記憶の引き出し
北海道は冬に突入した。今も外は雪やら北風やらが吹き荒れている。
私は工房で制作をしつつ、長男の嫁としての仕事をもこなしていた。
いや、こなすはずだった。
先週の土曜日、義父の13回忌だった。
子ども達4人と親戚数名が集結して法事の後、ささやかな会食となるはずだったのだが、同じ日に行われる地元の小学校の閉校式に、子どもたちが行きたいと言い出したのだ。
そこは子どもたちが全員通った小学校。
そして私が5年前まで小規模小学校ならではの取り組み、放課後の子ども達を保護者が迎えに来るまでお預かりするという仕事をしていた所だ。
長男の入学から17年間ずっとPTAとして務めた。
子ども達の成長を一番感じた場所だけど、思い出したくないくらい腹が立った事もあった学校だ。
私も行きたい!
しかしその日は法事。
そして私は長男の嫁。
ああ 嫁。
めんどくさいぞ。
閉校式は10時から。
法事は11時から。
絶対間に合わないじゃんか。
でも、やっぱり 行きたい!
ここは申し訳ないが義姉にお願いしようと、おそるおそる電話した。
事情を説明して、一瞬の沈黙の後、
「いいんでない。準備はできてるから、食事だけ食べにくれば。」
ほんの少しの棘を感じたけれど、まあ気にしない。
お許しをいただいて子どもたちと一緒に閉校式に出席することにした。
懐かしい校舎。
げた箱を見た長女ちゃんが
「こんなに小さかったっけ。」と呟いた。
会場は体育館。思っていたより多くのパイプ椅子が並んでいた。
空いているところを探し席に着いたら、隣にいた次男くんが「おっ」っと声を上げた。次男くんの隣にいたのは偶然にも彼の同級生二人だった。
小学生に戻っていく次男くん。
顔はわかるが名前が出てこない私。
すると今度は後方から
「蛍諸さん!」と声をかけられた。
振り向くとそこにいたのは懐かしい先生たちの顔。
だけど
やばい、まったく名前が出てこない。
5人も子どもがいると誰の時の担任だったかも思い出せない。
「蛍諸さん変わらないね~。」
と言われ、うれしいよりも頭の中の記憶の引き出しを全部引っ張り出して、必死に名前を探している私。
だめだ。わからん。
もうこうなったら聞いちゃえ!ってことで、
「先生、ごめんなさい。お名前が出てこないの。」
と一人一人にきいた。
(以前にも書いたかもしれないが、私の名前を憶える能力は著しく低い。
子どもの頃からなので、天性のものだと思う。)
式典が始まり、最初に校歌をみんなで歌った。
しっかり歌える自分にちょっと驚く。
17年間 何かにつけ聴いていた歌声に目頭が熱くなった。
お偉いさんたちのひとつも心に残らない挨拶の最後に、現PTA会長さんのお話があった。
たぶんこんなにたくさんの人の前で壇上に上がることなど慣れていないであろうその方の挨拶は、ほとんど子どもたちに向けてのものだった。
定型文などひとつもない、大きな小学校と統合されて今までと違う環境になっていく子どもたちに、大丈夫俺がついてるからな!と言っているような温かい言葉だった。
最後に現在校生30数名の子ども達がステージに上がり、呼びかけの言葉と合唱が始まった。
曲は
「Tomorrow」
我が家の子ども達も何度も歌っていた曲だ。
さびのトゥモロートゥモローのところまでに、私の目頭がどんどん熱くなっていく。
知っている子は一人もいないのに、一生懸命歌っている姿をあの頃の我が子たちに重ねてしまっている。
そうだ、毎回卒業式で君たちに泣かされていたんだった。
思い出すと更に涙が溢れた。
ハンカチ持ってきていて良かった。
歌い終わった子どもたちに拍手 より一瞬早く
「ブラボー!!!」と言う声があがり それと共にガシャン!という音が響き渡った。
びっくりして音の方を見ると、先ほどのPTA会長さんが椅子を倒しながらスタンディングオベーションしていたのだ。
なんてステキなお父さんなんだろう。
私はその方に向かって拍手した。
式典の後は学校開放でみんな校内を懐かしく見て回っていた。
小さな椅子と机。
黒板にチョークで書かれていた子どもたちの言葉。
夜になると目が動くベートーヴェン。
放送委員だった三男くんが一番懐かしがってた放送室。
図書室で文集を見つけて大騒ぎ。
昔は理科室にあった人体模型が音楽室の物品倉庫にあって、なまら驚いて大笑いした。
気が付くと時刻はすでに正午を回っていた。
急いで実家に向かうと当然のことながら親戚の皆様は食事を終えていて、平身低頭で挨拶をし、義父に焼香して会食の座についた。
無事法事を終え家に帰り、子ども達と久しぶりの賑やかな夕食を取ることができた。
長女ちゃんのパートナーくんが送ってくれたおいしい海鮮を食べながら、おいしいお酒を飲んだ。
当たり前だけど、みんな大人になっている。
小学生の時は話さなかった私の知らないいろんな話ができるようになっていた。
閉校式での児童たちの呼びかけでのルール(誰かが言った言葉から2秒後に次の言葉をいう)とか、先生たちのおかしな行動とか、学校のプールは虫だらけだったとか、二階の一番奥のトイレのお化けとか、30人長縄跳びが成功したこととか。
そして、あの頃小学生の君達が思っていた親の事。
「かあちゃんはいっつもすぐ泣いてたよね。」
「応援の声が大きすぎだったよね。」
「PTAやりすぎだったっしょ」
「自分の子もいないのに今日も泣いてたね。」
私が思っているよりずっと子どもたちは私の事をよく見ていたんだなって知った。
5人の子育てと仕事、PTA、子育て支援活動。
なんであんなに忙しくしていたんだろう。
今思えばなんて余裕のない母だったのだろう。
ちゃんと君たちを見ていたんだろうか。
ちゃんと話を聴いてあげていたんだろうか。
少しの後悔がよぎった。
だけど、
運動会で走りながら私を見つけてピースしたね。
気持ちを伝えられずに机の下にもぐってしまったよね。
学校へ行きたくない気持ちを正直に言ってくれたね。
30人縄跳び見に行けなかったんだよ ごめんね。
先生が辞めちゃうって泣いて私に抗議したね。
そして、
今日の合唱の時のあの子たちみたいに、君たちも一生懸命前のめりになって大きな声で歌っていたよね。
名前は憶えられない私だけど、君たちの笑顔は頭の中の引き出しに大切にしまってある。
探さなくても、いつでも取り出せる
一番手前の引き出しに。
久しぶりに笑い声が家じゅうに響く 楽しい夜だった。
義父の13回忌だってのに、孫のだれもじいちゃんの話しをしなかったけど。
許してね、お義父さん。
したっけ
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