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古代阿波だけにあった貴重な遺物(弥生~白鳳時代)

最近のゲノム解析の研究結果より、四国阿波は、渡来人が早くから来て共生していた地域であると考えられる。太平洋や瀬戸内海航路をまたいで、海洋国家ヤマト国の中核となってきたのであろう。

四国阿波・畿内は渡来人が古くから来ていた地域であると考えられる。
『図解版 人類の起源』より




論語木簡(徳島県観音寺遺跡出土)

観音寺・敷地遺跡出土の木簡


論語木簡とは、四角柱の四面に文字あり、論語の文章の残る最古級の木簡。行政文書作成機関の存在を示唆し、大陸文化がこの地にいち早く直接渡って来たと考えられる。
7世紀の第2四半期にさかのぼる可能性がある。
阿波の国府から出土したが、ここが当時の日本国の首都だったのかも?
他に、勘籍木簡(戸籍の照会した文書)、五十戸税木簡(家を50戸まとめて課税されていたことを示すもの)、「難波津の歌」習書木簡(万葉集を書いたもの)がある。


阿波國造墓碑(徳島県石井町)

徳島県名西郡石井町の中王子神社の御神体、阿波國造墓碑
当時の喪葬令にのっとった現存する唯一?の墓碑である。

墓碑の正面「阿波国造、名方郡大領正七位下、粟凡直弟臣墓」
側面「養老七年(723)歳次癸亥、年立」


漢鏡7期鏡の出土数が多い(阿讃地域)

画文帯神獣鏡は卑弥呼が入手した中国鏡であるとも考えられている。

阿波・讃岐出土漢鏡7期鏡出土地
季刊考古学別冊41「四国考古学の最前線」より
季刊考古学別冊41「四国考古学の最前線」より
萩原1号墓 画文帯同向式神獣鏡
萩原1号墓 やりがんな
(大工道具・船大工道具として利用される)
萩原1号墓出土品


漢鏡7期については、この方の説明参照。


突線袈裟襷文銅鐸(徳島県徳島市国府町矢野遺跡出土)

国内最大級の銅鐸。
同じ文化圏であった阿波と淡路島までを含めると、国内トップレベルの銅鐸出土数がある。近畿式銅鐸の発祥地であるとする説がある。

さらに大型であった八貫渡銅鐸、阿波南部銅鐸群についての考察は、八貫渡銅鐸考(菅原康夫 )を参照。

八貫渡銅鐸考(菅原康夫 )より


加茂宮ノ前遺跡の鍛冶工房跡(徳島県阿南市)

国内最大規模の鍛冶工房が弥生時代中期末にはあった。畿内への供給元であったと考えられる。
農具や、船大工工具としても使える槍鉋などを製作していた。
当時の海洋国家ヤマト国の盟主だったなら、船大工の技術が最も進んだ地域でもあったであろう。



若杉山辰砂採掘遺跡(徳島県阿南市)

若杉山から津乃峰山にかけて、当時最大規模の阿波水銀鉱床群が広がる。


蕨手刀(徳島県旧麻植郡鴨島町)

蕨手刀の中でも古い白鳳期と思われる蕨手刀が出土している。
正倉院に残る蕨手刀と同形式であり、西日本での蕨手刀出土は数少ない。


【江戸時代のおまけ】徳島藩御召鯨船千山丸(鯨取り用の快速船)

日本に現存する唯一の江戸時代製作の鯨船。

万葉集にうたわれる天智天皇の皇后(倭姫大后)の歌、
鯨魚取りの情景:
鯨魚(いさな)取り 淡海の海を 沖放けて 漕ぎ来る船 辺附きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂 いたくな撥ねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 夫の 思ふ鳥立つ

鯨取り船、アワの海(鳴門近海)を、その沖遠くから漕ぎ来る船よ、岸近くに漕ぎ来る船よ、
沖船の櫂よ、ひどく波を立てないで、岸船の櫂よ、ひどく波を立てないで、夫がいとしんだ水鳥が飛び立ってしまうではないか。

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