マガジンのカバー画像

マンガは日本が世界に誇れるオリジナルな文化だ

98
子供の頃の手塚治虫体験から始まり、50歳を過ぎた今でも、毎日のようにマンガを読んでいます。そのほんの一部を御紹介。
運営しているクリエイター

記事一覧

鳥飼茜にリスペクト

これは7年前にFacebookに書いていた文章です。 あの頃は鳥飼茜の「先生の白い嘘」を読んでいた…

Hiroyuki  Kikawa
5か月前
5

毒を食らわば皿まで?

10年前、「美味しんぼ」というマンガで、 福島の原発事故について書かれていて、 マスコミで割…

Hiroyuki  Kikawa
6か月前
5

差別を助長するな

手塚治虫のエッセイの中に 「ディズニーのキャラが 4本指で書かれているので、 鉄腕アトムも4…

Hiroyuki  Kikawa
6か月前
10

いましろたかしと「ドラゴン・タトゥーの女」

これは2017年にFacebookに書いていた文章です お導き? 時々不思議な偶然の一致が起きる。 昨…

Hiroyuki  Kikawa
6か月前
1

ハルとの思い出

今の奥さんが沖縄で仕事をしていた頃、 前の奥さんとの息子、ハルはまだ中学生だった。 その時…

Hiroyuki  Kikawa
6か月前
5

「新宝島」と「SF3部作」

手塚治虫が「新宝島」で 日本のサブカルチャーのみならず、 世界の文化における、 偉大なる一…

Hiroyuki  Kikawa
6か月前
5

手塚治虫の低迷期

手塚治虫のキャリアのうち、 1968年から1973年は、 衰退期、スランプ期、暗黒期などと 呼ばれている。 劇画の人気が高まり、 手塚治虫の丸っこい線は 古いと言われ、 正統派の勧善懲悪のストーリーも 優等生過ぎると評価されていた。 まず少年サンデーに 1967年の8月から 1年間連載された「どろろ」は、 水木しげるの妖怪ものと 白戸三平の時代ものに 大きな影響を受けて書かれた作品だ。 そして「地球を呑む」 「上を下へのジレッタ」 「空気の底」「I・L」 「きりひと讃歌

僕とフイチンさん

僕とフイチンさん 第1回 僕が小学生の低学年の頃、 母方の実家が石川県の金沢市にあって、 …

Hiroyuki  Kikawa
6か月前
3

7年前に書いた「げんしけん」に関する記事

7年前に読んだ「げんしけん 二代目」21巻についての記事。 「げんしけん」というのは、現代…

Hiroyuki  Kikawa
6か月前

呪詛の矢

さて、ちょっと前に投稿した、 倉庫の話の続きですが、 奥さんとパスタを食べながら、 倉庫に…

Hiroyuki  Kikawa
6か月前
3

倉庫に何かいたらしい

6年ほど前、僕は、 「合志マンガミュージアム」というところで働いていた。 その時の話。 「…

Hiroyuki  Kikawa
6か月前
2

僕のマンガ道 第7回 最終回 1997年~2019年

1997年にねこぢるさんがお亡くなりになって、 心にポッカリ穴が空きガックリと力が抜けた。 …

Hiroyuki  Kikawa
7か月前
2

僕のマンガ道 第6回 山野一とねこぢる

僕が「ガロ」をリアルタイムで読み始めた頃、 毎月のように精力的に作品を発表していたのが 山…

Hiroyuki  Kikawa
7か月前
6

僕のマンガ道 第5回 杉浦日向子

「ガロ」にはガロ三人娘と呼ばれている作家たちがいた。 やまだ紫と杉浦日向子と近藤ようこの三人である。 僕はこの三人の中では杉浦日向子が一番好きだった。 杉浦日向子は1980年に「ガロ」でデビューして、 その後、マンガ家、エッセイスト、時代考証家として 大活躍したが、2005年に46歳でお亡くなりになった。 その間、希代の怪物、 荒俣宏と結婚していた時期もあった。 1993年には「百物語」の終了を機に 漫画家としては引退されているが、 それも闘病のためだったと後に何かの本