おすすめの一冊『「叱らない」が子どもを苦しめる』
GWの休みに友人夫婦と子どもとの関わりについて話をしました。
テーマは「子どもの教育方針ってどうやって決めてる?」。
自我が芽生えて、少しずつ傍若無人(?)になっていく子どもへの関わりは悩ましいです。どれくらいの強度で言えばよいのか、どこまで受け止めるのか・・・人によりその基準は様々でしょうが、多くは手探りな気もします。なので、他のご家族も気になる。割と盛り上がるテーマです。
さてその中で、我が家の場合は「本を読んで共通言語を作っている」ことを行っています。これがいいかどうかはわかりませんが、本を通じて方針合わせをするのは、実に有益だと(今のところ)感じています。
難しいテーマについては、先人の知恵と、洗練された言葉を借りてナンボだな、とと個人的には思うところです。
現役スクールカウンセラーによるホームラン級の一冊
そんな中で、妻が「この本買って」とメールを送ってきた本がありました。
それがコチラの本です。
不思議と同じタイミングで、知人の学校の校長先生をされている方が「ホームラン級の教育本」とSNSで紹介をされていました。そして読んだところ、ものすごく参考になり、読んでからというもの3歳の息子に対する関わりが楽になりました。
ということで、本日はその内容について紹介させていただければと思います。内容として子育てだけではなく、教育全般にも関わることでしたので、よろしければお付き合いいただければと思います。
本の内容について
さて、本書の内容を一言でいうと、「叱らない教育」について警鐘を鳴らす一冊です。学校教育の現場を知る現役スクールカウンセラーによる、リアルな現実とデータを織り交ぜたお話で、大変説得力があります。
ちなみにスクールカウンセラーとは、学校現場における、児童や生徒、保護者、教師の相談や支援を行う専門家です。実際に児童や生徒のカウンセリングを行うため、不登校などに潜む心の問題について理解が深いです。
同時に学校全体にも関わるため、その問題の全体像も俯瞰して見える立場でもあります。子どもの親子関係、学校の先生と保護者の関係、労働環境、時代背景などなど。
余談ですが、本書を読み、こういう仕事があるのかと勉強になると共に、その意義深さも、そして大変さ(想像を超えます)も、必要とされる能力も、本当にすごい仕事だな、と思わされるばかりでした。
では、実際にどのようなことが書かれているのでしょうか。
以下、本の紹介文を引用させていただきます。
「世界から押し返される」経験が必要
本書におけるキーワードの一つ、それが「世界からの押し返し」なるものです。
人が社会に適応して生きていくためには、「思い通りにいかないこと」、そしてそれに伴う不快感も自分の中で受け入れていかねばなりません。それがまさしく「世界からの押し返し」というものです。
社会は自分ひとりのものではなく、様々なルールがあり、我々はその中で自分の要求が必ずしも通らないことも学びながら、上手にやっていく方法を学んでいきます。
人は生まれて、自分以外の社会の中で生きる上で「世界から押し返し」を経験します。一番小さな社会、すなわち家庭で「お菓子買って!」と母に言っても「ダメ!」と押し返される。
泣き叫んで訴えると、買ってもらえることもあるかもしれないし、買ってもらえないかもしれない。ただ、そうした「世界から押し返し」を受け、それに対して、自分なりに不快感を和らげたり、更に主張をしたりする経験を積み重ねる中で、社会に適応する力を身に着けていくのです。
しかし、今の世の中では、叱らず、子どもに耳を傾け、あらゆる不快感を和らげる方向に進んでいるようにも思われます。
極端ですが「お菓子ほしい」→「ヨシわかった」、「おもちゃほしい」→「うんいいよ」で、生まれて小学校に入るまでずっと世界がYESとしか言わなかったとしたら・・・。おそらく、その子どもには「世界から押し返される」という経験がないままです。そして「自分の思い通りに行くことが当然」という世界観になるかもしれません。
その状況下で、大きな社会、学校や地域に出た時に「NO」を突きつけられたとしたら。おそらく耐性がないので、大きな心理的な負荷を感じることになります。それが結果的に本人を苦しめる、となるわけです。
「思い通りにいかないこと」への耐性をつける経験を与えないこと、「世界から押し返される経験」を十分にさせないことが、結果的に子どもを苦しめることになる、、、それが本書における著者の主張の一つです。
感想
この本を読んで、子どもとの関わりが「楽になった」というのが率直な感想です。私ごとですが、親ながら叱るのは正直苦手です。個人的に叱るのが得意ではない、というのもあるかもしれません。
しかし、本書を通じて「世界から押し返される」という表現を手に入れたこと、そしてそれこそが子どもにとって必要なことなのだと腹に落ちたことで、「子どもに対する押し返し」を積極的に行えるようになりました。
(たとえば、泣き叫び、道で転がったり、誰かに危害を加えたりしたときに、「それはダメ!!」という態度を、夫婦共々断固として取りやすくなりました)
これらの押し返しは押し返す方もパワーを使いますが、そういうときに夫婦間で「今のはいい”押し返し”だったね」とお互いをフォローし合うようにもなることで、イイ感じのどすこい合戦を繰り広げることができています。
また、他にも印象的だった話として、不登校という現象についてです。過去の「不登校」は、不登校を選択している子どもの中には「登校せねばならない」という強い登校圧力があったとのこと。なので、ガス抜きとして「登校刺激を与えずゆっくり休ませる」という戦略が有効だったそう。
しかし、今は価値観や時代が変わってきて、子どもを受け入れる、不快感を取り除く、だけに天秤が傾きすぎているように思われる、と警鐘を鳴らしているのでした。
子どもの中に「登校せねば」という登校圧力がさほどないという状態で、もし何か(ちょっとでも)嫌なことがあったから学校にはいかないをOKとすると、いわゆる不快感への適応力を育てない方向に向かいかねない、、、という視点も述べられていました。
「世界から押し返される」経験、自分の思い通りにならない経験。
そうした経験を、親として、社会の一員として提供することも考えていくことも大事なのかもな、、、そんなことを思った次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!