ほんの少しの
「魂の重さってどのくらいか知ってますか」
吊り下げられた照明から落とされる暖色の灯りに染まったテーブルを挟んで、後輩の関根ナオコが上目遣いで尋ねてきた。
「確か21グラムじゃなかったっけ」
「おぉ、才川さんは博識ですね。本とかよく読むタイプですか」
「本?いやいやマンガで目にしたことがあるだけだよ。それにその説は眉唾物でしょ」
「でもロマンがあると思いませんか。私も才川さんもあのテーブルの見知らぬ誰かも最後には同じ質量を失うなんて」
「うーん、でもさぁ・・僕と関根さんではありとあらゆることが違うのに魂の質量だけ同じって変だと思わない。それぞれ別々の重さで出来てるって方がよっぽど説得力ある気がするけどなぁ」
ナンセンス、彼女は口をあからさまにへの字に曲げて表情だけで言葉を作った。
「そういう面白味の無さがパートナー不在期間を伸ばすんですよ。勿体無い・・・顔は良いんですけどねぇ」
「それ色々とアウトだからね」
すいません、と言って憎めない笑顔を見せる。
「猫、可愛かったですね」
「確かに。前まで長毛の子が好きだと思ってたけど、実は黒猫が一番好きなのかもしれないって今日思ったな」
「私はハチワレが好きですね」
会社の中で大っぴらにしてはいない密かな趣味を知られた時は面倒なことになったと思ったりもしたけれど、今になってみれば悪くはない出来事だったと思っている。
お待たせ致しました、ウェイトレスはそう言ってテーブルに料理を置いていく。
サラダとサンドイッチが目の前に並べられ、関根さんの前には小さなケーキとコーヒーが並べられた。
「本当にそれだけでいいの」
「いいんです。このケーキ食べてみたいなって前から思っていたので。それに食べ過ぎると私すぐ太っちゃうんで」
けれど関根さんの体型が崩れているところなんてこれまでに見たこともなかった。
今だって随分と細く見える。
「・・・何ですか、甘いものだってこれくらいはいいんです」
疑問の視線があらぬ誤解を生んでしまったようだった。
「でも削り過ぎるのは良くないよ。健康を損なってしまったら元も子もないからね。余計なお世話だとは思うけど」
「確かにそうですね。才川さんは鏡に映った自分が醜かった時の残念さを知らないんですよ」
鏡に映った自分を良く思ったことなんて一度もない。そう思ったけれど、小さく灯った火に油を注ぐなんて危険なマネはしたくはなかった。
「21グラム」
「急にどうしたんですか。さっきまでオカルト扱いしてたのに」
「今でも懐疑的なのは間違いないんだけど、魂の重さって何かの教訓みたいなことだと思えば納得いくなと思って」
「・・・どういう意味ですか?」
「本当に大切なことって実はごく僅かなんじゃないかってことだよ。子供の食玩みたいにパッケージやお菓子よりも重要なのは小さな付録、みたいな感じでね」
「それがさっきの話とどう繋がるっていうんです?」
「実際のところ本当に大切なのは健康であることだけで、それ以外は取るに足らないことなのかもしれないって話」
関根さんはフォークを持ち上げたまま固まって、こちらをジッと見つめていた。
「だからはいっ。関根さんがご飯食べてる時すごい幸せそうな顔してるの知ってるんだから」
差し出されたサンドイッチを困った顔で見つめながら関根さんは、ほんの少しだけ身を乗り出した。
「・・・もし太ったら才川さんを恨みますからね」
そう言って少し照れた様子でサンドイッチを一つ受け取ると小さな声で、サラダも一緒に食べてもいいですかと言った。
僕はもちろんと言ってウェイトレスに取り分け用のお皿を持ってきて欲しいと調子のいい声でお願いした。
21グラム。
たくさんのモノに埋もれてしまって見えなくなってしまうけれど、大切なことってきっとそれぐらい。
多分、本当はそれだけあれば十分なのだろう。
サンドイッチを頬張る関根さんの笑顔と今日の一日が美しく思えるのは、そのほんの少しが支えてくれているからなんじゃないか、と焼けた食パンの耳を齧りながら密かに思った。
「才川さん、また良い猫カフェあったら紹介しますね」
福音のように心地良いドアチャイムが新たな来客を報せる音色を店内に響かせる。
「うん、ありがとう。その時はまたよろしく」
健康でいよう、僕は改めてそう思った。