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時空を超える死者

あれは2018年の3月だったか、夕飯を父母の家で食べ終えた頃だった。ストレス過多の職場をグチり、子どもが私のつくる味覚破壊された食事(離人ミイラの後遺症かただの味オンチか分からないが元ミイラは味覚障害と周囲から言われていた)を拒否し続けていたため毎晩のように父母の家で夕飯を食べて食後の満足感に浸っていた。
ふとケイタイを見ると友達範囲の極小な自分にしてはありえないほど未読が溜まっていた。発信元は大学の仲のいい同期で作ったLINEグループだった。なんだよ?

『○○が亡くなったらしい。通夜はいついつ、葬式はいついつ…みんな、行けるか?』
意識は瞬間飛んだかもしれない。
食後の幸福感はすでに霧散した。
腹に力を込めて息を吐く、胸が嫌な意味で高く波打つ。受け止められるか?理解不能な文字が並ぶ画面をもう一度見てみる。
感情はもう怒っている。
は?
なんで?
なんでまた友人が死ぬの?
何度私を悲しませれば気が済むの?
ふざけんなよ
元ミイラは自我つよつよだからいつも『ワタシ中心』で考えてしまう。
いくつだと思ってんの?老後じゃないぜ

葬式に行くという友人たちの表明と哀悼の文字列とともに進んでいくLINEに反して私はレスできなかった。元ミイラは当時真っ当な社畜だった。有象無象の仕事を抱え、葬式だと言われている日は税理士が月1で来る日だった。しかも先月は来なかったので2ヶ月ぶりの来社に加え、決算が近づいていたので外せねえと思っていた、表面上は。

内心はすごく怖かったし怯えていた。もちろん2007年に失った友達のことを思い出していたし、なんならこれまで突然亡くなった友人知人の顔までが浮かんできた。
『突然』はいつも困る。本当に困るのだ。
その頃わたしは築30年超にもなるマンションを買おうとしていた。シングルマザーの身で自力で買える家がある。(実際は父との共同名義だ)社畜になった甲斐があるってもんだ、そのことに感動していたし浮かれてもいた。

なんでこんなタイミングで…
チベットでは山の頂上に大きな天秤があって、片方は幸福、片方は不幸を表すらしい。どちらかに偏ることはなく、同じ分だけ幸も不幸も天からやってくるのだそうだ。
家が買えることが私にとって大きな幸福であったので、同時に『突然の友人の死』が降ってきた。私の天秤は見事に釣り合ってしまった。
私は普段神は信じないのだが、友人を連れていくと決めた神には逆らえない。
友人の死因はガンだという。Aの母親の最後の姿を思い出して、友人の現在の姿を想像して、もうその攻撃には耐えられないと思った。そして社畜は元ミイラなので、またしても『葬式には行きたくない』のだ。

『会社でどうしても外せない件があって行けません。』あと少しの謝罪と哀しみを文字にして、蓋をした。まだ幼児の子どもに突然大泣きを見せるわけにもいかないし、親には知られたくない。というか言葉に出したくない。
言葉は物事を切り取るのだ。森なんて言葉がなければそこに森があったことにも気づかないのに。木という言葉があるせいで森から一本の木を切り離して見せてしまえる。『言葉なんかおぼえるんじゃなかった』と大いなる詩人田村隆一が言ったように、ときに言葉は発した本人すら無惨に傷つけるしその傷は眼に見える形で癒しをもたらさない。眼前に厳然と屹立した現実を見せるだけだ。
だから逃げた。あとは前と同じムーブだ、何でもないデスヨ、ワタシの人生に重要なことなんて何も起こってないんデスヨ、前日と何ら変わらない日だったんだ、今日も。

葬式当日はまたLINEがつらつらと来た。鬱々としていたので見たくはなかったが未読が溜まるのを許せないタチだし、何か重要なことが書いてあるかもしれない。
『まだ乳児の子どもがかわいかったし、かわいそうだった』『イケメンだった旦那がツルっぱげになっててちょっとウケた』『帰りの新幹線は大丈夫だったか』などなど、2007年私たちがマクドで実演したように平静を装ってなんとか少しでも日常っぽい会話をくり出して陳列してあった。
そして、この数年亡くなった友人がほんとに少数の近親者にしか自分の病気を明らかにしてなかったこと、病気に蝕まれる身体を抱え旧知の友人たちになんとか会える機会を持とうとしていたことを知った。
確かに関東住みの友人は、脈絡のないタイミングで『関西に行くから会えないか』と何回かに分けて連絡をくれた。私たちはよく飲む同じグループに属してはいたが、たいした交遊はなかったはずだ。サシで飲んだのなんて一度きりで、その記憶も朧げだ。私が卒業の際、大型のテレビデオを友人にあげたので(友人は留学帰りで家財はほとんど持っていなかった)そのことを再度深く感謝された。要らないデカブツを快くもらってくれたのだからこちらが感謝したいくらいなのに、この友人は本当に良い人だと感じ入った。

何度か連絡をくれたがやはりそのときも真っ当な社畜は正しく疲れ切っていたので、申し訳ないが会えない、次に会おうと返事した。それが最後のやり取りになってしまった。またしても逸したのだ。あれだけ人の心のコップを見つめられなくて後悔したのに。

私は亡くなった人の虜になってしまった。寝ても覚めても考えている。相手が想い人ならどれだけよかったか。私は本当にしつこいヤツなのだ。友人の思い出の檻の中に自ら入っていった。他者の気持ちが分からないヤツだって自分で嫌と言うほど思い知っているのに、相手がくれた千載一遇のチャンスを自ら放棄した。そんな自分に残された場所はそこしかなかった。

日々が人を追い立てる。子どもは泣くししゃべり続けるし、仕事だって待ってくれない。どんなに眠くても朝は来るし、目の前の子どもはとびきり可愛い。シングルワーキングマザーがサメザメと哭くには風呂場しかなかった。

そのうち、『そうだ、友人は生きてることにしよう』と思いついた。そうだ、そうだ、あのミイラだった自分が風呂場で熱湯に腕を晒したとき、赤くなっていく皮膚を見て『生きてるって思うことにしよう』と思ったのと同じように。台湾のスーパーバンド五月天だって別れた恋人を想う歌の中で『どこかにもう一人の君がいて、そこでもう一人の僕が微笑んでる。もう一人の僕らは 変わらず心から愛し合っている、僕らの代わりに永遠に。そう思えるだけで十分だよ」って歌ってるじゃないか。

『友人はどこかでイケメン旦那とかわいい子どもに囲まれて毎日楽しく過ごしてるんだ。あんなに良い子が死ぬはずない。平行宇宙でも、違う太陽系でもいい。きっと私が知覚できない場所で以前と変わらない日常を送ってるんだ』天啓を得たと思った。なーんだ楽勝!楽勝!

これは単なる現実逃避?あまりに傲慢で尊大な私が作り出した曲解?友人を冒涜している?死人に泥を塗り続けているだけかもしれない。それは痛みに蓋をして、無かったことにした私の罪?でもこの考えはよく効いた。小さな子どもを育てる元ミイラ社畜が円環の日常に戻るには本当に十分だった。そしてこれは『葬式に行かなかった』からこそ得たものだと分かっていた。正確には『死者を目にしなかったから』


日常に埋没して1年ほど経ったころ、母に言ってみた。
『1年前、友人が亡くなったから一周忌があるかもしれない。そのときは子ども預かって』
友人は私の認識で別の宇宙で生き続けているが地球にいる私は友人の影を手放せないしすがっていた。どうにかしがみついていたかった。
母は即座に『え?アンタの友達死にすぎじゃない?』と宣った。
そうだ、この人はいわゆる人の感情が無かったんだ。子どものことは自分のものだと臣下だと思っているから気持ちを慮るなんてことはしないんだった。元ミイラだから自分のことを棚に上げすぎていることは分かっていても、その場で切り刻んで灰にしてやりたい衝動に駆られたが私は動けなかった。反論もしなかった。だって確かに私のごく僅かしかいない友人は亡くなっている。

『1年前かー、あー、アンタそういえば落ち込んでる時期あったねー』という言葉が虚しく響く。私の悲しみは死人の脂のそれのように静かに漏れ出てそれはじわじわと伝わってしまっていたのかもしれない。

その友人の一周忌は行われなかった。いや、きっとどこかでは行なわれたのだろう。ただ誰に聞いても知っている人はいなかった。墓の場所すら分からない。

罰を受けたと思った。
現実と向き合わなかった私が作り出したウソのなかで友人を永遠に死なない人間にしてしまった私の罪。
ごめんね、Tちゃん。
でも、だから、平行世界でずっと生きててよ
それだけでもう十分だよ

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