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夕暮れ時にゆっくり読みたい物語たち

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2021年2月の記事一覧

枯れない花を抱いて歩く

 緑の細い茎を水中に浸し、ハサミを持つ手に力を入れる。わずかな抵抗は一瞬で崩れ先端からニセンチほどが皿の底に落ちた。声を出さずに三秒数える間、斜めの切り口が水を吸い上げる様を想像する。
 茎から花びらのように見える青色のガクへ。手まりのようなアジサイの、花だと思っていた部分は装飾花と呼ぶのだといつもの花屋さんが教えてくれた。本物よりもお飾りのほうが華やかだなんて。やがて水は、ガクの中心に慎ましやか

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先をゆくあなたは、ずっとわたしの憧れなんだから

先をゆくあなたは、ずっとわたしの憧れなんだから

あなたと初めて会ったのは、16年前だったかな。

わたしがまだ特許翻訳者の見習い、あなたは弁理士になって数年のころ。“はじめまして”は、翻訳スクールの講座だったよね。

あなたの第一印象は、柔和で穏やかなひと。わたしがもっていた『女性弁理士』のイメージをぬぐいさった。

スクールの帰り道、あなたは翻訳者見習いのわたしに、気さくに声をかけてくれたね。おそれ多いなと思って言葉を選んで話したのを、いまで

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君について覚えていること

君について覚えていること

君の爪はいつも綺麗に切り揃えられていた。きっと丁寧に磨いていたのだろう、君の爪は私のそれよりずっと艶があった。

君の部屋はいつもそれなりに片付いていた。長めの髪の毛が落ちていたことは一度もなかったし歯ブラシも一本だけだったけれど、洗面所にはコンタクト液があった。君の視力は1.5だと、いつか自慢されたことがある。

君と私は友達といえるほど近くはなくて、でも知り合いと呼ぶよりも少しだけ密度が高い、

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