ムーミンのお話にみえる世界観で、自分を振り返る話。
ムーミンを知ったのは私が幼少期の頃のテレビアニメでした。一度聴いたら忘れられないほど甘くてゆったりしたリズムの主題歌。
おまけにスポンサーのCMも忘れられない程、強烈に記憶に残っているのに、ムーミンの世界観は心地よく何故だか心に残っているのに、どんなストーリーだったかは覚えていない(笑)キャラクターが商品になりずっと好きだったものの、大きくなっても本を手に取る機会を逃していました。
ムーミン全集[新版]全9巻は、フィンランドの画家、作者のトーベ・ヤンソンさんがこの物語を作ったとおりの順番で発刊されているそうで、今回1巻の『ムーミン谷の彗星』と6巻の『ムーミン谷の仲間たち』を手に取り読んでみることにしました。
懐かしい面々。
ムーミンの名前はムーミントロールということや、ムーミンの彼女だった女の子はスノークのおじょうさんと呼ばれ、臆病で泣き虫なスニフや、スナフキンなんてヤンソンさんの挿絵では太っちょだったりする場面も。ニョロニョロの正体なんかも判明して、ふぅ~んそうだったのねと感心。
1巻は、ジャコウネズミにこの世の終わりだと不安にさせられるムーミンとスニフがその真相(彗星が来ること)を確かめるために、おさびし山にある天文台まで冒険し、途中でスナフキンとスノークのおじょうさんと出会い、ムーミン谷のおうちに帰るお話でしたが、6巻はそのタイトルの通りに色んな登場人物が主人公になった短編集で、ムーミンの世界観をたっぷり味わう事が出来ました。
自由に生きていくつもの名言を残す達観したスナフキンでも、イラっとしたり後悔したりすることもあるんだなと思ったお話。誰しも自分の思うようにいかない時はそうなってしまう、人間臭さが嬉しい。
想像力がとても豊かなホムサ。本人は大真面目で真剣だけど、うそつき狼少年のように見えて大人は分かってくれない。でもミイの妄想には負けたようで、ウソをついていないんだけれどその妄想に振り回される大人の気持ちが少しわかった帰り道。ホムサのパパはやさしくこう言います。
ムーミンが見つけ匿っていた小さな竜が懐いたのは自分ではなくスナフキン。釣った魚と引き換えに、旅人にどこか遠くまで行って竜を放してくれるように頼みます。友だちの気持ちを察して何も知らないフリをするスナフキンは、やっぱカッコいい。
おばさんからひどい皮肉を言われ続けたことで姿が消えてしまったニンニ。
ムーミンママはおばあさまの本で見た特効薬を飲ませながら、ニンニに対して優しい言葉と態度で接し、本来の自分を取り戻す手助けをします。りんごソースの大びんを割ってしまった時も・・・
ムーミン谷のみんなは個性的です。
自由で好きなように振舞っていて、パパやママも一家のみんなを支配したり忠告したりすることなく自然に任せ、気づきをうながすちょっとしたスパイスをこっそり入れているだけ。
お互いの個性を大切に、それで良いとして見る、そのままでOKだと認められる安心感、そんな雰囲気、世界観がムーミンのお話の根底にあって、世界中の子どもたちや大人を惹きつけるのでしょうか。
私も常々そんな風に在りたいと願いながらも、時々自分の正義を振りかざし相手を傷つけてしまっていることがあります(>_<)
自分の良いと思うことが相手にとって必ずしも良いことにはならないのに。
子どもの為を思ってする心配や手助け、過干渉やおせっかいな行動って実は相手を信じていないことだと改めて気づくことが出来ました。そして、相手を信じられないのは、自分自身を信じられていないからだとも。
ありのままのその人がその人にあうペースで歩いていくことを信じられるから、ムーミン谷には穏やかで安心できる世界観があるのだと思います。
フィンランド文学研究家の高橋静男さんは、こんな風に書いていました。
仕事においても家庭においても、自分に無理をしたり犠牲になってまでしてしまうから、やっただけの見返りが欲しくなったり、認めてもらいたがったりするのだと思います。それが感じられないと不満に思ったり、コントロールしようとしたりする。
でも、ムーミンの世界ではそれがまったくないんですよね。
それはそれぞれが好きなように生きているからお互いを尊重できるし、無理なく生きて、やっていることが自然と誰かの救いや役にたっているから。本当にそんな世界で生きられるといいですよね^^
私もまずは自分を信じて。
私も周りの人も自分のペースで歩んでいくことを信頼できるようにと、おせっかい焼きを卒業してまた人生の道を再選択しようと、自分を振り返った読書でした。
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