あなたの能力、育てるとか身につけるものだと、思っていませんか?

現代日本人にとても多いように感じていることですが…

例えばあなたは、
「私は別に何の能力も得意教科も特技もない。社会に貢献できることも自分の仕事として大成できるような要素も何も持っていない。私は平凡で、何もできないなあ。大勢の中のひとりだなあ。」
…などと、思っていませんか?
(今の日本人は、そう思わされるよう思わされるような潜在的教育が家でも学校でも社会文化全体でも行われるようになっていますから、あなたがそのように思わされてしまっていても、多くの人がそう思ってしまっていても、無理はないのですが。)

今の社会は、基本的に何でもかんでも「枠付け」するので、例えばLGBTの考え方などについても、男、女の2分(にぶん)から、更に中性、更にはトランスジェンダー、その中でもFtMとMtF、更には性別を自覚していないXもいるし…などと、どんどんどんどん細かく分けられて「増えている」「みんながだんだん当て嵌まるようになっていく」ように錯覚しますが、実はまったく「逆」なのです。
枠付けが増えれば増えるほど、どんどん「(これだけ出たのだから)それしかないもの」と思われていくものです。更には、一番怖いのは、「無自覚に」自分をその中の「どれか」に入れるようにと当て嵌めだして自分を切り分け自分を区切り自分を狭め自分を成型してその枠の形に合わせて変えようとし出すのです。

今、それでいながら「多様化の時代」などと言われています。
が、実際は、多様化と謳ってみんながどんどん自由になっているのだよとプロパガンダして思い込ませながら、実際は「細かく細かく区分けする」ことで、逆に「これしかない中に」粗く大まかに分別しようとしているという現状があります。
…もっと言えば…それは、かごの中のひよこや家畜たちに「自分たちは自由なんだな、どんどん自由になっているのか!」とうまいこと思わせながら、実は自分たち(支配者側)の都合の良い区切り、区分け、棚に整理してしまって思い通りにしていくことができる…ということでもあるのですが、その辺りの話はこの記事ではいたしません。

私は解離性同一性障害(多重人格)の当事者でもありますが、あるかたの言葉が本当に的を射ていると感じています。
「多重人格者というのは人格がたくさんいるように見えるけれども、実は、交代人格数が多ければ多いほど、『人格数は少ない』のだよ」という言葉。
『人格数』という言葉を使ってしまうといろいろと語弊が生まれるのですが、これは、「ヒトとしての面」「ヒトとしての能力や素材の表し方」という意味です。
私は、かつて交代人格が120人を越していたことがありました。医師たちにも驚かれます。
が、今になってからやっとわかります。
あの頃は、120通りの「パターン」でしか、この子(この身体という存在)の持ち得るものを表現することができず、しかも、必ずその120の中のどれかを選びその中に当て嵌めた形でしか出すことができなかったのだな、と。
今から記憶も自覚もしていますが、とてつもなく窮屈でした。と、今になって本当に初めて、感じます。

というのも、確かに表面的には120人もいれば、120人それぞれの、例えばフルートにしても演奏できる人格もいればできない人格もいれば、演奏法やレベルも違ったり、得意教科が違ったり、そんなことはしました。
しかし、常にその「形」その「組み合わせ」のパターンでしか発揮できなかったわけです。
…とはいえ、当時は「それが自分(それぞれ)だ」「自分は交代人格Aだ、それ以外の部分は別人であるし、私はAの部分だけでしかない」と自分自身を海岸の砂粒よりも何百分の一も小さいものだと思ってしまっていた(しかもその自覚もないのです)のですが。
すべて、かつてを突き抜けて今になって初めて自覚できていることです。

そして、あの頃は、確かに交代人格ごとにいろいろなことをやってはいました。

…しかし、今の私は、これは実はよく思うことなのですが…
かつて、交代人格120人越えだったときにそれこそ毎日まったく違うことを、別人かと思われるようなことを何種類もしていましたけれども、今は、120人越えですらしていなかったことを、しかも日ごと、一日一日のうちに、それこそ同時と言って良いくらいに1石2鳥3鳥4鳥5鳥の勢いで、しかもあらゆる細かく変化する自由自在のパターンで表現表出することをしています。

大きな、地球上の一番多くの面積を占めている、海をイメージしてみてください。
海の水は流動的で、どこへでも行くことができますよね。さっきAの場所にあった水の粒子は、とある瞬間にはBの場所やXの場所、もしくはCとDの更に中間の場所などにも行くことができ、他の「どの」水の粒子と一緒にいることも、くっつくことも、また別の粒子とくっついて一緒に水の表面に浮かぶようなこともできるわけです。あらゆる形で。あらゆるタイミングで。
しかし、人間は、この海を、実は海には境界線も何もないのに、いくつかに切り分けて教えます。ここからここが太平洋、ここからここが大西洋。…下手をすれば、ここまでが日本の領海だよ。この内側は日本の海なのだよ!と教えますが、実はそこで採れる魚介類は決してその領海内だけで生きている魚たちではなくどこからどこへも行くことができる魚たちですし、水だって、その領海内に留まる水の粒子などありませんから、どれが日本の領海の水だかなど、絶対にわかりませんよね。

ましてや「ヒトの意識の中」など、「どこに何がある」などというレベルの話ではないのです。
ちょうど肺の前あたりに恥ずかしがり屋の部分(自分)がいる、ちょうど脾臓の下くらいに私の日本語力がある……なんて話ではないのです。

そして、話を戻したいのですが…
あなたは、「自分には別段能力も特技もない。能力というのは特別な人だけが生まれ持っているものだ。能力というのは外側から身につけて育てなければならないものだ」などと、思っていませんか?

違うのですよ。

「あなた」は「あなた」なので、「あなた」が今までもこれからも生きていきます。そしてそれは、あなたの器(身体)そのものの存在です。
確かに、言葉の上では(言葉はあくまでも物事の非常に狭い小さな一面しか表しませんから)、「能力を育てる」というような言い方もできるかもしれません。しかし、それは、「あなたになかったものを外側から入れ込まれて埋め込まれて」存在するようになるものではありません。
必ず、先に、あなたの中には受け皿がありますし、それに実は、それが伸びていき開花するための要素は、最初から「あなたの中に」あるのですよ。
火のないところに煙は立たぬ、といいますが、誰も、あなたの中にそもそもないものを、突然存在させることはできないのです。

外側からあなたの成長を手伝ってくれることができる人たち(例えばその分野の先生)などは、では何をしているのかというと、あなたが自分の中からその要素を見つけて引き出すことをただ見守って、時にはその引き出し方を外側から実況説明して、あなた自身があなた自身の心の畑からそれを見つけ出して引き出して大きく育てることを手伝うだけなのです。


しかし、現代の日本の人たちは、ご自身の持っている素晴らしい素材に気付かないばかりか、「自分の心の畑には何も植えられていない!私の畑の中には何の種もない!」と、ただただ土の上をぱっと見しただけで思い込んでしまっている人が、とてつもなく多いように私には見えます。
…それは、今の日本や世界の現状、幼い頃からの教育のシステムが、「物事は外側から知識として入れるもの」というように当たり前のように思わせるようになってしまっているから。まるで、ヒトの心の畑には誰かが「苗を植える」ことで初めて育てていくことができるもの、というような。
だから、あなたももれなくそう思ってしまっている(しかもそれすら無自覚に)ことには無理はないのですが……

しかしながら、あなたの心の畑の土壌の中に実はたくさん植わっている、美しい花や大きな実のなる種は、土の中で見つけてもらえないまま放っておかれれば、そのうち腐ってしまいます。
私には、あなたのその心の畑の中にも、すばらしい種がたくさん植わっていることが見えるのです。…もったいない!!!!!


そして、これから実はものすごく大きく縦横無尽に伸びる、そして他の草木とも合体してものすごくとんでもないスケールの集大成に育つような種をいっぱい持っているのに、その種がどこにどう植わっているのか、いや種が植わっているとすら思わず、自分の心の自分の畑を自分で区画分けばかりしてしまっているひとも、今の日本にはとてつもなくたくさんいらっしゃいます。

区画分けした畑でもし万が一どれかの種の芽が出ても、大きく育つ種はわざわざ狭くされた場所では育つことができません。
もし育っても、その区画に無理やり当て嵌まる、無理やり成形された小さな弱弱しい木になってしまいますし、枯れるのもはやいです。


区画分けをせず、自分自身を切り分けず「すべてがそこに在る状態」のまま、自分自身で自分自身を勝手にいじくらず(顕在意識で潜在意識の心や身体を邪魔せずに)、思い込みで心や外側の畑を区切ったり種があるないと決めつけず、ただ、その種たちが育っていくことのできる解放した環境のみを自分自身に与え、必要があればその種たちの専門家と繋がって育つのを見守ってもらいながら、ただ自由奔放に自分の中から、生きている間に世の中にいつの間にか引き出され発揮するがままになっている状態、これこそが、実は初めて、
「自己一致」の状態であり、
「等身大」の状態なのです。


それを、自分で自分自身を幼い頃から随分と決めつけ思い込み、自分の畑に何が植わっているのか知ろうともせずこれまた決めつけ、種の芽が出てもいないのに畑を勝手に区画分けしたり、一見手入れをしているように見えて畑の種の土の上に固いタイルを敷いてしまっていたり…
そんなひとたちが、ものすごく増えています。

あなたがたの畑の土の中の、閉じ込められた種の泣き叫びが、私にはどんどん聞こえてくる…
そのため、私は今、多岐にわたってこんな活動をしています。いや、いつの間にかこんな活動をしている自分がいて、駆り立てられてやみません。


あなたの「等身大」は、あなたが思っているより実は断然大きいのですよ。

私は、そんなあなたの畑の中の種を、あなたが見つけ出し、守り引き出し、どんどん成長させる、そして自分で自分にしてしまう「自分への邪魔」をしなくなって、あるがままに自由に解放されて育っていくことができる、そのためのお手伝いをしています。
それが、表面的社会的に見るとどんな領域であっても、です。

なぜなら、あなたの中のものはあなた自身が育てていくので、その内容や種の種類がどんなものであろうと、育てるお手伝いはできるのです。
そして、私自身も実は対応できる種の種類も多いですし、必要があれば、その種の専門家さんに繋げるお手伝いもできるわけです。
しかし……まずは、それがどんな種であれ、自由に邪魔されずちゃんと育っていくための畑を作ることからです。そのお手伝いは、どんな種であれ同じなので、安心してください。というより、その土台をあなた自身があなた専用に作るしくみを、私は専門としていると言った方がよいのかもしれませんね。


まず、自己一致をしたい、
等身大の自分を感じることから始めたいひと、

自分の畑の中に本当に何か大きく育つ種があるのか…?
自分に育てられるのか…?
まずはどんな種が自分の中に眠っているのかを知りたいひと、


ぜひ一度、私にお話聞かせてくださいね。
以下からお気軽に、いつでも、お声がけください。


ヒトの心や身体のしくみの根底・真髄からしっかりと学び、ヒトの心や身体の”土壌”を整え、そのヒトに植わっている種を見極め、その種を邪魔しているものを取り除いたり有益な使い方に変容させ、ヒトがご自身の可能性をどんどんどんどん拓いていくお手伝いをする、そんなことをしたい、自分の中のそんな種を育てたいかたは、ぜひこちらへ。
まずは無料事前個別相談にお越しください。私自身が「あなたの可能性を拓く」専門家なので、今のあなたにぴったりの方法を、一緒にお話して見つけてから、心と身体の納得の上で取り掛かることができますよ。

更には様々な心理学や心理療法、自己実現、自己開拓、改革、社会的福祉の方角や、補い合い、支え合い、音楽、教育…そんな言葉にも何か響くひとは、ぜひ以下のお問い合わせフォームから、一度メッセージくださいね。

(以下はそのコミュニティの中の新設部門です)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?