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【知られざるアーティストの記憶】第58話 Imakokoカフェに行く(下)

Illustration by 宮﨑英麻

*彼は何も遺さずにひっそりとこの世を去った。
知られざるアーティストが最後の1年2ヶ月で
マリに遺した記憶の物語*

全編収録マガジン
前回

第8章 弟の入院

 第58話 Imakokoカフェに行く(下)

「それで、同級生の家は見つかったの?」
「それが、いくら探しても見当たらないんだよ。」

ワークショップをしているグループの中には、Imakokoカフェのすぐ近所に住むKさんがいた。Kさんはイトオテルミーの療術家で、マリもKさんの自宅で施術を受けたことがあった。マリはKさんに、
「あのう、この近くにM山さんというお家があるかご存知ですか?」
と訊いてみた。
「私は20年以上ここに住んでますけど、M山さんというかたはこの辺には居ませんね。何をされているかたなんですか?」
Kさんは彼のほうに向きなおってそう訊き返した。
「ホモだよ!」
彼はぶっきらぼうに吐き捨てるように言った。初対面の人に対する彼の口の利き方に、マリは、そしておそらくはKさんも少しばかり面食らった。結局、彼の同級生M山さんの消息はわからずじまいであった。

「来月、ここでりーさんと一緒に糠袋づくりのワークショップをやるの。みんなでひたすらチクチクするから、よかったらぜひ来てください。」
Kさんはこの日のワークショップに参加しながら、来月自らが主催するワークショップの宣伝も積極的にしている様子であった。マリにも、小さな紙に印刷された手書きのチラシを手渡した。温熱療法が大好きなマリは、すでに数種類の、電子レンジで温めるタイプのホットパットを持っていたが、りーさんの家の前の無農薬の田んぼで採れた米糠で作る糠袋づくりに興味を持った。

りーさんは、Imakokoカフェを拠点とするコミュニティの事務局を務める中心人物の女性で、T山の麓のログハウスに住んでいる。自宅の前に所有している田んぼで毎年、田植え、草取り、稲刈りなどの作業をコミュニティのメンバーたちと共に行ってもち米を作り、餅つきまでを楽しむ。米作りを通した労働と交流の場として、常に自宅を仲間たちに提供しているのだ。マリも子どもたちが小さいときにはりーさんの田んぼで泥まみれになり、またはりーさんちのテラスで皆と共に餅を食べた。

「その日、空いているので参加したいです。」
その場でKさんに申し込んだマリの胸中では、彼のために糠袋を縫い上げることを心づもりしていた。


©Yukimi 若い頃の作品『LAGRANGE POINT JMN-003』より


「白血病の人が、免疫力を上げて再発しない体作りを目指すのにこの糠袋を使うとしたら、どこを温めるといいですか?」
イトオテルミー療術家であるKさんに思わずそう質問したマリの目は真剣であった。

「どんな症状の人も、まずはお腹を温めるのが基本なんですが、その白血病のかたは寒がっていますか?冷えているのかしら?」
Kさんにそう聞かれて、マリは目の前にいる彼に
「寒がってる?」
と訊くと、Kさんは彼に向かって
「ご本人ですか?」
と訊いた。
「そうです。」
彼は躊躇わずに即答した。
「別に寒くはないよ。」
「それならばやっぱり、まずはお腹を温めてください。」
Kさんは療術家らしく、彼にいくつかのアドバイスを伝えた。

すると、マリたちの会話を聞いていたらしい、こちらに背を向けて座っていた女性がふり返って、マリに話しかけた。それは、マリとは初対面の若い女性であった。
「私が今使っている『神宝塩しんぽうえん』というお塩があるのですが、余命1ヶ月を宣告された白血病の患者さんが、そのお塩をたくさん摂るようにしたら回復して生き延びたという事例をネットで読みましたよ。」
それは、藁をもすがりたいマリたちにとって大きな朗報であった。「神宝塩」はマリの周りで友人たちが紹介したり販売をするなど、にわかにブームを起こしていたので、マリも名前だけは知っている、高価な塩であった。マリと彼は彼女の話に耳を傾け、この一期一会に感謝した。


©Yukimi 『LAGRANGE POINT JMN-003』P・8


そこへ、噂をすればのりーさんがひょっこり現れた。
「あ、りーさんだ。」
「あらあら、マリちゃん、どうも。」
りーさんは客として訪れたのではなく、何かのついでに打ち合わせに寄ったというふうで、Kさんやせっちゃんと少しの間話し込んでいた。帰り際にマリのところへやってきて、
「今度、裂き布ではたき●●●を作るワークショップをやるから、よかったら来てね。」
と言って、手に持っていた見本のはたき●●●を振って見せた。
「これはうちにあった不要なハギレを裂いて作ったの。もし家にハギレとか着ない服とかがあれば持ってきてもいいし、私もハギレを持って行くから、手ぶらで来てもいいよ。」
カラフルな布や渋い色の布を取り混ぜて作られたりーさんのはたき●●●は、使うのが勿体ないほどアーティスティックで唯一無二であった。いつものように、ほんの少し和風テイストを取り入れたハイカラさんのようなりーさんのファッションに、そのはたき●●●は絶妙にマッチしていた。その魔女っ子のような匂いを残して、りーさんは居なくなった。

マリは、彼とImakokoコミュニティの濃いめのメンバーとの遭遇を喜んだ。「ネオヒッピー」との隠れた異名を持つ彼女らの姿は、彼にどのように映っただろうか。初めて会うもの同士も自然に打ち解けてしまうこのカフェの特殊な雰囲気の中では、マリの連れが一体誰であるのか、気に留める者は誰もいないようであった。

「りーさんはT山の麓の素敵なログハウスに住んでいるんだよ。」
マリはわざと、彼が必ず興味を持つであろう殺し文句を付け加えた。
「え、ログハウス?」
彼は案の定、目を輝かせた。「ログハウスに住んでいる」という属性を通して、彼はりーさんに興味を持ったようだった。

つづく

★この物語は著者の体験したノンフィクションですが、登場人物の名前はすべて仮名です。


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