大人が怖いならこの記事を読んで。アホらしくなるから。
就活で大人が怖くて仕方なくなった経験がある。
親世代ぐらいの大人を相手に緊張したけれど、頑張って発言した最終面接。
だが、口を「へ」の字にして「ふーん」と返事する面接官。
たとえ圧迫面接でなく、面接官に好感触に思われたとしても平気で選考に落とされるから、大人が怖くて仕方がなかった。
入社した時も「大人恐怖症」はなかなか治らず、お客さんだけでなく周りの先輩や上司も恐怖の対象だった。
「この人こんなに仕事もできてすごいなぁ…」という尊敬と「この人優しいけど自分の事を足手まといだと思っていないかな…」という疑いを常に持っていた。
社会人1年生で、まだ周りの人達の事が分からない状態なのだから、当然といえば当然だ。
同じように、大人が怖くて仕方ないと思っている君に向けての処方箋をあげよう。
この考え方1つでアホらしくなるから。
大人ってなんだろう?
ところで、大人とはなんだろうと考えたことがあるだろうか?
年齢が20歳以上の事を「大人」だと考えるのは、どうしても大学生だとしっくりこないとと思う。
なんだかイメージ的には「自立」とか「責任感」とか「我慢」だろうか?
確かにそれは合っているかもしれない。
でも、あえて自分は支え合える関係や組織というくくりの事を「大人」だと言いたい。
誰でも子供のままな部分がどうしてもある
誰でも子供のままな部分がどうしてもある。
片付けが苦手だったり、人(専門家)の言うことを聞かなかったり、逆に自分の考えがなく言われた通りにしか動けなかったり。
特に言われた通りにしか動けない人だなんて、昔は「いい子」扱いにされていたはず。
でも、「指示待ち人間」だなんていう言葉で、場合によって世の中は役立たず扱いにしてくることもある。理不尽である。
これは社会人を3年やれば「自分って根っこの部分は、大学生の時とあんま変わらないどころか、意外に中学・高校の時から変わっていないかも?」と自然に気づくようになる。
そういえば自分の会社に、大の野菜嫌いのアラフィフの先輩がいる。
天ぷらの盛り合わせを注文し、自分の皿に「あげるよ」とせっせと野菜の天ぷらを山盛りにする。
「そんなに嫌いなら天ぷらの盛り合わせにするな。」という至極真っ当な自分と、「やった!ほぼ倍飯食えるじゃんラッキー」と心を躍らせている自分がいる。
まるでサメとコバンザメのようなウィンウィンな関係を取っている。
ちなみにその先輩は父親もしている。
自分に子供がいようと野菜は我慢して食べない。
アラフィフでも野菜は食べない人は食べない。
誰しも子供っぽい所があるんだと分かったら、個人としての「大人」は全然怖くないってことが分かる。
目の前で腕組んで偉そうにしている面接官のおじさんだって、実は普段はポケモンをやっているかもしれないし、忘れ物ばっかりしているかもしれない。
もしかしたら実は人と話すのが苦手で、家電量販店で店員に声をかけるのが怖くて仕方ない人かもしれない。
そう考えると周りの大人が怖いと思うのは、なんだかアホらしくなってくると思わないか?
どんな人でも一人では完璧な「大人」とは言えない
子供のままな部分は、良い意味で言うなら「個性」であり、悪い意味で言うなら「欠点」というわけだ。
つまり子供っぽい部分は、人間それぞれの得意と不得意を表していると言い換えてもいいかもしれない。
一人では完全な「大人」には絶対なれない。
でも、お互いの得意不得意が分かっている人達が集まっている「組織」というくくりで見れば、完全な「大人」である。
さっき話した野菜嫌いの先輩と食いしん坊の自分との関係みたいなものだ。
たとえば働き者はどんな非効率な事でも頑張ることができるけど、いつかは体を壊してしまうかもしれない。
そんな時、いかに仕事を効率的にやってサボるのが得意な「なまけ者」と協力したら、さらに仕事が進むようになる。
そうやってお互いの欠点を補える関係が大人というものなんだと、自分は野菜嫌いの先輩から学んだ。
でも、そもそも野菜嫌いなら最初から頼まなければ良かったのでは…?
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