地元愛を育むドイツの”5月の木”
もうすぐ5月1日。この日は、僕が住んでいたドイツではメーデー(労働者の祭典)の祝日。
しかし、それだけの日ではない。ドイツのいくつかの地方では、この祝日の日がちょうど街の伝統的なお祭りの日にあたっている。
これらの地方では、街の中心に高い柱が立てられている。高さは街によってマチマチだが、十数メートルから、高いものでは30メートルを遥かに超える高さになるだろうか。伝統的には木で作られていて、上から下までペンキが塗られている。
その柱には、上の方にリースのようなものが飾られていたり、鉄細工のプレートが付いていたりと、装飾も施されている。
この柱は「マイバウム」と呼ばれるもの。
ドイツ語でマイ(Mai)は「5月」。バウム(Baum)は「木」。つまり「5月の木」という意味の柱で、何年かに一度の5月1日にはそれぞれの街で立て替えを行う。
この立て替えの行事が、春を迎えて夏に向かっていく季節を祝う、伝統的なお祭りになる。
マイバウムの立て替え行事
このマイバウムはだいたい3年前後くらいの周期で新しいものに立て替えられ、その立て替えの日には街の人たちが集まって、ちょっとしたお祭りに。
以前、ある街のマイバウムの立て替え行事に参加した。
この街では、未だに昔ながらの方法、つまり「棒を利用した人力」で木を立ち上げる ↓
先が縄でくくりつけられた2本の木をセットにしてうまく使いながら、人力で時間を掛けて、柱が垂直になるまでゆっくりと立ち上げていく。
*写真の右側に重機が見えているけれど、万が一に柱が倒れたときのための安全装置として配置している。
昔からこの地方では、街の中心部の一等地にあるものは教会と中央広場、そしてマイバウムと決まっている。逆にいえば、マイバウムは教会と広場とセットになりがち。
マイバウムは地方や街によって様々なバリエーションがあって、個性に溢れている。
この街のマイバウムは、写真にあるように少し上の方にマイクランツという若い葉っぱの手織りの輪っかが付けられている。
そして無事に立て終わると、柱の周囲に飾りの草を巻き付けたり、鉄細工の看板プレートをくっつける。
鉄細工の看板プレートは、地元の伝統衣装に身を包んだ地元民を表したデザインだったり、農作業や牧畜の道具だったり。あとは地元の工芸品や、ギルドと呼ばれる地元商工業者の団体のマークだったり。要は「この街といえば」で思い浮かぶものがデザインされている。
こうやって、おらが村のマイバウムをドレスアップする。
大事なことは、同じマイバウムはどこにもないということ。それぞれの街に、個性を持った世界に一つだけのマイバウムが立っている。
ビアガーデンで春の日を満喫
こうやってマイバウムが無事に立ち上がったら、マイバウムの周りにビアガーデンがオープン。
これまでのジメジメした天気の悪くて暗い冬にいよいよお別れを告げて、鮮やかな新緑の下で、家族や友人たちとカラッとした爽やかな春の日を楽しむ。
僕もこうやって、この地域の伝統行事を楽しませてもらった。
ドイツは季節の行事や地域の行事が豊富。そして何よりもそういった行事が現代にもしっかりと生きて残っているので、今でも伝統行事を楽しむことができる。
地域の結びつきを生む
因みに、マイバウムの行事はその日だけのイベントではない。その日に向けて、何週間か前から準備が始まる。
その地域の青年会やボーイスカウトといったものが現代でも機能しているから、街の若者たちが協力して柱を準備する。
マイバウムを盗られるな!
実は、この伝統行事には、ちょっとしたスリルがあるらしい。
数週間にわたってマイバウムをみんなで制作するわけだが、制作途中のマイバウムは街の中のテントなどの中に置いておく。
しかし夜中には、制作途中のマイバウムを盗みに入ってくる、近隣の街からの若者の一団が・・・。
実際には、マイバウムはとても重くて、盗み出すことはできない。でも”盗賊たち”がマイバウムに触ったら、それは“盗まれた”という扱いになるらしい。
そこで、青年団をはじめ街の人たちが交代で、24時間マイバウムの「見張り」をおこなって、”盗まれ”ないようにする。そうやって「重要な役割を与えられた人たち」が、マイバウムを前に語り合いながらともに時間を過ごす。
そうやって街の人たちで守るマイバウム。でも時には隣り街の若者たちの襲撃によって”盗まれて”しまうこともある。そんな”盗まれた”マイバウムを取り返すには、それなりの対価を支払う必要があって・・。若い人たちが納得する対価といえば、例えば「ビールを3ケース(60本)」とか。さすがドイツ。
そんな様子で近隣の街の若者たちの対抗戦と交流が行われ、単なる作業になりがちな行事にドラマを与えてくれる。
他にも、マイタンツ(Maitanz)と呼ばれる、男女のフォークダンスのような踊りをみんなで踊る地方もあったり。これが街の若い男女の交流として、時にトキメキを与えてくれることも。
こうやって、街の人たちはマイバウムにまつわる一連の様々な行事を経験しながら、良い季節の到来を喜ぶ。そして忘れがたい季節の思い出として、自分の人生の彩りをより鮮やかにする。
うーん、よく考えられた行事だなあ。
ドイツ人の友人
「第二次大戦の後はね、伝統的な行事だとかって、見向きもされない時代もあった。みんな戦後の復興と経済成長の波に乗って必死だったから。
でもね、ここ何十年かは、伝統を大事にする人たちがとっても増えてきた。
だって、自分たちの地元や、自分たちの特有な文化に愛着を感じて誇りを持って生きることって、豊かなことじゃない?
経済優先の繁栄や商業主義の先に待っているのは、退屈な社会と退屈な人生だけよ」
マイバウムがもたらす価値
では、ここでまとめを。
マイバウムは、いわば街の真ん中に立っている単なる柱。旅行で通りがかると視界には入っても、意識せずに見過ごしてしまう人も多い。というか、この柱だけを見ても、何を意味しているかを見い出すことは困難だろう。
でも、数年に一回それを自分たちで立て替えて、街の中心に据え付ける。その過程で、地元の人々の繋がりの中に様々なドラマが生まれてくる。
そんな行事に関わることで、その単なる柱は、地元の人々にとって意味を帯びてくる。そして物語を孕んでくる。
そんな行事がもたらす意味や価値には、どんなものがあるだろうか。
■ 若者たちが交流して地元の仲間との思い出を得る機会に
■ 地元の異性との出会いの場に
■ 隣り街の好敵手たちとの戦いというドラマの場に
■ こうやって”地元の繋がり”と”物語”を生み出すことで”地元民”という意識を継承できる
■ 自分は地元の伝統文化を受け継いでいる、という誇りを生む
日本では
ちなみに日本の場合、自分の住みたい地域に住めることは当たり前ではない。日本では会社は終身雇用を保証する代わりに、従業員を世界中のどこへでも勤務させる(引っ越しさせる)ことを命じる権利を持っている。
その結果、過去数十年にわたって「自分で選んだわけではなく、カイシャが指定した地域」に住む人たちが増え続け、地域社会への愛着心や地域社会の繋がりよりも、会社への帰属意識を優先する社会が築かれてきた。
ここでは終身雇用の是非を主張したいわけではないけれど、日本では雇用の安定性を担保することによって、地域社会の解体という代償を払い続けていることは意識しておきたい。
ドイツ人の幸せのかたち
さて、マイバウムにまつわる物語は、こうやって今も脈々と生き続けている。
この写真の人たちは、特別なアトラクションとして参加している意識でもないだろうし、インスタに投稿することを目的に写真に納まっているわけでもないだろうと、僕は感じる。
それよりも、自分たちが住んでいる街で生きることの一環として参加している、という意識では。
実際、彼ら/彼女らが着ている伝統衣装ひとつ取っても、特別なものではなくて日常の一部。
今でも週末には、みんなでこういった伝統の服を着てビアガーデンに行って終日過ごす文化が残っている。さらに、この服を着て普通に会社で働いている人も。
僕
「あれ、今日は特別な服を着て、何かあるの?」
ドイツ人同僚女性
「別に特別な服じゃないよ。今日は着たい気分だったから」
そうやって”僕の/私の村の伝統”を受け継いでいくことは、現代でもドイツ人たちが幸せな人生を送るために重要な役割を果たしていると僕は思っている。
by 世界の人に聞いてみた