鑑賞日時:11/19(土)10:40 鑑賞映画館:新宿バルト9 日本公開からとうに旬も過ぎたときにやっと観に行けた作品なので簡単な感想としたい。 評判が良くないと聞いていたが、とんでもなく面白かった。アーサーもジョーカーもその存在ぶり(実存)を堪能できた。やはり擁護しなければいけない作品。 法廷劇の最後で「ジョーカーはいない」と呟いたのは誰だったのか?ジョーカー自身ではなかったのか?つまりアーサーの中にジョーカーがいたのではなくジョーカーの中にアーサーがいたのだ。
鑑賞日時:11/9(土)21:50 鑑賞映画館:TOHOシネマズ新宿 のり子(綾瀬はるか)は鳥取の町で清掃員として働いている。ある日清掃の仕事で訪れた精神病院で入院患者の理映子(市川実日子)から、姫路に居る自分の娘をここに連れてきてほしいと頼まれる。のり子は衝動的に社用車に乗り込み、理映子からもらった写真を手掛かりに娘を探すため姫路に向かう。やがて偶然にも娘のハルに出くわし、ハルを助手席に乗せて国道29号線を走りだす。 草むらでの、のり子とハルのアップの切り返し。二人
鑑賞日時:10/6(日)8:25〜 映画館:新宿ピカデリー 近未来の米国は内戦の末期状態。政府軍とカリフォルニア州&テキサス州連合軍との武力衝突は激しさを増している。超法規的権威を誇示する政府軍側米大統領に単独インタビューを決行するべく、リー(キルステン・ダンスト)をはじめとするベテランジャーナリスト3人と未熟カメラマンのジェシー(ケイリー・スピーニー)はニューヨークからワシントンD.C.へ向かう。 ワシントンD.C.到着まではロードムーヴィーの様相を呈し、到着後から
『違国日記』 鑑賞日時:9/23(月) 映画館:Morc阿佐ヶ谷 『異国』ではなくて『違国』。 違国とは? そして日記。 今年6月公開当時、瀬田なつき監督と新垣結衣ということと作品タイトルに惹かれて観ようと思っていたのだがその前に漫画原作の評判を聞いて無料配信があることを知り、時間があるときに読んでみたらこれが驚いた。槙生と朝の関係性になんと深みがあることか。深みというのは朝のモノローグの言葉と槙生が発する言葉の豊潤さ。さらに言葉がない一コマ一コマにも絵の明暗から
『霊性の震災学』2016年出版 新曜社 金菱清(ゼミナール)編 読書の秋。先日図書館から借りて再読了。今回読み終わった感想を少し。 これからなにも今夜(9/17)の中秋の名月が熱帯夜だからといって少しでも涼しさを感じたいがために無理やり幽霊話をするわけではない。この本は東北学院大学のゼミナールの学生達が2011年東日本大震災発生後しばらく経った被災地の実地調査の結果をまとめたレポート集である。 構成は第1章から第8章までだけど、題名にもある"霊性"を真に感じさ
『きみの色』山田尚子監督 【鑑賞日時】9/1(日)8:10~ 【鑑賞映画館】新宿ピカデリー この物語の中心として動く3人以外に登場する目立つキャラクターとして、シスター日吉子の身振りを眺めていると『リズと青い鳥』(2018年)の新山先生を思い出した。この新山先生はオーボエ奏者の鎧塚みぞれにクライマックスの感動を決定的にさせる”気づき”を与えている重要な人物。だからこそ『リズと青い鳥』は傑作なのである。 しかし『きみの色』を観ながら新山先生を思い出すことは、この作品と『
『悪は存在しない』 鑑賞日時:7/20(土)17:15~ k2cinema 不穏なメロディとともに木立を真下から仰ぎ見ながら移動する長めのショットで始まる『悪は存在しない』。いくつか印象に残った不思議な場面がある。たとえば巧(大美賀均)が娘の花(西川玲)を車で迎えに来て保育園に到着したところ。まるで時間が止まっているかのように園内広場での子供たちが様々な立ちポーズでじっと固まっているのだ。ん?なんだ?と一瞬不安になったが、やがて「だるまさんがころんだ」と声が入る。なんだそ
2021年を無事に迎えたものの、2020年の問題はあらためて2021年の問題として引き継がれる。コロナウイルスによるパンデミックは全世界を覆い、米国解体の危機が迫っている大統領選挙の行方は依然混沌としたままだ。 一方、我が国日本はどうか?2021年の予測としては東京五輪開催の実現云々は論外としても、政治の混迷は凄惨を極めつつありそうだ。その根拠として先月12月半ばにトヨタの社長である豊田章男のオンライン記者会見の内容を示したい。 管政権が2030年代までにガソリン車
11月9日の深夜、私の母が亡くなった。享年78歳。医師によれば肺の機能の寿命とのことで、トリガを考えれば非結核性細菌云々と辿ることはできるけれども、解釈としては肺の衰弱は年齢とともに非可逆的に進行するもので、やはり寿命と捉えた方が自然だと言われた。 実は今、私は苦しんでいる。悲しみがおさまらない。後悔の思い。母は1年近くに及ぶ入院生活。日に日に弱っていく姿を見ていて死の覚悟はできていた。そのつもりであった。危篤から臨終、通夜、火葬まで、別れの悲しみは湧くものの、母の緩やか
8/24晩夏。街路樹の蝉が騒がしくも暮れ方が過ぎてゆく常盤台駅前。赤羽行きのバスに乗って10分、途中淑徳学園辺りに降り立った。今夜も介護入院中の母の見舞いに行った。10日ぶりだ。できれば毎日行きたい。しかし時間がそれを許さない。 4Fの病棟に足早に向かうと母は夕食中だった。良かった、間に合った。しっかり食べているのをみると安心する。顔の血色もいい。口の周りに付いたご飯粒をティッシュでふき取ってやると無言でにっこりと笑う。痩せこけた首筋。か細くなった手足は動かせても起き上