白杖使用者の日常―食器を洗う時
白杖使用者の、と書いたが、外出中の話ではなく…
ふと、思った。
私は今、シェアハウスで、台所や水回りや洗濯機などを共用した、4人同居生活をしている。
ここに来てから感じたこと。
洗い物は、私が一番うまい。
いや、もしかしたら、我々は実家においてもかなり綺麗好きな人たちの環境にいたため、水準自体がある程度高いのかもしれない。
しかし、たまに同居人が私の食器を一緒に洗ってくれたり、台所の食器干し棚に置かれている共用食器や鍋などを見ると、なかなか、あからさまに汚れが残っている。
時間に余裕を持たない住人が多いこともあるかもしれないが、私は例え時間が1分1秒も惜しいような場面でも洗ったらそれはちゃんと洗う環境で育っている。中途半端に残せば余計ツケが全部自分にまわってくるのだから余計にどんどん時間も余裕も失っていくことになる。そもそも汚れや洗剤が残っていれば、その折角ぎりぎりを使って「洗った」行為もなかった同様のことになってしまう。
それに、性格としてはなかなか、洗剤が残っていて体内に入ったら、などということを気にしたり、自然派であったりする人達だ。
つまり、恐らくは、洗ったものを確認していないのだろう。もしくは、ぱっと見で見落とすのだろう。
私はその点、自分の皿であろうが共用部のものであろうが、使う時には必ず見て(=触って)確認してから使うため、指で探ると汚れが残っていることに気付きやすい。
私は自分で洗う場合はそもそも目視で確認することは困難であるため、まんべんなく触って確かめる。汚れがある限りは、それを指に感じなくなるまで洗う。
必然的に洗い残しがなくなる。
私より同居人の方が洗うことがうまいものがある。
飲み物用のマグカップなど。
茶渋は指の感覚では見えない。
そのため、私はメラミンスポンジで、洗い始めた位置を指で覚えておきながら、洗い残しが一切ないように隙間ができないようにくまなくこする。
以前、私のコップを住人が洗ってくれたとき、牛乳の水面の位置が長く変わらなかったことにより壁面にこびりついた線が、まるでくっきり残っていたことがあった。透明~白の上に細い線に見えるのだろうから、恐らく「見えなかった」のだろう。
…実はもうふたつ、私に苦手なことがある。
私自身の使っているフォーク。取っ手や根元に、細かな模様(しかも絵というより幾何学的な模様だろうか)が入っており、洗ったとき、汚れが残っているのか、この彫刻模様なのかがわからない…。ひとまずしっかりと残しのないようにこすり、あとは勘と何となくのいつもの感覚で良しとすることにしているが、紛らわしいなこいつと、毎回つい思ってしまう。
まあこれは苦手のうちには入らないが、もうひとつ。これは難しい。
食器や鍋以上の、シンクに入らない大きなもの。
いっそシャワー室に一緒に入って身体の全身を洗うついでに洗ってしまうならできるのだが、大きなものをシャワー片手に、手だけで洗うということは私にとっては酷く難しい。底が深いゴミ箱のような箱であるとか、棚の類など少々複雑な形のものであるなど。
実は私は外出から帰ってきたとき、白杖を(自室に立てかけているので)毎回洗うのだが、これも台所のシンクで少しずつ位置をずらしながら洗うことが難しく(杖が他のものにぶつかったり、水が伝って床や身体が水浸しになってしまったり、洗えたかどうか・洗剤が残っていないか確認が難しい、など)、帰るなりシャワー室の中に立てかけて置き、後に自分自身がシャワー室に入った時に一緒に洗ってしまう。
以前、ホテルの裏方の洗い場にいたことがある。
この時、そこで長く働いている方から聞いたのだが、弱視の人がいたことがあったらしく、その人は誰より、食洗機から洗い終わって出てきた皿を確認する作業で汚れを見つけることが達者だったという。
ところで、これは汚れとは関係がないのだが、私は台所にある物の配置が変わったり、いつも置いていないものが置いてあると、状況がわからず手間取り作業が難しくなってしまう。
そのため、台所に置きっぱなしの食器やら、シンクに置きっぱなしになっている食器やら、勝手に洗ってしまう。
ちなみにこれは住人たちももう慣れっこで、寧ろ例えば寝坊して時間がない時やら、今まで適当に台所に置いていた洗うつもりの食器など(私が「変なところに置かれていると危ない上、勝手に洗って良いものかもわからず迷うので遠慮なくシンクに入れておいてくれ」と頼んでいるため)、遠慮なくシンクの中に置き去りにしてあるので、私も遠慮なくまとめて洗っている。
ついでにその方が水や洗剤もバラバラに使われない分、経済的でもあるのではないだろうか?(まあ…私個人がなかなか湯も洗剤も多く使ってしまう性質かもしれないのだが)
視覚で生きている人たちと、視覚情報に頼ることのできない者で、このような得手不得手があるというのも面白い。