よんだり、よまれたり。
わたしは今、本を読んでいない(このnoteを書いているからね)。では、なんなのか、と言うと、今はたぶん本が、わたしを読んでいる時間なのだ、と思ったことについて。
物語やお話、小説、そういうものを読んでいるとき、お話の中で「次の日」と出てくると、わたしも読むのを次の日までのばしたり、そういうことをよくしていた。今でもおもしろい本を読んでいるときには、そうする。
友だちに聞いてみると、「先が気になってなるべく早く読みたい」っていう人とか、「ふうん」っていう人が多いけど、わたしはこの読み方がけっこう気に入っている。
本を読んでいるとき、わたしはその物語の中にいて、出てくる人たちと同じ時間を過ごしている。さすがに「何年後」とかになってしまうと無理だけど(だからそういうのはずるい気がしてあんまり好きではない)何曜日とか3日後とか、そういう書き方をされているのを見ると「よし、じゃあそうしてみよう」と思う。
すこし日常に戻ってみるだけで、本の中の出来事は、また違ってみえてくる。そういう違う見え方を発見するのがわたしは好きなのかもしれない。「あの時は腹が立ってしょうがなかったけど、一晩よく眠って朝になって思い返してみると、そうでもなかったように思える」とかね。
読んでいない時間も、その物語と過ごしていて、その方がおもしろいからそうしていただけなんだけれど、今朝なんとなく思ったのは「あ、今は本がわたしを読んでいる時間なんだ」ということ。そういうことができるのは本だけかもしれない。
「選んだのは本の方だ」みたいな考えもあって、というのもあまりにも今のじぶんにぴったりで、っていうことがけっこうあるから。あと、あれだけたくさんの本があるのにどうして今この本を読んでいるのかっていうこと、買ったのに読んでない本のこと、読んでみたけど進まない本のこと、いつか読みたいと思いつつ、眺めてるだけの本のこと、などなど。
本がわたしを呼んで、わたしがそれに応えて読んで、本がわたしを読んで、そのつづきをまたわたしが読む。そうやってわたしと本のあいだにも、秘密の物語ができていく。大きな「物語の世界」に「わたし」の情報が読み込まれていく。
もちろん、とまらないほどおもしろい本も好きだし、そうやって、時間をかけてわたしと仲よくしてくれる本のこともとても好きです。
「本を読む」って大抵はひとりですることだから(でも、音読してもらう人もいるんだって)「じぶんのスタイル」がどうなのかってそんなに考えないけど、みんな独自の色んなやり方でやっているのかな。電車の中で本を読んでいる人を見かけると、ちょっと観察してみるのも、たのしいかもね。