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囲碁史記 No.7

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囲碁史研究家の視点により、囲碁の歴史を貴重な資料をもとに解説。 No.7は囲碁史記 第124回から第143回まで 大正末期に日本棋院が設立されて以降、第二次世界大戦終結までの囲碁…
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2024年9月の記事一覧

囲碁史記 第135回 本因坊秀哉の逝去

 昭和十五年(一九四〇)、世襲制で最後の当主となる第二十一世本因坊秀哉は、滞在先の熱海…

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囲碁史記 第136回 本因坊戦に向けたルールの整備

 昭和九年に東京日日新聞(毎日新聞)が実力本位制の「名人戦」創設を申し入れ、昭和十四年六…

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囲碁史記 第137回 第一期本因坊戦

第一期本因坊戦の経過予選トーナメント  昭和十四年六月、日本で最も古い囲碁タイトル戦「…

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囲碁史記 第138回 木谷実・呉清源 鎌倉十番碁

十番碁開催のいきさつ 呉清源は昭和十四年から三十一年まで、打込み十番碁を多く行い、打込…

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囲碁史記 第139回 雁金・呉打込十番碁

 読売新聞が企画した木谷実七段と呉清源七段の打込十番碁(鎌倉十番碁)は世紀の対局として…

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囲碁史記 第140回 第二期本因坊戦

 第二期本因坊戦の予選が始まったのは、第一期の関山・加藤六番勝負が終わって十日あまり過…

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囲碁史記 第141回 第三期本因坊戦

予選 第三期本因坊戦の予選が開始されたのは昭和十八年七月、本因坊(関山)利仙と橋本宇太郎による第二期本因坊戦の挑戦手合が利仙の入院というアクシデントで中断され、対応が検討されていた時期である。  第三期の挑戦手合第二局は、広島で昭和二十年八月、原爆投下の日に行われ、「原爆下の対局」として知られている。これについては囲碁史記シリーズではないが、既に紹介しているのでそちらをご覧いただきたい。  今回は第三期の予選と原爆投下による中断して以降、再開後について紹介していく。   

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囲碁史記 第142回 戦後の変革と混乱

総裁・副総裁の退任 明治以降、棋士同士の対立により囲碁界が分裂してきた反省を踏まえ、大…

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囲碁史記 第143回 幻の棋院会館

東華亭事件 東京大空襲で棋院会館が焼失して以来、中断されていた大手合は、昭和二十一年(一…

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