怠惰な1日を「強制リセット」する方法
久しぶりに、やってしまいました。
昨日、大学の授業で共に授業を運営した男子学生2人と、遅ればせながらの「春学期の授業のお疲れ様でした会」を実施しました。気分が盛り上がってしまったのか、いつも飲まない日本酒を結構飲んでしまいました。
結果、お酒がガンガン残った翌朝。そして、お恥ずかしながら「怠惰な1日」と呼べるものを過ごしてしまい、「そんなことしてる場合じゃないのに・・・」と後悔の念に苛まれておりました。
しかし、どんな1日を過ごそうとも「リセットをすることができる習慣」というのがいくつかあります(個人調べ)。今日は、そのお話について書いてみたいと思います。よろしければ、お付き合いくださいませ。
酒から始まる「負のループ」
「打ち上げ」✕「酒」。
このコンボは、羽を伸ばしちゃうニオイしかしません。
頑張ったんだし、今日は特別だゾー、と天使なのか悪魔なのかの囁きが聞こえてくるようです。
そこで、大学生を含めてお酒を酌み交わすと、仕事、、、ではなく「大学生の恋バナ」の話、あるいは「これからの夢」みたい話もたくさん。そうした話題で舞い上がったのでしょうか、お酒がすすむ、すすむ。
そして、あっという間に夜も遅くなったのでした。
・・・しかし、アルコールは確実に体にインパクトを残します。
翌朝、明らかに体が重い自分に気づきました。いわゆる「負のループ」が始まりです。こんな感じ。
「お酒飲み過ぎで翌日を迎える。朝起きれない」
→「朝の習慣のメルマガが送れず、仕事開始」
→「午前中のアポイントを終え、昼寝をする」
→「午後、寝すぎて頭がスッキリしない」
→「疲れているので、なんとなくSNSを見る」
→「気づくと夕方になる。しかし仕事は終わっていない」
→「なんならメルマガも終わっていない(毎日送るのがMUST)
→「やらなきゃという思いはあるため、その罪悪感でモヤモヤする」
・・・という「負のループ」。
怠惰な自分というアイデンティティ
ああ、そういえば、と昨晩の昔話を思い出します。
「元来、私は怠惰な人間である」のだ、という古い記憶です。
アイデンティティ、すなわち、自分は何者か?というのは、過去から綿々と連なる染み付いた記憶と感情の束で出来上がってるよう。
たとえば、「小中学校の夏休みの宿題は最後の日まで持ち越す」。
「高校時代は、毎日なにするわけでもなく、遊んで成績が急降下していく」。「大学時代は、酒を飲んでだらだら昼まで寝ている」。
ああ、自分、毎日メルマガとか書いているから、勤勉・忍耐・自律・規律の習慣を後天的に装填しているようにみせているけれど、「アイデンティティとしては怠惰なまま」であると気付きます。
何かの課題を、締め切り前に前もって提出する人を見て、毎度のこと「ああ、いいなあ」と想い焦がれる自分を思い出します。
エリクソンの発達課題の、児童期における「勤勉性」VS「劣等感」に、やり残した課題でもあったのであろうか?、、、なんて思ったり。
怠惰な1日を「強制リセット」する方法
・・・とこのように、スタートでコケて、ずるずると過ぎた1日は、「負け戦」のごときもの。
”後悔”の感情はあり、そこから悲観的になりこそすれ、「最高の1日だった!」とドーパミンが出るような達成感はありません。しかし、個人的には「こうした後悔しかない1日でも、強制的にリセットする方法」はあると感じています
大きく2つです。
1つ目は、「メルマガ」です。(noteでも、日記でもよいです)
書くメディアは何でもよいと思いますが、要は今回の記事のように、”1日起こったことを振り返り、反省の意を表明すること”です。
すると、一旦そこで「ダメだったけど、今日は一応やることはやった(メルマガのこと)」をいう感覚が残ります。
「どんな小さなことでも、1日を振り返る」。
大事なのは、区切りをつけることです。
2つ目は、「ランニング」です。
これは以前もnoteで書かせていただきましたが、どんなモヤモヤしていることがっても、ランニングなどの運動で、脳内ホルモンを出してしまえば、強制的にスッキリすることに繋がります。汗とともに、1日もリセットできます。
まとめ
たまにはお酒を食らい、お酒に喰われる日もあります(という言い訳(汗))。
大事なことは引きづらないこと。
なんだかんだ、私の場合は「毎日メルマガを絶対に送る(noteを書く)」ということは、元々が怠惰な性格であろうが、後天的に自分自身に癒着させたものですから、絶対にリセットをすることはできます。
そうして、1日1日、終わらせて、また明日歩めばいい、そんなふうに自分に言い聞かせた次第でございます。明日はがんばろう!
最後までお読み頂き、ありがとうございました!