【続いてる写経 1086日め】〜奄美大島にある”大師堂”のなぞ
滞在中に気になったこと。
なぜか奄美大島には、大師堂があるのです。
それはマングローブ林で有名な、住用町にありまして、
城弘法大師堂(ぐすくこうぼうだいしどう)といいます。
”城”=グスクと読むのでした。
これは戦前から、上半身を破壊された弘法大師像がこの町に伝えられており、集落の貴重な文化財を後世に伝えるべく、御堂を設けたとのことです。
それも平成22年(2010年)と、割と最近の話でした。
いつ頃のものなのか、なぜ破壊されているのかは、全く不明。
ただ集落に伝わっていたというのはミステリーですねえ。
あれ?
弘法大師様はひょっとしたら、奄美大島に立ち寄ったことがあるかも?
というのも、かつて『天平の甍』という、鑑真和尚が日本へやってきたときの遣唐使船のエピソードに、船に奄美通詞を乗せていたとあったのを思い出したからです。
遣唐使船は、九州出発後に、奄美群島の島々を補給地として寄稿して、それから大陸に向かっていくルートを利用していたのでした。
と言っても、遣唐使船はたびたび航路が変わっていたのです。
奄美大島を経由するルート”南島路”は、鑑真和尚の時代に利用されていました。
空海さんと・最澄さんは「延暦の遣唐使」で、延暦22年(803)に出発したとのこと。
この時代には南路といって、九州より五島列島を経て東シナ海を一気に渡り、揚子江へ入る”南路”となっていたのです。
というわけで、弘法大師、”奄美大島に来たことある”説はあえなく崩壊。
けれども、大師堂、実はすごいところにもう一つあったのです。
それは、霊峰・湯湾岳の頂上付近。
これは事前にちゃんと調べていたらわかったんですが、頂上の奄美の神様を祀った神社途中にあるのだそう。
やっぱり登りたかったわ、この道。
と思いましたが、このルートなかなかのものらしく、上記サイトによるとワタシが行った展望台の鳥居からいくと、往復2時間かかるらしいです。
しかも登った人の感想を見ると、この湯湾岳展望台ルート利用では、
・山道なのでハブが出そうで怖い
と書かれており、
やはり安易なノリだけで行かないでよかったと思いました。
あの鳥居に”呼ばれていない”感じがとてもしましたので、そのカンに従って正解でした。
反対の大和村側からだと遊歩道が整備されているとのことです。
でも、なぜわざわざ、高野山真言宗がここに大師堂を建てたのか。
これはとっても気になりますねえ。
シマには真言宗のお寺はあったかな?
グスクのお大師様像と、関係があったりして。