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SABRINA vol.14


2024年は開始早々物凄く奇妙だったと思う。
まず1月1日にヨーロッパに向かった関係で日付変更線を過去に向かってまたいだので大晦日とハッピーニューイヤーを二回経験した。外国人が多い機内でも、勝手に僕が外国人がノリが良いという偏見を抱いていただけで特に何か起こるわけでもなく、横にいた背の高い白人のおじさんが自分の手元にある飛行機のモニターの写真を撮っていた。もしかしたらそこに日付変更線を跨いでいるようなアニメーションみたいなものがあったのか、もしそれがあるならば僕も撮りたかった。
そして、無事フランスの国際航空に着くと日本での地震のニュースが散々時差で僕の手元に届いた。何も情報が届かない遙か上空にいる間に自分の国がおかしくなっている感じが何とも言えない気持ちになった。

それから正規か詐欺かわかりもしないタクシーに乗って自分の宿に着いた時に自分は本当は今回ヨーロッパにファッションウィークで来るべきじゃなかったとすぐに理解した。
もしかしたらもっと自分が前に出たい人なら納得するのかもしれないことを自分がわざわざ大陸を横断してまでやるべきじゃなかったと思った。そういう意味で今の自分にはモデル業界で必要とされているような前に出ていくような勢いみたいなものはまるで無く、ただただ何にも出なくなったヤツだと言われるのが嫌でわざわざ島国から来た馬鹿野郎なんだと思う。
本当はそんなみんなが知ってるか知らないかで言えば世界のほとんどの人が知らないショーに出ようが出まいがこの先何も変わらない。むしろ踏ん切りをつけずにダラダラと変わろうとしない方にこそ問題がある。
そういう意味で僕は前のシーズンから半年間で新しいアイディアとユニークな人たちに会えたんだと思う。もしかしたらそれはもっと最近の出来事かもしれない。とりあえずここまでくる航空券を予約した後に感じたことが大きかったからそれ以前の感覚が現地についてから通用していない。

来てしまったものは仕方ないなぁ、といった感じで頭をぽりぽりかきながらベットでパソコンを叩いているのが今の僕で、今自分をまだやる気を出させるためには今やってることをちゃんと最後のつもりでやってしっかり最後にすることしかなさそうだなと思ってはいる。僕は物凄く流動的で気まぐれだと思う。
とりあえずぼんやりとした気持ちでキャスティングに今から行ってみる。

2024/01/03 AM07:38

僕はすごい本を読むことが好きで本読みの一番の醍醐味はやっぱり他の世界観に浸れるからだと思う。それって別にゲームでも映画でも何でも良いんだけどその中でも最も安価に済むところは経済的に乏しかった僕の少年時代には刺さった。
だから、いくら電子書籍が浸透しようとも今回もバッグの中に小説は10冊近く入れた。どうしても読んでる時に連絡とか他のアプリの通知が来てしまうと風情がないから僕はあの手触りやめくって読み進めていく動作を含めて書物を推奨してる。

今回みたいなぼやっとした感覚で海外に行って数少ない良かったポイントをあげると、自分が今あるリアリティを気に入ってないからか本みたいな仮想空間みたいな物の解像度がいつもより上がって広がっていく感覚がある。もしかしたら完全な逆プラシーボ現象かもしれないけど。

昨日と今日を使って僕は重松清さんという作家さんの「きみの友だち」という本を読んだ。
端的にいうと物凄く良かったと思う。僕は本の良し悪しよりも人に勧められた作品はその人がどんな意図を持って僕に勧めてくれたかのイマジネーションが膨らんでいくのである程度見ていて苦にならない作品だと楽しめる。
僕は出会った人に、そして知りたいなとその人に思えばだいたいお勧めの本か映画、それが無かったら音楽でも何でも良いんだけど、そんな質問をツイツイいつもしてしまうから気になる作品が増えていく。今回の作品もその中の一つ。

粗く薄めて言うと、教室にいる子供たちを多面的に「きみ」と呼んで物語を進めていお話。※とんでもなく薄まってるし間違ってる可能性すらある。

もちろん教室には色んな子供がいる。
一番で居続けたい人、空気を読む人、病気である人、コンプレックスがある人etc

僕は子供だから純粋でどうとか、感受性がどうとかもあんまり思わないしこの作品においてはそこが重要とも思わなかった。
肝心なのは「きみ」でその人たちはまだ人間としての時間の積もりが今読んでる僕からしたらまだ浅いことだと思う。

僕はその時間の積もりを一緒くたんに経験値とも歴史とも言うつもりはないけど、実際に時間が微量ながらも積もって行くことは確かで、それが雪みたいに溶けてくれたら願ったり叶ったりなんだけどそうはならずに良い色味の物も悪い色味の物も色んな時間軸で多面的に積もっていくと思う。

僕が読んで思ったのは、子供の頃から短所はある程度一緒で、その微量ながら蓄積していく時間に対していつまでも同じ短所を抱えていると何故か進歩していないように見える。全く穴の大きさは幼少期から変わっていないのに他の何かだけが増えて行って何故か穴の見え方だけが悪くなってしまってだんだん広がっているように見えているのかなって。
多分だからある程度の向上心を持って行くことが必要で、伸ばしやすい長所を何とか伸ばしてあまり穴に目線が行かないようなテクニックが必要なんだと思う。
僕は去年思い出だけでは人間関係が続きはしないことを学んで、その穴を見せれる人が自分にとって大切な人なんだなということをその本で学んだつもりになった。
自分のを見せたらその人のも見る覚悟を持つことが最低限のエチケットかなって今は勝手に思ってます。

重松清さんの「きみの友だち」です。

2024/01/03 AM08:15

違うところでも2023年の振り返りは話しているからぜひそちらを聞いて欲しいところではあるんだけど、せっかくだからこっちでも一年の総反省会をしてみようかな。

どんな一年だっただろうか。
僕の印象としては良い意味でも悪い意味でも良い一年ではなかったし主体性に欠けているような日々の過ごし方をもしかしたらしていたのかもしれないなとは思う。

確かにLAやフランスでも大きなファッションショーに出れたけどそれって僕がそこに対して1秒も努力したことがない100%センスだけでできたことだと思うし、1秒でもやらなくて良いと思って始めたことだし、やってくることは僕からしたら他人のふんどしを綺麗に巻くだけですからそれこそそんなことをカウントしだした時点で大した一年じゃないんですよ。
でも、ここに改めて書くってことは自分がどこかで根に持ってるわけで、それ以外何も書くことがないからきてるわけで、やはり主体性に欠けていたということは間違いないかなといま改めて感じました。

「若者の勢い=抽象的なイメージを具体化する手間を省いて失敗しても取り返せる時間があること」

これは僕が去年出した結構説得力のある答えで、僕は10代の時からいちいち石橋を叩いて渡るタイプだったので勢いをうまく使えた場面って少ないと思う。
でも25歳になってヒシヒシと感じる有限性みたいなものにどうやってアプローチをかけていくかって物凄く大切なんだろうなって日々思います。
25歳なんかまだ若いんだから何でもやりなよっていう人もいそうですがそれは間違っていると思います。あと5年したら30歳なんですから単純に若いわけないんですよ。
高校生の人が25歳と付き合っていたらありえない話ではないですけど大概の人は驚くと思いますよ。間違いなく10代の人から見たら何もかも知っているように見える大の大人ですから。

現在進行中でセレクトにそれなりに責任感を感じてやっていかないといけないわけですが去年を総括的に見ると間違いだらけだったなとは思います。
僕はポジティブなので言い換えると、別にスタンダードで想像通り現実が動くことなんかないから気にするなということです。

一番大きな収穫はやっぱり怒ってヨーロッパから帰ってしまったことです。
島国の中で感じていた価値観が世界基準で見た時でもブレない、しっかりと不便で揺るがない自分の通そうとする道理みたいな物を感じました。ムカついてこれまで帰ったことはナンボでもあるんですけど、それが飛行機でトランジットもあってほぼ丸一日かかってもやるってなればどこでも帰るんでしょうね。
まぁ、これに関しては良くも悪くもどちらにも解釈できますから何とも言えませんが、僕としては人生で一回感じれるか感じれないかの大きな価値観の確認でした。

2024年が良い一年になって欲しいなと願いはしないです。
やることはやらないとけないので願いはしないしものすごく嫌いです。
なので今年は良い一年にします。
常にもっと良い一年にできたと感じることが一番大切なのでいつまでも反省会のままで続けれていれば幸いです。

2024年1月6日 AM01:52

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