつけた。
 北村貴志が好きそうな外見の理美に、黒ぐろしい感情が胸を満たしていくのを、紗霧は感じていた。

 成績優秀で大人しいのに、自分の考えはしっかり持っている。いかにも北村くんが好きそうなタイプ。きっと彼はほっそりとした紗霧のような体型の方が好みなのだろう。そこだけは努力ではどうしようもない。
 こじんまりとした紗霧の胸元を憎らしげに見つめて、理美は何回か首を振って黒い感情に支配されそうな思考を冷静に保とうと努力する。
「坂木さんもここで読書してたんだ」
 できるだけ穏やかな声で話しかけてみる。
 笑顔で、できるだけの笑顔で…。そう心がけながら。
 紗霧は国語の成績がずば抜けている事を聞いていたので、読書が趣味なんだろうとは思っていた。しかし、まさか同じ場所で本を読んでいるとは思わなかった。そもそも。
「坂木さんは、私の事を知ってくれてたんだね」
 同じクラスでも顔と名前が一致しない生徒だっているのに、紗霧は自分を高島理美と認識していた。
 少なくとも坂木さんの中で私は覚えるに足る何かがあるってことなの?隣のクラスの、1組から見たら格下の2組にいる私なんかを?
 そう言えば北村くんを訪ねていった時に、坂木さんは不機嫌そうな態度じゃなかったか?
 もしかして坂木さんも北村くんを好きなんじゃないの?
 さて、どう探っていくべきか…。
 理美は考えを巡らせた。しかし先手を取ったのは理美ではなかったのだ。

 紗霧は小説に栞を挟んで本をたたむと、トントンとベンチを軽く叩いて理美の着席を促した。
 敵意は感じない。だけど重々しい緊張感は漂ってくる。恐る恐る隣に座る。
 ベンチの幅はそんなに広くはなく、並んで座ると二人の隙間はさほど開いていなかった。
「私の隣の席にいる王子様に、好きな人が出来たんだって」
 紗霧は淡々と話しかけてくる。まるで貴志に対して興味なんか無いような態度だ。ならどうして私を座らせてまでそんな話題を振ってくるの?
 北村くんが好きな相手が私なんじゃないかと疑ってる?
 駆け引きの似合わない坂木紗霧がこんな風に探るような真似をしている。つまりそれは…北村くんはまだ坂木さんに告白はしていない。
 理美は小さく心の中でガッツポーズを決めた。まだチャンスはあるのかも知れない。
 理美は満面の笑みを作り上げて、紗霧に顔を向けた。
「2組でも話題になってるよ。誰の事だ?って」
 紗霧は理美の笑顔に気圧されるようにのけぞった。こんなにも人を不安にさせる笑顔がこの世にあったのか。
「坂木さんは誰だと思う?」
 理美も自分の気持ちは語らない。ただ誰もが交わしている質問を返すのみだ。
 駆け引きなら負けないんだから。理美はいっそう顔をほころばせ、ニコニコと笑っている。
 
 高島さんのポーカーフェイスは満面の笑みなんだね。
 本の文脈のように心も読めたらいいのに。どうも生身のコミュニケーションを取るのは得意じゃない。
 きっと高島さんは、私が北村くんを好きなんじゃないかと疑っている。
 それは紗霧の勘が的中していたことを意味している。高島理美は、やはり貴志を想っている。推測が確信に変わった。
 私にわざわざ「誰だと思う?」なんて聞いてきたのは、どんな駆け引きだろうか。
 最悪のパターンを考えてみる。北村くんがすでに高島さんに告白していて、2人が付き合っている状態を。

 だったらきっと高島さんはその証拠になる何かを匂わせてくるはずだ。
 そして高らかに勝利を宣言すればいい。その時点で私にはどうすることも出来ないんだから。
 理美の満面の笑みも、同じ本をわざわざ見せてきたことも宣戦布告ととれる態度だ。
 高島さんも北村くんが誰を想っているのか、気づいていないのかもしれない。
 紗霧は頭をフル回転させながら、理美の笑顔の裏側を探ろうとする。
 そしてすぐに考えるのをやめた。こんな不毛な駆け引きをする必要がないことに気がついたのだ。
 もっと簡単に北村くんの好きな人を知る方法があったじゃない。
 そもそも貴志の想い人が誰かを知る必要なんてなかったのだ。北村くんの気持ちが「私」に向いているのか、いないのか…。大事なのはそれだけなのだから。
 紗霧の心の中で、ひとつの決意が固まった。



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