音楽講師や、個別指導講師に対して良くある誤解
私は、受講生や生徒さんに対して、宿題や、これは使ったほうが良い、これはやったほうが良い、などの指示を出すことがある。
当然ながら、その生徒さん本人が伸びる、本人がこれからやりやすく習っていることを身につけて行くことができるためを見越してである。
ここまではまあ、当たり前の話だ。
しかしここで、どうも現代人の受講生さんの多くは、
「宿題を出された=やる・やらない」の「表面的動作」の構図に切り替えられてしまうヒトが非常に多いようだ。
というのはどういうことか。
宿題をしてこようがしてこまいが、こちらとしては「ああそうですか」としか反応のしようがないのだが、
これを心理セラピストの感覚から見ていると、どうも「宿題を忘れたら叱られる(叱ってくれる)」が何やら無自覚の根底にあって、宿題をしてこない、という現代人受講生が多い。
(本人はうっかりだとか忘れていたという「顕在意識の自覚(理由の後付け)」はあったりするものだが、潜在意識には必ずすべての言動行動には理由と目的がある)
そしてこれには同時に、叱られたいだけではなく、宿題をやらなかった=叱ってくれる=(何かを)無理やりやらせてくれたりやらせようとしてくれる(自分の人生に何かを押し付け支配しその人が自分の人生動かしてくれる)が潜んでいる。
しかしおわかりだろうが、はっきり言って、
宿題や師に勧めてもらったことをやらない、または次の授業など期限までに「やってこない(形式)」に対して「叱ってもらえる」のは、義務教育までである。
ましてや「自分自身」が習いたくてやっていること、そしてそれに対して師が課題を出してくれたものをやろうがやるまいが、自分の身になるかそれとも内容的に課題として(師が世話を焼いてくれて)出されたものをやらなかったがゆえに本人が本人の授業や人生の中のいろいろなところ大きなこと小さなことに直面したときに困るかは本人だけの問題である。
または、今後、授業やレッスンをしていく上でこの子に必要だからと提示されたものを「やらないということで」「自覚があろうがなかろうが指示を無視する、ということで」授業やレッスンの進捗が悪くなったり困ることが度々起こるようであれば、破門されるだけの話である。
(無論、宿題などやってこなくても進捗も素晴らしいならば、寧ろ師のほうが課題の出し方を本人の段階に適切に合わせ見極めたものに改める余地があろう。)
なぜなら、それは結果的に本人が自分の意志で「やりたくない」「やらない」「この師には同意できない」ということを表明してきているからである。
師の出した課題や指示は「やらなければならない」ものではない。
本人が本人のため(自分の人生や、またはまさにその自分の人生の中でその師について学んでいる内容を身につけるために)に、師が提示してくれているものであるわけなので、それを弟子がどうしようと自分の人生にどう使おうといちいちどうこう言ってやるものではないし、弟子の本人の人生を無理やりどうこうする義務も権利もないし契約として依頼もされていない(それをどうこうやる師はそもそもそれがどの領域であろうが人間として「弟子を育てる師」としてまずいのでいずれにせよやめたほうがいい)。
本人、本人のために本当に自分の人生の中でその師とかかわっている「内容領域」について「やりたい」ならば、本人から勝手にやってくるものである。
だって、やってこなければ次の授業なりレッスンなりで次の段階の内容に進めなかったり何もできることがなくてただ薄っぺらいまま時間だけ過ごして自分自身でとっている金銭や時間・人生を棒に振るのは自分自身なのだから。
逆に、(実は本心では)師に同意できない弟子を師は見極めずに教えるべきではない。(本人の人生を支配し搾取してしまう)