犬をめぐり富裕層との対立を描く青春群像劇『ほえる犬は噛まない』
まず最初に断っておくと、本作は、犬好きには少々どころか、目を背けたくなるシーンが満載だ。首吊りにしたり、屋上から落としたり、鍋にして食べたりと、どの場面もショッキングで、観ているこちら側は犬の状態が気になって仕方がない。明らかに死んだ犬が映るシーンもあるので、動揺を隠せないし、本当に殺していないのだろうかと心配になってしまう。そんなことも考慮してのことか、映画の冒頭では、「本作に登場する犬は、医療専門家の立ち会いのもとで、安全に管理されています」と説明文が表示される。「本当かよ!」とツッコミを入れたくなるところだが、本作における犬の扱いはこの辺にして、(色々と気になるところもあるが、今回はここまでにして)内容の方に移りたい。監督を勤めるのは『パラサイト 半地下の家族』で2019年のカンヌ国際映画祭でパルムドール賞を受賞したポン・ジュノだ。社会問題を扱い、パク・チャヌク やイ・チャンドン、キム・キドクなどと並び現代の韓国映画界を代表する重鎮だ。本作は、韓国で2000年に公開されたポン・ジュノ監督の長編デビュー作で、『パラサイト 半地下の家族』と同様に、貧富の差をテーマとし、団地を舞台に犬を巡る住民同士のトラブルを描いている。大学院生で教授のポストを狙う、イ・ソンジェ演じる、コ・ユンジュは、団地に響く犬の鳴き声が耳障りで、住民の飼い犬を見つけると、地下の物置き小屋に閉じ込めてしまう。飼い主は市役所に勤める、ペ・ドゥナ演じる、パク・ヒョンナムの元へ、迷い犬の張り紙の許可の届を出しに行くのだが、のちに吠えていたのは、その犬ではなく、別の犬であることが発覚すると、コ・ユンジュは、その犬の飼い主の後をつけ、散歩中、飼い主が犬から離れたところを狙い、愛犬をさらい、団地の屋上から落としてしまう。屋上からそれを見ていた、パク・ヒョンナムは必死に逃げるコ・ユンジュを追いかけるが、もう少しのところで逃げられてしまう。映画の序盤では何が描かれているのかが、さっぱり分からず、犬に対する残虐性ばかりが、目に留まっていたが、物語が進むにつれて、映画の核心部分が見え始めてくる。犬を殺そうとする金のない教授のポストを狙う大学院生、彼の稼ぎだけでは生活が出来ず、働き同棲している彼女、犬を食べようとする団地の警備員、団地の地下を寝床にする住所不定の男。そんな、金銭的余裕がなく、苦しい生活を送る彼らと対立的に描かれているのが、本作の要になっている、犬の存在だ。劇中、ごみ収集のアルバイトをする、コ・ユンジュは住民が散歩している犬を見て、年上のバイト仲間に「それにしても、金持ちだ。あんな高い犬を飼って」と話かける場面がある。本作で描かれている、犬の存在の意味が明らかになる重要なシーンだ。本作では、コ・ユンジュが言っているように、「犬を飼う=金持ち」と捉える事が可能になり、「飼い犬=貧乏人の敵」という、対立軸が出来上がることになる。コ・ユンジュが犬を殺そうとしたり、団地の警備員や、地下を寝床にしている住所不定の男たちが、犬を食べようとしたりするのは、富裕層との対立をメタファー として描いているからだ。しかし、本作が最後までやりきれなく切ないのは、その敵(富裕層)が出てこないところにある。コ・ユンジュは彼女が買った犬を見失ってしまい、彼女と喧嘩になる。そして、彼女が妊娠した事で11年勤めた会社を辞めざるお得なくなり、その退職金を崩して、唯一自分のために買った犬だということを知るのだ。犬を飼っているのは金持ちばかりだとは限らない事を今更ながら理解するのである。繰り返しになるが、本作には、富裕層は出てこない。市役所勤めのパク・ヒョンナムは商業高校を卒業し、もっと勉強していれば、銀行員になれたと後悔しているし、文具店に勤める親友も、毎日店番を退屈そうにしている。それに、コ・ユンジュが屋上から落とした犬を飼っていたお婆さんは、大根を屋上に干している独り身の年寄りで、身なりや所作からしても、とてもじゃないが富裕層には見えない。団地の住人は皆それほど生活水準は違わない者同志なのだ。変わりたいけど変われない、そんな思いを抱えながら暮らしている住民なのである。スクラッチのくじを拾い削るコ・ユンジュや、亡くなったお婆さんから、自分宛に届いた封筒を開けるパク・ヒョンナム。期待をするが何も変わらない。なんとも切なく、やるせない映画だが、当時の雰囲気と変わらない日々を過ごす若者たちの空気感が、なぜか愛おしく感じられる青春群像劇だ。