すべり台で最後まで滑れたことがないのは俺だけか?
はじめに 俺だけ?
俺はすべり台で最後まで滑れたことがない。このことに対して、さっきコーヒー牛乳を飲んでいてあらためてふと不安になったため、今これを書いている。
1 途中で止まる
1-1 近くの公園
子供の頃、家から一番近い公園にあった滑り台。
これはなんというか滑る部分がなんかコンクリートみたいな作りになっていた。カーブのところで遠心力がかかった際、カーブ方向と逆方面の滑り台の側面に体が押しつけられ、途中で止まってしまうものだった。
底面の摩擦力も強く、カーブもそれなりで、途中で止まってしまうのだ。
そのうち子供たちは、途中から支えのポールによじ登って上に戻って上からまた滑ることを繰り返すようになった記憶がある。
1-2 町の大きな公園
町の大きな公園には、山の起伏を活かした長大な滑り台が設置されていた。
滑るところは回転する棒みたいなものが横に連続するものだった。滑り出しは良いのだが、途中のなだらかなところの計算がおかしく、止まってしまう。
運動神経の良い子供は、おしりではなくて靴で滑って、しかも最初に色々な方法で勢いをつけて最後まで滑っていった。
私は諦めた。
1-3 大学の近くの公園
大学生の頃、学校とは逆側に歩いてしばらくいくと公園があった。友人とふざけて滑り台を使った。
この時が一番惜しくて、下まで滑るところまではできた。でもゴール付近が地面と並行にややあるタイプの滑り台で、最後の地面までたどり着けない。
これはこの滑り台の構造のせいなのか、それとももう十分に身体が大きくなってしまったからなのかは判然としない。
シルバーで、縦に何本か丸いパイプみたいに下まで伸びているタイプの滑り台だった。
この後私は、多分生涯ですべり台を滑っていない。
2 今更すべり切ったとしても
さて、私は今これを夜半過ぎに書いている。もう大人なのだから今から出かけて行って、近くの公園で滑り台に挑戦することは可能だ。
もちろん怪しい大人だと思われるかもしれない。だから別に、一回寝て朝に行っても良い。仕事の合間の昼休みに行っても良い。それでも、怪しまれるかもしれない。
実際のところ、ここでは怪しまれるかどうかは問題ではない。つまるところ、最後まですべり切ることができるかどうかなのだ。
でも。でもだ。
最後まで滑れたことで、今更なんになるだろうか。もう私は充分に大人になってしまった。
多分、何度も挑戦すれば、滑り台を最後まですべり切ることは全く可能だ。可能なのだ。
だが、それでどうともならない。ただ、すべり台の出口にたどり着くだけだ。
すべり台を滑りきれなかった何十年が、その一瞬で報いられ返ってくるものではない。
そして俺は、すべり台をすべり切ることがとても恐ろしいものであるように感じている。
すべり台を一度も滑り切ったことがない俺がすべり台の終わりに立ったとき、すべり台を一度も滑り切ったことのないという経験すら消え去ってしまうのだ。
おわりに すべらない話
青春時代をなんらかの形で取り返そうとして、かえって青春時代を上塗り・上書きしてしまうことがある。
だから私は、すべり台には近づかないようにしている。簡単に滑り終えてしまいかねないからだ。