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双極症 と 健常者

わたしは健常者に対して劣等感があります。なぜか。自分の「病気」が浮き彫りになり認めたくない気持ちがあるからだと思います。ですがこれは一種の「自己防衛」なのではないかとも考えています。心情的には考えたくないのですが、そもそも健常者ってどのような人をいうのでしょうか。ここで整理していきたいと思います。


1. 医学的な定義

  • 精神疾患が診断されていない人 :精神疾患は、特定の診断基準(例えばDSM-5やICD-11)に基づいて判断されます。健常者はこれらの基準を満たさない人を指します。

    • 例: 抑うつ症状が一時的にあっても、診断基準を満たさなければ「健常」と見なされます。


2. 社会的な視点

  • 社会生活を比較的スムーズに営める人 :健常者は一般的に、仕事や家庭、社会的な役割を果たす上で、大きな困難や制約を抱えていない人とされています。(ただし、「スムーズ」の基準は個人や社会環境によって異なります。)


3. 心理的な側面

  • メンタルヘルスが安定している人 :健常者は、日常生活で起こるストレスや困難に対して適応的に対処できる人と捉えられることがあります。

    • 例: 落ち込むことがあっても、感情を適切にコントロールできる。


双極症を経験している人が健常に対して「羨望の対象」「距離を感じる対象」として見えるのはどうしてでしょうか(見えるのはわたしだけかもしれませんが)。

  • 症状の波に悩まされることなく安定した生活を送っている。

  • 感情や思考のコントロールが自然にできているように見える。

  • 自分にとって難しいと感じること(対人関係、集中力の維持など)を苦もなくこなしている。


文字にすると、なんだか不快な気持ちが沸くのはわたしだけでしょうか。自分の病気に対して「症状や病気による制限」「社会的な期待とのギャップ」「偏見」「理想との比較」「病気のコントロールへの不安」があるのは自然なことで、その結果「自己肯定感の低下」に繋がるのは当然ではないでしょうか。

ですが「健常者」側の問題も少なからずありそうです。

健常者という言葉の曖昧さ

健常者という概念には限界があり、以下のような問題があります

  • 「健常者」も心の問題を抱えることがある: 健常者に見える人でも、隠れたメンタルヘルスの問題を抱えていることがあります。

    • 例: うつ病や不安障害がまだ診断に至っていない場合

健常者も特別ではない

  • 精神疾患を持つ人も、その状態が改善すれば「健常者」と言える段階に戻る可能性がある(例えば「寛解」。)

  • 両者は完全に別のカテゴリーではなく、連続的な状態である。


気になるのが「健常者と言える段階に戻る可能性がある」です。双極症は慢性的な気分障害であり、再発しやすい特性を持つため、長期的な管理が重要です。「治癒」はなく「寛解」の状態をいいます。寛解とは具体的な基準が定められることがあります。

  • エピソードが一定期間発生していない(数か月以上が一般的)。

  • 症状があっても軽度で、日常生活に大きな支障がない

  • 心理的・社会的機能が回復している(仕事や家庭生活が維持できる)。


つまり治癒を目指すのではなく、適切な治療と生活習慣の改善で寛解を維持することを重視する必要があります。

双極症は「寛解」、健常者は「治癒」。わたしは何を聞いてもこの違いに劣等感を感じざるを得ません。双極症が脳病とするならば、病気そのものが完全に消失することはありません。ならば自身の価値やペースに焦点を当てて、少しずつ健常者との比較を減らし心の平穏を保つことを目指すより他なりません。「比較を手放す」「自分の強みを発見」「理解ある人とのつながり」「専門家に相談」としたコレを考えていく事以外ないのでは、と思ってしまいます(すみません、白黒思考でして・・・)。健常者に対する憧れや羨望を持ちながら、それを実現できない自分を認めるのがつらい。この気持ちが表出できただけでも、今回はよし、としたいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。


いや、よし、としたくないな~(心の声)。


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