「あたらしい船(物語)」⑥
自分でどうするべきなのか、ほんとうはわかっている。けれどその通りにするのは難しい。
わたあめのように甘くしつこく不愉快な湯船にのぼせあがって、わたしは、流れに身を任せすぎた。
〜〜〜「あたらしい船」①〜⑤話へはマガジン「物語の創作」から…。
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空き巣は狙う家の定め方として、駐車場のうらや公園の近くといった立地だけでなく、その家の外観に着目する。花壇があれば、その花壇の花が枯れていたり雑草が伸び放題だったりしたほうが良い。なぜならば、そういったせっかく装飾しているのに手入れを怠っている家の主人はそれが気にならないから放っておけるのである。忙しくても、ほんとうに装飾に気を配る人なら業者に頼んで手入れをしてしまう。
空き巣はたいてい、数回に分けて家に侵入する。一度目は現金のほか、通帳やカード一枚など、小さくてうっかりどこかに紛れ込んでしまいそうなもの。それを二回、三回と繰り返し、それから大きなものを思い切って盗む。
そしてそういった場合、ひと目につく所の手入れがだらしない家の主人は、小さなものが盗まれても気が付かない場合が殆どなので、第三ステップまで順調に進みやすい。紛失に気がついたとしても、あら、またどこかに行ってしまった、でもまぁどこかに紛れているんでしょう、という具合だ。
気がついた時には、全て失っている。失ってようやく、ほんとうにはずっと前から少しずつ自分の手元を去っていた事に気がつくのだ。
空き巣に狙われやすいだらしのない家。その特徴はまさに我が家だった。
憂鬱な気分の朝だけは、わたしは玄関前の郵便受けを開ける。午前九時半、いつものように郵便受けには、開けると雪崩れるほどに郵便物が溜まっていた。数日分の新聞紙を左腕に乗せ、地面に落ちたメッセージカード達を拾い上げる。
殆どのメッセージカードはデパートや脱毛エステのセールの知らせだが、その中で一通、今にも空に舞いそうな美しい水色のカードがあった。自分宛てではないだろうと思いつつ裏返してみる。と、そこにはわたしの名前と二年前の春まで通っていた学校のスタンプがあった。
部屋へ戻ってそれを開くと、顔を出したのは「年末食事会のお知らせ」だった。日程は十一月の末。
わたしはスマートフォンのメッセージを開いた。
ランコちゃんからのメッセージは「お風呂入ってくる」「いつもほんとうにありがとう」の後、やはり一切音沙汰はない。
スマートフォンが壊れてしまって、同時にわたしの連絡先のデータまで破壊されてしまった可能性もある。わたし達はメッセージツールがあるからと電話番号や住所の交換は一切していない。実際には様々な可能性があるのだが、どうしてもわたしにはどれも違うと思えてならなかった。
ベッドに横たわり、天井を仰ぐ。明日は仕事だが、今日はなんの予定もない。やらなきゃいけない事もない。わたしは夜まで、ただその夜の到来をじっと自分の呼吸の数だけ数えて待てば良い。なんて豊かな事だろう。わたしは今日、急ぐ必要がない。
しかしこう真っ白い天井をただ時間も気にせず仰いでいると、どうもわたしはずっと前から実際には年を取っていなかったような気がしてしまう。二十二になった事など、昼寝で見た夢なのではないか、と疑いたくなる。
わたしはいっそ強迫的に子供には戻りたくないと思っているが、ひとつだけ、子供の頃を懐かしく思う部分がある。それは子供の頃は今よりも時間の感覚に疎かったという点だ。子供の頃も予定はあったし、自由な時間はひょっとすると今とそう変わらないかもしれない。しかし子供の頃は、次の予定まで時間が僅かでもさほど急ごうとはせず、それでも間に合っていた気がする。帰宅後二十分の自由時間では休む暇などありはしない。次の予定でやるべき事やそれがどうしたらより上手く運ぶかと忙しなく頭を働かせ続ける。きっとおとなになった今が時間に対して神経質すぎるのだが、大人になると責任が増えるのは確かなので、そう神経質にならざるを得ない。
わたしには専門学校に入るまでの十八歳までの記憶が殆どないと言った。それは信用に値する記憶が殆ど無いという意味だ。わたしは家族の誰とも自然なコミュニケーションを取ることができない。家族の前では笑うのがどういう事かわからなくなるし、挨拶をするタイミングだっていつも必死に図っている。父に関しては返事をする時さえ、緊張してしまう。まるで野球の試合のようだ。相手は方の筋肉がよく発達したメジャーリガーで活躍するピッチャーで、わたしは草野球チームのバッターだ。いつ、どんな角度からどれほどの速さで投げられるかわからない。だからわたしはいつでも自分に残りうる野生の集中力と神経を張り巡らせておかなくてはならない。
これが果たして家族というに値する者同士の付き合いなのだろうか。
家にいるわたしは、怯えた保護犬のようだ。主人に鞭を受けまいと、いつでも主人の様子を伺って、顔で笑おうとしても過去に鞭で傷つけられたせいで片足を引きずって、それでもその傷を気にしない素振りで呼ばれれば素直に従うしかない。
ふだん、わたしが自分が犬のようだと感じるのはせいぜい集に二日で良い。例外は八月だ。八月のわたしには、柔らかな布団もあってないようなものだ。八月の夜には、逃げ場がない。
わたしはなぜ、わたしが家族の誰とも自然に話せないのか、その原因となる記憶を鮮明には思い出せない。
ぼんやりと、父から受けた平手打ちや、布団越しの腹への蹴り上げや、口答えをすれば目の前で手近な物を破壊されたような事があったような気がするだけだ。断言はできない。記憶とは頼りなく、人間とは誰しも責任逃れな生き物だ。だからわたしのこの記憶も、すべては自分がいま家族と上手に渡り合えないのは、ほんとうには自分がただ妙に頑固で可愛げがないだけなのに、その事を受け入れたくなくて、やけに派手な記憶を好き勝手に想像してしまったのかもしれない。
今となってはもう、なにもわからない。
ただ確かに父はわたしより妹と仲が良かった。しかし学業に関して言えば、父はわたしだけを見てくれた。
父は千葉から神奈川にある職場まで片道一時間半ほどかけて通勤していた。朝は六時過ぎに出て、帰宅は夜十時近く。夕飯を済ませると、父は毎晩、二時間から三時間、わたしの為に暗記カードとテスト問題を作成した。すべて手書きだった。それを週末になるとわたしに手渡し、「今晩までにテストを解いてパパの部屋の机に置いておきなさい」と言った。
わたしは父の頭脳を継いで、勉強は得意な方だった。一方、妹はそうではなかった。掛け算を覚えることだけに、小学校六年を使ったような女だ。父はわたしのテストに簡潔に丸付けと間違い直しをして、それを月曜の朝までにわたしの机に置きにきた。
「ん。丸つけといたから」
と、そう言って。それ以上の言葉は父の中にはなかった。
わたしは塾へ行く電車の中で、学校の通学路で、父の書いてくれた暗記カードを読んだ。だから後に不登校になったが、学力は高校まで特に人に劣らなかった。不登校になった話は、また話すと長くなる。ただ情緒不安定な両親が学校へ乗り込んだ事が追い打ちを書けたのは事実だ。そしてわたしが自分自身の記憶に印象を持っていないのは、十代の殆どをわたしという人間に無関心な、とわたしが感じている家庭の中でのみ過ごしていたからだろう。
父や母がわたしに、天気の話や食事の有無を聞くようになったのは、専門学校に入った十八の頃で、そうしてそれからの記憶はそれなりに鮮明だ。
だからわたしは、人の記憶はどれだけ周囲の人間から関心を得ていたかに比例するのではないか、と思うのである。
トントン
天井を仰いで無意味に時間をやり過ごしていると、ノック音がして扉が開いた。
「ご飯だって」
ぽつりと父は言って、また静かに扉を閉めた。
わたしは上体を起こすと、窓の外を見た。まだ外はつよく明るい。
キッチンで自分のナポリタンを皿に盛り付け盆に載せると、わたしはそれを持ってまた部屋へ戻った。ベッドの上で膝を折って座り、そこに盆を乗せて、右手のフォークでくるくると夕焼け色のナポリタンを巻いた。
階下のダイニングで声がした。
「フォークは全員分出した?」
父の声だ。
「んーまだ」
母が答える。
「うちのどれ?」
モモコが尋ね、椅子を引く。
「モモコ、サラダあるけどいる?」母。
「いるー」モモコ。
「モモコ、ドレッシングはゴマでいいの」
父。
今日もあんまり静かだ。
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あと二話。