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ひさしぶりの、絵本の仕事。【手神さまへの手紙⑤】
ひさしぶりに依頼があり、絵本のための小さなお話を書きました。
諸々の事情でお話を書く仕事を離れて、6~7年は経っていたと思います。
それが先日、当時おつきあいのあった出版社の方からご連絡をいただき、3歳児向きのお話を書きました。
一冊の絵本ではなく、雑誌のなかのお話コーナー。
少ないページ数で絵本の体裁をととのえなくてはならないので、一冊ものをつくるときとは少し思考方法がかわります。また、3歳児という対象年齢をきっちり意識する必要のある雑誌でしたので、過去の仕事や自分の子育てを思いだしながら、勘を取り戻していきました。
OKがでるまで、結局、お話を3つ書きました。最初の2つは、3歳児には少し難いのではないか……という編集サイドの判断で書き直し。
最終的には、「すっごくいいです!」といってもらえるお話が書けたので、ほっとしました。
おまけに、2つ目に提出したお話は、年長児向きの別の雑誌で採用していただけることになり、嬉しいかぎり。
ひさしぶりのお仕事、とても楽しかったです。
依頼を受けて、お話が本の形になるまでには、当然、先方と何度もやりとりをすることになります。
今回でいえば、お話そのものを二度書き直したわけですが、進めることになった3つ目の原稿についても、やりとりを重ねながら、細かいところを何度も書き直していきました。
「同じようにみえて、少しずつ違う世界」がいくつも生まれていく──わたしはその作業が嫌いではありません。
なんだか、パラレルワールドを描いているような氣持ちになるのです。
ほんの少しだけセリフが違う。
ほんの少しだけシチュエーションが違う。
雑誌のなかの、ごく短いお話でもそうですから、もっと長い読み物などを書くときには、その「少しずつ違う世界」のバリエーションは、ぐんと幅が広がります。
少しずつ変化するお話を書いていくうちに、最初とは大きく異なる世界になっていくこともあります。
舞台がかわったり、出会う相手がかわったり。主人公がそこで何を思い、何を学ぶかもかわっていくので、「同じだけれど、全く同じではない」人物像が、いくつもいくつもわたしの心に描かれていきます。
そんなふうに、自分のなかにいくつもの並行世界を再現していると──ああ、きっと現実世界も同じなんだろうなぁ、という氣持ちになります。
わたしの書く物語に、いくつもの並行世界があるのなら、わたしの生きる現実にだって、同じように並行世界が存在する──そう捉えるのは自然なこと。
そのなかから、たったひとつの世界を選んで、わたしは、いまここにいる。
よく、「もしも」なんて存在しないよ、といわれることがありますが、わたしはむしろ、世界は無数の「もしも」でできているのだと──そんな氣がしてなりません。
「もしも、あのときこうしていたら……」という「選ばなかったほうの現実」は、いまも、ちゃんとどこかに存在していて、ただわたしがそっちの世界に「いる」ことを選ばなかった、というだけ。
それは、本にはならなかった、けれど確かにわたしが書いたいくつもの「少しずつ違う」お話に、やっぱりすごく似ているなあと思うのです。
ケンブリッジ大学のバーバラ・サハキアン教授の研究によると、「人は一日に最大で35000回決断をしている」そうです。
何を食べるか、何を着るか……というちょっとした決断から、人生を左右しそうな重大なものまで。
そのたびに「選ばなかった」並行世界が生まれていくことをイメージすると……宇宙の膨らみかたって、果てしないですね!
その果てしなく膨らむ宇宙のなかの微小な点である「いまここ」に、自分が生きている──その不思議を大切に味わいつつ、これから先どんな選択をして生きていこうか、ということに思いを馳せると、心が明るく軽くなります。
だって、選択のたびに、住みたい世界を自由に選んでいけばいいのです。
一日に何万回も、自分が「こう進みたい」と願う道を、選ぶチャンスがあるのです。
選択のすべてを意識する必要はなくても、ふと氣がついたとき、ああ、自分は明るいほうへ進むのだ、と思えると、心はとても軽くなります。
逆方向に進んでしまったなあと思ったときでも、次の選択で、好きなほうに進みなおせばいいんです。
一日に35000回。好きなように、自由に進む。
生きるって、そういうことなのですね!
ところで、最近の選択で「よかったなあ!」としみじみ感じているのが、「#手」の記事を募集したことです。
年末に思いがけず記事を募集することになり、実は募集したわたし自身が、結構驚いていたのです。
というのは、あの記事を書き始めるまで、募集のことは全く頭になかったんです。それが書き始めたら、あれよあれよというまに、募集記事になっていました。
「手の記事を募集する」という並行世界に、記事を書きながら移行した感覚です。
そしてその道を選んだことで、わたしはずっと探していた、いくつかの「扉」をみつけた氣がするのです。
せっかくみつけた扉ですから、そちらの世界に進んでみようと思っています。
そして、そこでみたものを少しずつ記事にして、みなさんに届けていかれたらいいなあと思っています。
上手に書けるかなぁと、少しどきどきしますが──ためらうかわりに、それが書ける世界へと、どんどん自分を運びながら。
さて、今回は「絵本の仕事」にちなみ、小説や詩など、フィクションの形で「手」への思いを届けてくださった記事を3つ、「手神さまへの手紙」のマガジンから紹介したいと思います。
まずはこちらの一篇。
月乃さんの、「小説|魂をさわる手」。
企画へは小説で参加してくださいましたが、月乃さんは、美しい言葉をnoteの世界に散りばめられる詩人さんでもあります。
一粒一粒の言葉を、手にした宝石のように大切に扱われる月乃さんの世界。その魅力が、ご紹介する小説にもあふれています。
小説の舞台は、病院の診察室です。
その空間を描写する、下の一節がわたしはとても好きです。
私と先生の半径1メートルの世界には、真っ白なコットンのような手触りの言葉と春の日差しのような眼差しだけが存在している。自然と重なり合う鼓動はいつも心地よい旋律を奏でていた。
実際には耳には届くはずのない「先生」の鼓動。
けれど、それが「私」の鼓動と重なり合うのが、とても自然なことに感じられる。心地よく響くその音が、こちらまで届くような氣持ちになる──。
心情が、風景に愛おしく織りこまれた月乃さんの文章。
素敵だなあと思います。
小説の続きは……どうぞ月乃さんのお部屋で!
こちらも小説を寄せてくださいました。
ハナコプターさんの、「【小説】私の身体がきえるとき」。
冒頭付近から、引用します。
それは同僚とのランチの途中。突然の出来事だった。
「えっ…
麻智子は、自分の左手の小指がなくなっているのに気付いた。
(中略)
「マチ?どうかした?」
様子のおかしい麻智子に、同僚の久美が声をかける。
「んーん、ちょっと目にゴミが入っただけ」
なんとなく、隠した方がいいと思った。
(中略)
どうにも不思議なことに、久美は麻智子の小指のことに気がついていないようなのだ。
(中略)
自分だけが小指がなくなったように感じているのか。
そこから麻智子は、ひたすらいつも通りを装った。
「喪失」がテーマだと思われる作品です。
体が失われていく。
それとも感覚が失われているだけなのか。
あるいは、失われているのは心なのか、他者との共感なのか、未来なのか、過去なのか──。
解釈のあり方で全く違う作品になり得るし、どう解釈するか、そのものを味わうことが醍醐味の作品かもしれないと感じました。
noteを始められて、まだ半月のハナコプターさん。
独特の世界を描かれるnoterさんのようです。
交流させていただくことで、興味深い化学変化を味わえる世界だと感じました。
作品、これからも楽しみにしていますね!
続いては、詩のご紹介です。
乃井 万さんの、「【詩とエッセイ】『手は心の表現者』」。
詩のご紹介……と申し上げましたが、部分的に抜き書きするのがためらわれましたので、引用は、後半のエッセイから。
『手は人を殴るために進化した』
そのような説があるそうです。
(中略)
人間の歴史は、戦いの歴史でもあります。
他人の利権を奪って自己の地位を上げる。
そのために、どれほどたくさんの戦いがあったことでしょう。
それはすべて人の手によって為されたことに他なりません。
直接振るうだけでなく、間接的にも武器となってきた『手』。
悲しくも感じますが、それが歴史的事実です。
殴るために手が進化した。その説を、わたしは初めて耳にしました。
衝撃的な言葉ですが、乃井さんの記事を読んでいると、氣持ちが次第に落ち着いていきます。
刃物だって、車だって、使い方次第で人の益にも凶器にもなり得ます。
それならば、わたしたちは与えられた「手」を、どう使っていくか。
記事は、こんなふうに結ばれています。
もしかしたら手は、相手を傷つける武器として進化したのかもしれません。しかし武器として生まれたとしても、使い方ひとつで武器は武器でなくなります。
それをどう利用するかは、これからの私たちにかかっています。
手は、心の表現者ですから。
手で何を表現するかを、わたしたちは選択できる。
一日35000回の選択で、わたしたちは、わたしたちの「手」の価値を創造していくことができる。
明るいほうへ。軽いほうへ。
みなさんと、手をたずさえて、ともにそういう世界に進めたら──本当に幸せだなあと思っています。
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企画に賛同してくださったみなさまに、心からお礼を申し上げます。
みなさんがお寄せくださった記事を、引き続き、毎回できるだけひとつのテーマに沿いながら、順次ご紹介していく予定です。
すべての記事のご紹介には少しお時間をいただくことになりますが、ゆっくりと楽しみに、お待ちくだされば幸甚です。
また、企画に参加したつもりなのにマガジンに収録されていない、という方がいらっしゃいましたら、ご面倒でもくりすたるるまでお知らせください。どの記事のコメント欄からでも結構です。
みなさんの「#手」の記事を収録したマガジンです。↓↓↓
「てがみさま」について、最初に書いた記事はこちらです。↓↓↓
「#手」の募集記事はこちらです。↓↓↓
「手神さまへの手紙」紹介記事のシリーズはこちらです。↓↓↓