郷土文化あふれるドイツの村
今回の記事では、郷土文化にあふれるドイツの村について見てみる。前半は写真がメイン。
そしてそこから、郷土愛について考えてみよう!
地域性のある文化
以前に僕が投稿した記事で、「世界では今後もう二度と、地域性のある文化は新たに生まれないんじゃないか」という考えを投げかけた。
理由は、これだけ世界中で物流も情報伝達もどんどん発達していく潮流を考えると、今後も世界は均一化に向けて一方通行で進んでいくはず。そのため、世界から「地域性」という性質が消えていくだろうと思う。
この記事の主旨は「だからこそ、現在残っている地域性のある文化を大事に後世に残したい」というもの。
それと同じ趣旨で、先日は「地元愛を育むドイツの”5月の木”」の記事を投稿して、今も地域の伝統行事を守り続けているドイツの街を紹介した。
今回は、ドイツの山あいの地方に現代にも残る地域性が光る街並みを紹介したい。
ドイツの山あいの小さな村
地理的には、山あいにある小さな村。すぐ裏には急峻な山が控えている。
訪れた日は、快晴の素晴らしい天気。この地方ではこういう天気をKaiserwetter(カイザーヴェッター、皇帝の天気)と呼んでいる。
村の特徴
(1) 壁の絵
なんと言っても、この村の特徴は建物の壁に描かれた絵。こんな感じの美しい建物がずらっと見られる。
レストランもこんな感じ。
この地域特有の山あいのワイルドな風景を背に、カラフルでダイナミックな絵がとてもマッチしている。素晴らしい。
絵のテーマは何か?
例えば、家の守護聖人や家の紋章。つまり家にまつわるテーマだったり。
または、カトリックの信心深い地域なので、聖書の物語の一場面だったり。
その他にも、日常の生活から狩猟や農民といったモチーフにまで及ぶ。
この家の誰かの子ども時代かしら ↓
(2) 美しい庭
庭もきれいに手入れされている。
村を訪れたのは、今から何年か前の5月。山間の寒いこの地方なので、まだ花が咲ききっていないけれど、咲いたらどれだけ美しいんだろうか。
(3) 壁の飾り
この地方では、家や小屋の壁を飾りつけているところもよく見る。
この小屋は身近な農機具を壁に飾っている ↓
小物たちできれいに飾り付けられた家。木と漆喰の家にマッチしている ↓
木と一体化した家。絵ではない ↓
(4) 馬と鹿
この地方では、未だに馬が健在。でもこれは観光用かな ↓
さらに、山が近いから鹿が身近な存在。
ちなみに、鹿っていろんな種類があることをご存じでしょうか。僕が登山していてよく見た種類は3つ。
最もメジャーなのはヒルシュ(Hirsch)。
ヒルシュは立派なツノが特徴で、その頭を家の外の壁に飾るという伝統がある。
これは、その家の勇気や力、そして技能を示すとされている。あとは、幸運をもたらすとされているとも聞いたことがある。
ヒルシュを飾るには、頭蓋骨+ツノの形態が最もメジャー。登山の時に訪れる山小屋でもだいたい小屋のどこかに飾られている。
ただ、動物愛護の観点から、この伝統については受け入れられなくなってきているみたい。まあそういう時代じゃないよね。。。
他にもレー(Reh)という種類の鹿は、いわゆるバンビのような小柄な鹿。ジビエ料理の鹿はレーが多いんじゃないかな。
あとは、ガムズ(Gams)という動物もいる。ガムズは鹿に似ているものの、分類上は牛科に属するらしい。山によってはよくガムズの群れに遭遇する。やつらが山を降りるスピード、めっちゃ速いで。
三つ子の村
因みに、この地方には何キロかずつ離れて3つの村が兄弟のように存在している。これら3つの村は文化を共有しているから、やっぱりそれぞれ同じような建物が並んでいる。
これは二つ目の村 ↓
三つ目の村も ↓
郷土愛って何だろう
さて。
もし、自分がこんな街で生まれ育ったら、どう思うんだろう。独自の文化を持つ街に対して、やはり強い郷土愛を持つのではないだろうか。
そこでハタと疑問が浮かんだ。
「郷土愛」っていったい何だろう?
世界の色んな国を旅行すると、よくこの手の愛に出会う。自分もしくは自分に近い人や地域に対するパッション。
対象が自分の国であれば「愛国心」。それと同様に「同じ国民に対する誇り」とか。
まあ国民国家の概念が生まれたのはせいぜいここ数百年程度なので、元々はそれほど広くない自分の周りの地域や人が愛の対象だっただろう。つまり「我が村」や「我が地方」に対する郷土愛の方が元祖のはず。
特に、マイナーな国や地域であるほど、「限られた内輪の人や、自分の地域への愛」を目の当たりにする。
人はなぜこんな感情を抱くのだろうか?
「博愛」とは、広くあまねく万人の人々に対する愛であるとしよう。であれば「郷土愛」はある意味でその逆に、限られた範囲に対する愛と言えそう。
となると、郷土愛よりも博愛の方が良さげな愛に聞こえるのに。
そうやって、少し偏った愛にも聞こえる郷土愛。郷土愛の正体とは、なんだろうか?
うーん、と何日か頭を捻って考えたけど、僕にはその正体が浮かんでこない。
「自己やその周辺への愛情」なので、誇りを生むという意味では人々の幸福度を上げる良い面もあるだろうし、一方で時には、偏狭に他者を排除するものにもなり得る。でも、それ以上考えが進まない。
困った時は人と話してみるに限る。よし、息子と話をしてみよう。彼と話をすると、いつも何か気付かされるから。
僕
「寝ようとしてるところ悪いけど、3分だけ時間くれる?あのさ、郷土愛ってどう思う?」
息子
「郷土愛?うん、まあ、良い面も悪い面もあるよね。自分の郷土に自信と誇りを持つのは良いことなんだろうけど、でも悪い面といえば、関西人が関西人であることにナゾの誇りを持っていて、負の面さえも誇りに思ってやまない、とかあるよね」
と、関西人の僕を前に、遠慮がない。
僕
「うん、実は僕も同じことを考えた。で、そこから考えが進まないから、もうちょっと突っ込んで考えられる?」
息子
「うーん、良い面も悪い面もあるってことは、要は郷土愛は郷土愛。つまり、人はそういう感情を持っているものだ、ということしか意味しないんじゃない?」
僕
「むむむ、確かに。じゃあ、自分自身にとっては、郷土愛って何を意味しているの?」
僕が想定していた息子の答えは、自分はドイツに郷土愛を感じるとか、いや、日本のどこそこに郷土愛を感じる、とかだった。
でも、息子の答えはいわゆる「斜め上からの答え」とでも言うのか。
息子
「僕にとっての郷土愛か・・。うん、僕にとっては、帰巣本能以外の何者でもないかな。自分の住んでいたところには帰りたくなるものだし、そして帰ってくると落ち着く。それって帰巣本能でしょ」
なるほど、ストンと腑に落ちた。
つまり郷土愛とは本能からくるもの、ということか。
郷土愛とかっていわゆる保守的なもの。保守的って何だろうかと考えてみると、従来からの伝統とか慣習を重んじる。
そのように、長い歴史の淘汰を経て生き残ってきた伝統や習慣って何から生まれるのだろう、と考えてみると・・。
それは、人々の本能だったり、本能から生まれてくる感情といったものが源になっているのかも。
本能や感情だから、もっと「郷土愛を持つべき」とか「べき論」で考えることはナンセンス。それよりも、郷土愛が湧いてくるような街や人たちに囲まれていれば、自然に湧いてくるもの。
つまり、郷土愛とはあくまでも結果であって、郷土愛の湧き具合を自分の理性でコントロールできるものではない、ということか。
うーんなるほど。
となると、もし郷土愛にあふれる社会を育もうとするならば。郷土愛を持つように人を啓蒙するのではなく、まず最初に本能から郷土愛が湧いてくるように、その地域の独自性ある文化の保護や再生に向けて取り組むことが先決のようだ。
さて、あなたにとって、郷土愛とは何を意味するでしょうか?
by 世界の人に聞いてみた
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?