堀田善衛「戦後エッセイ選 堀田善衛集」影書房
「ゴヤ」「路上の人」「時間」等、独歩的な視点で他を圧倒する小説家、堀田善衛のエッセイ。彼のメッセージは深く重い。本著を通して彼に影響を及ぼした人についても知ることができた。彼をして「スペインの怪物」と言わしめたゴヤは有名だが、魯迅が出てきたことは新鮮な発見だった。上海郊外にある墓地にある魯迅のお墓のタイルに魯迅の写真の眼が残っていたのを見て彼は打ちのめされる。
・魯迅の眼
「心の底まで滲み入るような視線で、僕の心の底を見ていた」
「魯迅の真黒いみたいな絶望と、その底から火をつければ白熱もするであろう「復讐」の青焔のような念々・・この激烈なものを受け取らされた」
「魯迅は実に深い。底のないところで常に怒り、常に苛々していた人である。それだけに情愛も深い人であったに違いないのである。なにしろ、あの潤んだ眼で見詰められて逃げたしたくならない人は・・そんな人とは付き合いたくないものだ。魯迅の眼が、実にちっとも脅えてなんかいないのだ」
・魯迅の顔
「常に悲しみ、怒りつつ悲しみ、呆れながら声を上げ、声を上げながら呆れ、しかも人の心に底のないことを知り、かつ戦い続けた、全くえも云われぬ顔である。鼻のわきから口の両端にかけてくぼみを見ていると、寒気がしてくる。あんなに悲惨で、しかも高貴な顔をして人間は一世紀のうちでも、そうそういるわけではない」
・美について
「美というものは、ちらりとひと目、眺めただけで、『あら、きれいね』なんていう筈がない。それはむしろ、荒涼として物凄い面構えあるものであるだろう。真の恋愛が(中略)人をぎくりとさせ、往々にして死という実在を内在させていることと同一である」
越中富山の廻船問屋、貿易商の息子だった堀田の家には、あの坂口安吾がよく訪れ、堀田の父は「(天皇地方巡訪に対し)いくさに負けたくせに、しゃあしゃあと来やがって!」と言い放っては酒を酌み交わしていた。政治家を好まず、粋に生きる商人だった。
中学校に上がる時に家業が破産し、親戚の楽器屋に下宿していく生活をしたあと慶應義塾に進学するわけであるが、戦中を中国大陸で迎え、戦後の中国を知る氏の世界観は実に深い。
その世界に対する洞察は社会にはびこる薄っぺらい世界観とは格段の差がある。
・世界について
「世界を、世間にすぎぬと覚悟できるためには一つの必須条件があると思われる。それは、自国の歴史を徹底的に知る事、また相手の歴史も、その国の人以上に深く知ることである」
「文化、文明に生粋な物などありえないのである。文化、文明はすべて異質なものとの衝突、挑戦、敗北、占領、同化、克服の歴史なのである。(中略)奈良へ行ってそこに何を見るか。そこに純粋な日本を見る人は、逆立ちした旅行者のようなものだろう。そこにインド、ペルシア、中国、朝鮮の文化・文明が押し寄せてきて、その波の遺していったものを見る人の方が健康な眼を持っているといえる」
・「路上の人」について
「定家の明月記」を研究していたとき、異端派としての法然や親鸞に注目した
「ゴヤ」を書くために南仏を行く中で、キリスト教異端派としての「カタリ派」を発見し、それが「路上の人」の発想につながった。