夏を迎えに行ったら、想像を遥かに超えた夢の世界が広がっていた
2021年7月22日(木)
「迎夏」夏と朗読 @新宿MARZ
あの日のことをこれから絶対に忘れてはいけないと思って、一年前にアカウントだけ作ってずっと放置していたnoteを久しぶりに開いて文章を打っている。
とにかく、過去になっていくのが怖かった。観劇後の興奮を出来るだけ忘れたくない。忘れないようにしていても、日が経って過去になるとどうしてもあの瞬間の熱は冷めてしまい、「あの公演、良かったね」なんて薄っぺらい感想しか残らないこともある。そうはさせない。細かいことも、一瞬の出来事も、絶対に忘れたくない。忘れない。
本当は書き残すか迷った。この体験を自分の中で留めておきたいという自分勝手な思いと、こんな素晴らしい世界がこの世にあったということと、表現を追求し、伝えることを諦めない人が存在していることを誰かに知ってもらいたいという思いが交錯した。迷った結果後者を選んでこれから拙い文章を打っていこうと思う。
俳優の藤原季節さんを好きになってからまだ僅か数ヶ月であるが、このタイミングで運良く彼の朗読企画に参加することができた。
ある映画を観て突然藤原のシーズンが到来し、最近は彼の出演作や過去作にどっぷりのめり込んでいた。彼を好きになった経緯については話し出すと長くなるので今回は割愛する。また機会があれば書きたいと思う。
今回は、自分でも驚くくらいいろんなタイミングが重なった。
個人的な話になってしまうが私はシフト制の仕事をしている為、休みを取りたい日は前もって希望を出さなければならず、急遽発表されるイベントにはほとんど参加することができない。そしてこのご時世の中なのであまり大声では言えないが、遠方である。この状況下なのでイベントの参加や舞台の観劇などを何度も見送ってきた。
しかし朗読が行われる7月22日、なんとたまたま休み希望を出していた日だったのだ。特に予定はなかったのだが、何となく世間の4連休に自分も働くのは怠かったからそこで連休をもらっていた。
そしてチケットが発売された6月12日、たまたま休みだった。取りにいける。ものすごい運命的な何かを感じた。
会場は新宿MARZ、学生の頃にライブで一度訪れたことがある。会場はかなり狭かった記憶がある。座席が置かれるから定員は100人くらいだろうか。やばいぞ、これは争奪戦になる。
このご時世なのでかなり迷ったが、こんなに運命的にタイミングが重なることってあるだろうか。ごめん、チケット取れたら行かせてもらう。誰に謝ってるのか分からないけど謝る。
謝りながら迎えたチケット発売日、なんと二部共取れてしまった。スマホを触る指先が震えた。生きなければ。生きて、当日を迎えなければ。
慌ただしい日々だったのであっという間に当日を迎えた。今回朗読される夏目漱石の夢十夜を読みながら向かう。
新宿に着いて、友達と合流。初対面なのに話が弾むのは推しのお陰。推しの話をするのは、やっぱり楽しい。でもあと数時間後には朗読が始まると思うと緊張して、私も友達もプリンを食べるのに1時間かかって2人で笑った。
会場に着く。会場は地下にあり階段を降りて入る。地下ってなんか良いよね。現実世界を遮断するみたいで、開演前なのに既に夢の世界に潜り込んだ感覚があった。
会場を見て驚いた。なんと座席が50席しかないのだ。一部と二部合わせて100人しかこの公演を生で観れる人はいない。私のように一部二部両方観る人もいるだろうから実際の人数はもっと少ない。震えた。とてつもなく貴重な空間に、私は来てしまった。
後ろの席だったが、ステージはかなり近い。ステージには椅子が2つ、客席から見て右側にギターが置いてあり、左側の椅子には白い布が覆ってある。劇中で使われるのだろうか。
綺麗な青い照明がステージを照らし、幻想的な音楽が流れている。今回の劇中音楽を務めるのは羊文学の塩塚モエカさん。期待しかない。
ステージを眺めていたら幕が上がった。遂に始まる。
すると、椅子の上に置いてあった白い布がもぞもぞと動き出した。なんと、私が白い布だと思っていたものは椅子で眠っていた藤原季節さんだったのだ!!!私たちが会場に入ってからずっと、彼は舞台の上で眠っていた。夢の世界は、開場した時から始まっていたようだ。
開演数秒でこの衝撃。この構成凄すぎる。どこからこんなアイデアが降ってくるんだろう。まだ本編が始まっていないのに既に「最高!!!!!!」と叫びたくなってしまった。
初めに藤原さんからご挨拶。「夏と朗読」というタイトルを見て、「夏」が夏目漱石の夏でもあるなと思ったという話。もしかしたら夏目漱石も観にきてるかもしれない。もしかしたら今隣に居る人が死んでるかもしれない、分からないけど、そういうことをあやふやにしていきたい、というお話。これを聞いた時に多くの人が彼の出演作である映画「くれなずめ」や「のさりの島」を思い出したのではないだろうか。私も思い出して思わず顔がニヤける。
「突然ですが、一度目を瞑ってみませんか?目を瞑って、僕の言葉を瞼の裏で想像してみて下さい。」と呼びかけられてゆっくり目を閉じる。会場が暗転する。暗闇の中で、想像する。夢十夜の第一夜を彷彿とさせる幻想的な言葉、夢十夜に出てくる様々な単語が散りばめられ一気に夢の世界へ引き込まれた。え、これ自分で考えたの?すごくない?
「さあ、ゆっくりと目を開けて」目を開けるとステージに藤原さんの姿はなく、ギターを持ったモエカさんの姿が。音楽で感じる夢の世界。なんて贅沢なんだろう。
朗読が始まる。今回朗読された夢十夜は10の物語からなる短編である。時間的に全部は読めないだろうと思っていたので、どんな構成で朗読されるのかが楽しみだった。順番通りなのか、順番を変えるのか、そしてそこにどうやって音楽が混ざり込んで融合されるのか。
1番初めに朗読されたのは第十夜だった。これはちょっと予想外だったが後の構成を思うとものすごく納得できる始まり方だった。凄い。
そしてもっと驚いたのが、彼は手にマイクしか持っていない。朗読と聞いていたので本があると思っていた。何も見ていない。物語が彼の中に全て入っていて、表情や動作を混ぜながら全身を使って私たちに伝えてくる。
あの文章を全て覚えたのかと驚く。難しい言葉も多い。しかし彼が発する言葉はとても明瞭に聞こえ、耳にすんなりと入ってくるし、原作を読んだ時に想像することが難しかった部分もはっきりと想像できるくらい、情景が浮かんでくるのだ。そして、温度や匂いも感じられる。彼の表現力に驚愕した。
舞台の使い方もとても良かった。突然後ろから登場してきたり、椅子に座ったり、椅子の上を歩いたりしながら。時には椅子の前に置かれた石に座ったり、その石の周りをぐるぐる回ったり、石を抱きしめたり、その空間にある全てを使いながら物語を表現していた。
夢十夜はいろんな人物が登場する。彼はその人物を全て一人で演じている。これは、朗読劇じゃないと思った。朗読の域を遥かに超えている。朗読劇、演劇、芝居、舞台、芸術…どんな言葉でも形容できない気がした。
そして、舞台の上で躍動する彼がとても楽しそうに見えた瞬間がたくさんあった。本当に心から演劇を愛していて、そして演劇にも愛されているんだと思った。
物語の間で演奏されるモエカさんの音楽も素晴らしかった。しっかりと物語とリンクしていて、一体どうしたらこんな歌詞が浮かぶんだろうと驚愕した。柔らかく、優しい歌声が夢の世界を包み込んでくれた。
そして劇中の効果音もとても印象的で、音でイメージできたこともたくさんあった。
2人とも、一体どれだけの時間をこの作品に費やしたのだろうか。藤原さんは先月まで別の舞台に出演していたのでこの朗読への本格的な準備期間は1ヶ月もないように思える。こんな短期間であの物語を全て覚え、舞台の構成を考えて、衣装や小道具の準備など。なんだか髪型まで計算されているように思えた。そして何度も何度も反復して稽古する。それはとてつもなく孤独な作業だと思った。今になってこのツイートを見返すと泣けてくる。
あっという間に物語は進み、最後に演じられたのは第一夜。先日公開された記事で藤原さんが1番好きだと言っていた。私も大好きなお話で、この物語が好きな人は多いと思う。
あまりにも美しく、そして儚い世界が目の前に広がる。思わず息を呑んでしまう。そして、藤原さんに何かが憑依していた瞬間が絶対にあった。ものすごい瞬間を目撃してしまった。私の語彙力では言葉にできない。とにかく、凄まじかった。
舞台上で一度も目を合わせなかった2人が、この時一瞬だけ目を合わした瞬間が本当に美しかった。ずっとずっと終わらないで欲しい、夢から醒めたくないと、あの会場にいた人たち全員がそう思ったに違いない。終わってしまう、嫌だ。ずっとここに居たい。そう思いながら見つめていた。
最後、藤原さんは墓石を大切に抱きしめながら眠りについた。
幕が下り、夢の世界が終わりを迎えてしまった。アナウンスが入るまで拍手が鳴り止まなかった。
終わってからしばらく立ち上がれなくなった。気付いたら友達が席まで迎えにきてくれて、隣を見たら列に私しか残っていなかった。本当に立てない。そして歩けない。階段が登れない。なんとかして動こうとして身体を動かすが、足元がふらついて真っ直ぐ歩けない。
それでも不思議とお腹は空いていて、友達と食事に行ったが2人とも放心状態。私はグラスも持てなくなるし、食事が噛めない。シーザーサラダが噛めない。ちょっと笑ってしまった。こんなことあるのか。
素晴らしい作品を観た後は余韻がすごいことになるけど、ここまで全身が動けなくなったのは初めてで戸惑った。とにかく、凄いものを観てしまったと思った。
そして、私は凄い人を好きになってしまったようだ。
食事を終えて(結局全然食べれなかった)新宿の街に出る。信号待ちをしていたら友達が「月が綺麗!」と言ったので空を見上げたら、ビルとビルの間から本当に綺麗な月が見えた。藤原さんとモエカさんが作った夢十夜の世界が一瞬で甦る。今日この日に、こんな綺麗な月が見えるなんて。しかも街中で。なんて運命的なんだろう。気付いたら私も友達も泣いていた、新宿のど真ん中で。
その時、私はある事に気付かれされた。最近、全然空を見ていなかったと。何かに追われて、ただ毎日を淡々と過ごしていた。そしてずっと下を見て生きていたんだと。
この日の月も友達が教えてくれなかったら見逃していたと思う。そんなことを思うとまた涙が溢れてきた。
友達と別れて帰路につく。いつも移動中は絶対に音楽を聴くくらい1人の時はイヤホンが離せない私だが、この日は何も聴かずに帰った。ただひたすら、あの夢の世界の余韻に浸っていたかった。ずっとふわふわしていて、でも思い出すと泣いてしまいそうになって、気付いたら家に着いていた。ふと空を見上げると、また綺麗な月が私を照らしてくれていて救われた。
寝てしまったらこの日が終わってしまうと思うと寂しくて、寝たくなくなって、結局夜中の3時くらいまで起きていた。その後何度か目を覚まして、しまった!寝てしまった!と思った。ずっとずっと続いて欲しかった。夢の世界を終わらせたくないと思った。
余談だが、私は第七夜が1番好きだ。かなり簡単に要約すると、行く先の分からない船に乗っている人物が、人生に絶望して海の中へ飛び込んで死んでいく話。私はどうしても、この人に自分自身を重ねてしまう。10代後半〜20代前半の自分と重なり、苦しくなる。
そしてこの1年半ほどは、この物語のような瞬間が自分にも多くあった。先が見えなさすぎて、そして暗すぎて、自分はこれからどこに向かうんだろう、何の為に生きるのか、生きていきたいのか、ずっと分からなかった。多分今も分かっていない。私も絶望していた。
そんな瞬間が何度もあったが、大好きな映画やドラマ、音楽、好きな俳優さん、もちろん藤原さんにもたくさん救われてここまで生きてこれたと思っている。
だから、今回の朗読で藤原さんが第七夜を演じて下さったこと、それを生で感じられたことが本当に嬉しかった。私はまだ船から飛び降りていない、だから今日ここに来れて、この素晴らしい舞台を生で観劇できた。生きていて良かったと心の底から思った。
きっとこれからも、飛び降りてしまいたいと思う瞬間が何度も訪れるだろう。人生の先は見えないし、未来は暗い。世界は醜くて、とても汚い。でも、生きていれば今日のような素晴らしい瞬間に出会える。生きてさえいれば、きっとまた訪れてくれる。そんな大きな希望を感じることができた。藤原さんとモエカさんが届けてくれた夢の世界は、私のこれからの人生の希望になった。
この公演を観て、なんだか自分が少し強くなった気がした。大丈夫、私はまだ生きていける。今なら何でも乗り越えていける気がする。辛くなったら、また死にたくなったらこの日のことを思い出せば大丈夫だと強く思った。
この日のことを強く抱き締めながら、これから生きていこうと誓った。
翌朝、配信のアーカイブを観た。昨日私はこの空間に居たのかと思うとなんだか不思議な気持ちになった。配信でも舞台の熱がかなり伝わってきたが、あの瞬間、目の前で広がっていた世界や空気や熱を、生で、そして全身で感じる事ができた時間はもう二度と返ってこないと思うと急に寂しさが襲ってきた。絶対に忘れたくない、忘れちゃいけないと強く思った。
同時に、配信で何度も見返せた事に心の底から感謝した。25日の配信終了間際まで堪能させていただいた。終わった後、外に出て空を見上げたらこの日も綺麗な月が出ていた。思わず棚に眠っていたカメラを引っ張り出して写真を撮った。第一夜のあの情景が浮かび、また泣いた。
こちらこそ、ありがとうございました。