ひとくちたべると、あれ?って思う。 ふたくちたべるとうーん、なんだろもしかして? みくちたべたらうわーなんだかもう、とまらない。 そしてそしてそして、気づいたらもう、最後のひとくち。 その日、そのお店に入るまで、わたしはあんまりおなかがすいてなかった。すいてないと自分では思っていた。 オーダーしてからも、「ごはん少なめって言えばよかったかな。」と心配していた。 なのに何故だか食べ出したら途端にどんどんおなかがすいてくる。頭のうえに?のマークを浮かべたまま、わたしは
もうそんなにいいかなーと思ってたんだけど、カラピンチャに行ってみて、また巡るのもいいかなーと思いました。
最近、またたばこを喫うようになった。10年ぶりくらい?の再開。 きっかけは、ここ最近よく遊ぶ友達が喫っていて、一緒にいる時に「もらいたばこ」をするようになり、そのままずるずるとなんとなく。 たばこを喫うひとと一緒に過ごしていると、いつもの行動の中に「たばこのための時間・場所」を組み込む必要が出てくる。 わたしは以前の経験があったのでだいたいはわかっている。でも、その少しの時間感覚のズレみたいなものが次第に面倒くさくなったんだと思う。一緒にいるときは「喫うひと
お話をひとつ、読み終わって深呼吸。 まだもうすこし、その世界から離れたくなくて、わたしは目を閉じる。まだかすかに響いている音に耳をすませる。 本を読み終わる時のうれしいような、寂しいような、不思議な気持ちはなんだろう。 最後のページ、白く空いた空間を目の端にとらえながら、段々と最後の行が近づいてくる。扉の向こうの景色が狭くなっていく。「かちゃり」と静かに、しっかりと扉を閉じる。 扉の向こうではきっと、「彼らのお話」は続いてゆく。わたしはその一部分を一緒
数年前のある日。わたしが働いていた洋品店に、ある親子さんがやって来ました。お母さんと、3、4歳くらい?の女の子。 平日の昼間で他のお客さんも少なく、のんびりした空気。けっこう広いお店だったので、子どもの「あそびば」もあります。大体の親子さんは、別れてしばし、お互いの好きなことをするのです。ママはお買いもの、子どもはあそび。 その日の2人もママの方はそのままお店の中をひと巡りしに行きました。ですが、小さい彼女の方はというと、全く「あそびば」には興味がない様子です。
わたしは今、本を読んでいない(このnoteを書いているからね)。では、なんなのか、と言うと、今はたぶん本が、わたしを読んでいる時間なのだ、と思ったことについて。 物語やお話、小説、そういうものを読んでいるとき、お話の中で「次の日」と出てくると、わたしも読むのを次の日までのばしたり、そういうことをよくしていた。今でもおもしろい本を読んでいるときには、そうする。 友だちに聞いてみると、「先が気になってなるべく早く読みたい」っていう人とか、「ふうん」っていう人が多いけど
ある晴れた冬の日。わたしはゾウを見ていた。初めて来た動物園だけれど、とても広くて気持ちがいい。そろそろ次に行こうか、と歩き出したとき、黒いかたまりが、コンクリートでできた低い建物の中に吸い込まれて行くのが見えた。 カラスだ。低空飛行で建物に入って行ったらしい。でもあんなスピードで?何処かに通り抜けられるんだろうか。わたしは誘われるように後を追ってその建物に入った。 中に入ると、そこはとても暗かった。トンネルのようになっている。木々の葉ずれの音や、小さな子どもたちの
追い抜かそうと思って、でも思わず見蕩れてしまったおじいさんのセーター。もう少し見ていたくて、わたしはおじいさんのうしろを歩くことにした。 落ち着いたピンク色をメインに、でも色んな色が混じっている。だんだん色が変わっていく毛糸かもしれない。どうやって編んでいるのかさっぱりわからないけど、手編みかな、と思う。ちょっとくたびれているところなんかも、かっこいい。長いあいだ大切に着ているんだろうな。 手編みのセーターって編むこと自体も相当すごいけど、それをこんなふうに着続けてもらう
テレビをやめてから、もう数年が経つ。はじめは耳さびしくて、ラジオをつけたり音楽をかけたりしていた。でも本を読むのに邪魔になってしまってから、わたしの部屋では無音の時間がとても多くなった。 ひとくちに無音と言っても、ほんとうになんの音もしないはずはなく、世界は色んな音がして、とてもおもしろい。車が通り過ぎる音、鳥や虫の声、風で植物がざわめく音、だれかの足音。 そんな中でもわたしがいつも、聴くとうれしい気もちになる音がある。雨が降りはじめる音だ。 はじめは葉っぱ
おもしろい映画を観終わったときの、じぶんの顔ってけっこう好きだな、と思う。映画はわたしを通り抜けて、どこかへ行ってしまった。またね。
「よくわからないもの」をそのまま受けとめて、尊重できるひとっていいなあーと思う。なるべくじぶんも、そうでありたい。
いつも前を通りながらなんとなく気になっていたお店があった。 たぶん絨毯屋さん。アラジンの魔法の絨毯みたいな柄で、入口のガラス越しにのぞくと家具なども一緒に置いてある。わたしが通りかかる時にはいつも閉まっていたのだけど、ある日やっと入ることができた。 壁いちめんに高そうな絨毯が掛けられていた。けっこう広い。床にもさまざまな大きさの絨毯が積み上げられている。模様や色を眺めていると、絨毯に混じって2枚の絵が飾られているのが目に入った。 砂漠の国の遺跡と、古い石像。ひと