常体か敬体か 文章において与える効果とその印象
私の記事は常体(文末が、『だ』『である』)と敬体(『です』『ます』)が入り混じっている。
気まぐれもあるのだが、実はそれぞれ狙いがあってそうしている。
noteを始めた最初の頃は敬体の記事が多くなっている。
これは常に読み手のことを考えて書いていたのと、柔らかい印象を与える為だった。
私はコミニュケーションを取るに当たってすぐに相手のことを思いやるということを忘れる。
その結果、相手を置いてけぼりにしたり、一人よがりな考えを押し付けてしまったことがあった。
だからnoteを始めたばかりの頃は「読み手はこの文章を読んでどう感じるか」ということを常に意識し、一人よがりの文章にならないように、相手に語りかけるような文体の敬体を使って書いていた。
また、私はよく周りの人に「優しくて穏やかで柔らかい印象が魅力だね。」と言われることから、その魅力が文章にも出せたらいいなと思い敬体で書いていた。
でも本当は常体の方が書き慣れているから書きやすいし、本当は強くてかっこいい自分になりたいと思っているからこっちの方が好きだ。
なので読み手を意識して文章が書けるようになった今は常体で書く記事も増えている。
あとは記事の内容によっても使い分けている。
経験談や病気の話し、メンタルケア、フォロワーさんへの感謝を綴る時は読み手を強く意識する為、敬体を使っている。
その他、エッセイや自分の気持ちを強く書く時は常体を使っている。
今後は常体と敬体、半々くらいになりそうだな。
追記 寝ぼけ眼で書いたせいで、内容が薄い記事になってしまった。ボツにするか悩んだが一旦公開してみる。
今度は同じテーマでもっと掘り下げて書いてみたい。
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