『ルート29』映画鑑賞
鑑賞日時:11/9(土)21:50
鑑賞映画館:TOHOシネマズ新宿
のり子(綾瀬はるか)は鳥取の町で清掃員として働いている。ある日清掃の仕事で訪れた精神病院で入院患者の理映子(市川実日子)から、姫路に居る自分の娘をここに連れてきてほしいと頼まれる。のり子は衝動的に社用車に乗り込み、理映子からもらった写真を手掛かりに娘を探すため姫路に向かう。やがて偶然にも娘のハルに出くわし、ハルを助手席に乗せて国道29号線を走りだす。
草むらでの、のり子とハルのアップの切り返し。二人の出会いの始まりで物語が動き出す。のり子がハルに、指と指が触れるか触れないかの微妙な加減で写真を手渡した直後の、のり子の手だけがわずか長めに映されるショットが素晴らしい。のり子とハルの邂逅。二人の絆を予感させる。
のり子とハルは薄暗い食事のお店で二匹の犬を連れた赤い服の不気味な女(伊佐山ひろ子)と出会う。女はのり子達にもう一匹の行方知らずの犬を探してほしいと頼む。しかしこともあろうかこの女は二人が乗っていた車を盗んで走り去ってしまうのだ。車を盗まれた二人はやむなく徒歩で国道を進むことになる。ここは重要な場面だ。私の解釈は車で走るしかありえない距離の国道を歩き始めるしかなくなる事態が実は”異界”へ場を移す契機となっているのではないか。赤い服の女は異界へ二人を誘う役割を持っていたのではないだろうか。
徒歩で国道を進む二人。その途中で様々な普通とはちょっと違う人間たちに出会う。国道の真ん中でひっくり返った車からのり子たちに救出される無表情の寡黙な老人(大西力)。まるで社会から疎外されたかのような旅を続けている父子(高良健吾と原田琥之佑)。円形の小さなピアノ椅子に膝を抱えた危うい姿勢で冗長に自問自答を続けるのり子の姉・亜矢子(河井青葉)。
印象に残ったのは、のり子たちと老人が湖畔に立った場面。老人は唐突に「カヌーに乗りたい」とつぶやく。のり子とハルが乗る黄色のカヌーと老人が乗る緑色のカヌー。2艘のカヌーが同時に並んで進んでいくショットになぜか涙腺を刺激するような感動があって、胸にグッときてしまった。なぜだろうか?私が思うに老人はすでに生者ではない。老人が見せる”カヌーのパドルを漕ぐ”という運動がそれまでの黙した老人の硬直しながらの動きとの激しいコントラストに思わず、あっ…老人はこのまま此岸から退場していくのだな…と涅槃へ漕ぎ進むことを誰もがあたりまえの宿命とした人生の無常感が喚起されたのかもしれない。
『ルート29』は現代詩を作品の原作としている。多くはないがあらゆる場面で詩の断片的なイメージが映像として表現されている。それは森井勇佑監督の世界観とも呼応しているのは間違いない。(『こちらあみ子』との共通点)よって自動的に現実のリアリティからは距離を置いた仕上がりとなっている。その脈絡を失ったような脱構築の要素に戸惑う観客もいるだろう。でも私は異界としての国道29号線の旅路の、のり子とハルが場面場面で見せる、リアリティではないアクチュアルな体験に観る者がひたすら寄り添い続けることによってかなり楽しめる作品であることを確信している。