【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第69話-梅雨が来た〜それぞれの夜

 今日は木曜日。北村貴志は自室で一人勉強していた。内科医の母が夕食を作ってくれるのは午後診療のない木曜日だけだった。
 夕食の準備をしなくても良いことよりも、母の作った料理が食べられることが嬉しかった。貴志と言えど中学1年生。まだまだ母の味は恋しいものだった。
「貴志、母さんには言うなよ?」
 PCの画面越しに父が訴えかけてくる。言うとか言わないではない。
「言えないよ」
 リモート通話で父から告げられたのは、母よりも貴志の作った料理の方がおいしいという衝撃の一言だった。
 母は内科医のくせに減塩には程遠い味付けをする。正確に言うと、思い通りの味付けにならないため、最終的にマヨネーズか焼肉のタレをドバドバとふりかけて、調理を強制終了してしまうのだ。
「それで父さんが作ってしまうから、母さんの腕が上がらないんだよ」
 ため息混じりの貴志は、それでも綻んだ口元を隠せない。
 父と話しながら次々と問題集のページを捲っていく。
「貴志、その回答ちょっと違うぞ」
 父が静止し、貴志は問題を解く手を止めた。父の指摘どおりに見直すと、自分が何に引っかかったのかよくわかる。
 今は英語の問題を解いている。父が言うには「言葉はコミュニケーションツールなんだから、喋りながら勉強できるようにならなきゃダメ」らしい。
 それを言い訳に、中学1年生の息子と会話する時間をできるだけ設けようと思う親心など、父は照れくさくて言えたものではない。
「ところで貴志、好きな子が出来たんだって?」
 突然の父からの問いに、貴志は咳き込んだ。滑らせた手元が、ノートに大きな線を描く。あわあわとノートに消しゴムをかける貴志。
 同級生たちはこんな貴志の姿を知らない。裕以外には見られたことのない姿だった。
 いや…坂木さんの前では慌ててしまうことがあったような。
 キャンプ椅子の周りをぐるぐる回った林間学校の思い出が頭をよぎった。
 顔を赤くして頷く息子に、父は「初いやつめ」と微笑んだ。
 どうせバレているならと貴志は開き直って、父に問いかけた。
「父さんは、母さんに告白する時、何て言ったの?」
 息子からの問いに、父は渋い顔で「俺のは参考にならないと思うぞ」と前置きをして、昔話を始めるのだった。

「お父さんに聞きたいことがあるんだけど」
 夕食を終えた紗霧は、洗い物をする父に意を決して問いかけた。
 父は洗い物の手を止めて「どうしたんだい?」と返した。手を止めたのは正解だったかも知れない。次に愛娘から発せられた言葉は、父親としては人生で最悪と言っても過言ではない言葉だったからだ。
「男の子って、どんな風に告白されたら嬉しいのかな?」
 娘の言葉に膝から崩れ落ちる父。その目から血の涙がこぼれ落ちた。もし洗い物を続けていたら、間違いなくシンクは割れた皿の破片にまみれていただろう。
「そんな事聞いて、紗霧はどうするつもりなのかな〜?」
 キッチンに座り込んでしまった父の背を支えてやり、母が代わりに娘の問いに答えてやる。
「どうするも何も、女の子がそんな事聞いたら答えは一つでしょ?
 紗霧も狭霧よ。聞く相手が違うのよ」
 母は父を背中から引きずってソファーまで連れて行く。よいしょと父をソファーに横たわらせて、娘の方を振り向いた。
「朝陽くんはね、告白なんてしたことないのよ!」
 母のその目は恨めしそうな光を帯びていた。
「だって私が告白したんだから」
 紗霧の両親は中学生で付き合い始めて、初恋同士のまま結婚していた。
「プロポーズだって、私がしたんだから」
 母は憤然と父の前で両腕を組んで仁王立ちしている。
「ごめん…美雨ちゃん」
 ソファーの上で三角座りをし、父はスンスンと泣き続けるのだった。
 普段は紳士的な父だが、母の前でだけはどうも弱いらしい。あ、私の前でもか。
 ため息をついた娘に、母が優しく答えを返してやった。
「どんな言葉でも良いのよ。思いの丈をぶつけてあげればいいの。
 言葉なんて、何て言われたかよりも、誰に言われたかが大事なんだから」
 そこで母は父を見やると、「誰に言われたかが…ね」と低い声で繰り返した。
 なんとなく両親の馴れ初めに触れたような気がした紗霧は、その時の情景を想像して、ふふっと笑みをこぼすのだった。
 きっと父は、告白のタイミングで緊張しすぎて何も言えなくなったのだろう。そして焦れた母が耐えられずに告白したのだろう。
 今も二人はとても仲が良い。微笑ましくて、羨ましかった。
 そっか…。お母さんも自分から告白したんだ。
 貴志と並んで見上げた星空。あの時みたいに語彙力が吹っ飛んでしまわなきゃいいけど…。不安を胸に、紗霧は胸の前で拳をきゅっと握った。
 その手には貴志のくれたフクロウの木工細工が握られていた。

 夕食を終えた山村裕は、通話アプリで貴志と話しながら、体幹トレーニングに励んでいた。
「お願いだから、話すときはトレーニングするのやめてくれ」
 貴志のげんなりした声がスピーカーから聞こえてくる。
「息切れがぁ、ちょっとぉ、セクシーにぃ、聞こえる…ん!だろ?」
 イヤホンマイク装着で親友の声は耳元に届いている貴志。もちろん裕の喘ぎ声も耳元で聞こえている。
「細やかな息遣いまで聞こえて、夕食がリバースしそうだよ」
 タイマーの音がして、裕の喘ぎ声が止まった。
「プランク1分10セット完了だ。
 トレーニング中に通話とは、ホントに貴志ってオレのこと好きだよな」
 トレーニング終了から間髪置かずに呼吸が整う裕に感心しながらも、貴志は頭を抱えた。
「裕からかけてきたんだろう?」
 そう言う貴志も通話後にはトレーニングの時間が待っている。少し通話のタイミングが違えば、立場は逆になっていただろう。
 汗を拭いた裕が居住まいを正す。貴志も勉強の手を止めて、通話に集中する。
「ところで、貴志ってさ…いつ告白するんだ?」
 唐突な裕の問いかけに、貴志の時間が一瞬止まった。ちょうど夕食前に父とその話をしていたところだったのだ。
 父は自分の告白なんて、参考にならないと言った。語られた両親の馴れ初めを聞くと、本当に参考にならなかったのだ。
 関係性のスタートラインが全然違った。
「告白って、何て言えば良いのかな?」
 紗霧も同じことで悩んでいることなど、貴志には知る由もない。
 貴志は生まれて初めて打ち明ける恋の、その告白の言葉を決められずにいた。
「知らないよ。知っててもアドバイスなんてするもんか」
 紗霧への告白の言葉など、そもそも裕に聞くのが間違っている。裕だって紗霧に想いを告げたいのだから。
 だから裕は、貴志の告白を待っている。裕の見立てではすでに二人は、お互いを想い合っているはずだから。
 もし自分が先に告白したところで、紗霧がなびかないことを知っている。
「後がつかえてるんだ。さっさと告白してしまえ」
 貴志が「王子様扱いをやめてくれ」と言った時、クラス中が貴志に注目していた。
 裕だけが見ていたのだ。紗霧が明らかに動揺した素振りを見せていたのを。
 きっと坂木さんは溢れ出しそうな気持ちを、貴志に伝えたいと思っていたのだろう。
 胸が苦しくて、裕は再びトレーニングを再開した。
 耳元に届く裕の喘ぎ声に辟易しながら、貴志は静かに決意した。
「明日、坂木さんが個別指導予約してたはずなんだ」
 裕はトレーニングを止めると、カメラの前で親指を立てた。
「頑張れよ。ダメだったときは緑地公園に来てくれ。コーラくらいなら奢るからさ」
 慰めの準備かよ。貴志は苦笑しながらも親友の心根に感謝した。
「もし上手くいったら、俺が奢らせてもらうよ」
 貴志の告白が上手くいくということは、裕の失恋と同義。その時は自分が…。
「なんかお前の告白が、コーラをかけた勝負みたいになってるぞ」
 そう言って裕が屈託なく笑う。つられて貴志も大声で笑った。
 裕はいつもそうだ。重い気分も、空気もなにもかも軽くしてくれる。
 大切な親友と同じ人を想う。その苦しさすら、裕は「コーラ」にすり替えて、軽くしようとしてくれていた。
 
 自分自身の想いと、裕の計らいに恥じぬよう、貴志は覚悟を決めた。
 その夜は緊張して、なかなか寝付けなかった。

 翌朝、貴志は珍しく寝坊する。
 同じく紗霧も寝付けずに最悪のコンディションで朝を迎えていた。
 二人の運命の1日は、こうして始まった。

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