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なぜ、武術なのか⑸〜” 相手ではなく自分がどうあるか ”というクリシェ

⑦ 意識を自分に向ける


武術を学ぶ前の私は、自分の外の世界(人・物・事)がどうであるかばかりを考えていた。
そこから生まれる考え方は、「アイツのせいでこんな嫌な思いをしている」「なんで自分ばかり損しているのか」「周囲が思うように動かないから悪い」「あの人は評価されているのに自分は正当に評価されない」等々‥。
他人を責める思考や、嫉妬や僻みといったネガティブな感情だ。

ただ、それで置かれた状況が変わる事は滅多にないし、同じような出来事でいっつも苦しんでいる。
ダメだと分かっていても、この負のサイクルから抜け出すことは、なかなか難しい。
このような思考や感情は簡単に自分のプライドを守る事ができるため、無意識のうちにやってしまっているのだ。

こんなこと書いていたら、「” 相手ではなく自分がどうあるかが大切 ”って言いたいんでしょ?」
そんなこと分かっているよ!と言われそうだが‥。
おっしゃる通り。
こんなことはいろいろな自己啓発本にも書いてあるし、多くの偉人たちも似たような言葉を残している、使い古された言葉だ。

だが、ただ知っているからと言って、このことを実行するのは本当に難しい(だって、できないから多くの人がいまだに自己啓発本を買い続けていると思う)。

なぜ難しいのか?

それは本で読んだ内容を、『意志』の力だけで実行しようとするからだと思う。
『今日から寝る前に10分、1日の振り返りをしよう』とか『1日で怒りを感じた出来事を日記に5個そう』、はたまた『朝起きたら10分の瞑想をしよう』といった感じだろうか。

私だったら三日坊主だ。
だって、仕事が遅く終わって疲れてるから早く寝たい日もあるし、前日の夜お酒を飲んで遅かったから、朝は時間ギリギリまで寝ていたい日もある。
そもそもこのような方法が、私のような意志の弱い人間にとって難しい理由のひとつは、1日の中にまとまった時間を確保して習慣化しないといけないという面倒臭さだ。
そしてこれまでも書いてきたように、このような問題の解決策の一つとして武術があると思う。

武術を始めたら、” 自分に意識を向ける習慣がすぐに身につく "なんて綺麗事を言うつもりは全くないが、姿勢作りはいつでもどこでも、やろうと思ったらできる。
歯磨きしてるとき、信号待ちしているとき、車を運転しているとき‥それこそ思い出したらいつでもだ。

必要なのは、『やろうと思ったときに10秒だけ実行する意識』だ。(信号待ちみたいな公衆の場で、モゾモゾ動いて姿勢作りをしていたら、近くのいる人に奇妙に思われるかもしれないので、それは悪しからず。)

私の武術は正直、この10秒以下の状態からスタートしたと思う。
1日の終わりにベットに入って何もしていないことに気づき、「明日の朝歯磨きしながらやろう」と決意しても、結局忘れている。
そんな感じだったから。

師からは、「やっていれば1日で10秒が、半日毎に10秒、6時間毎に10秒、3時間毎に10秒‥そうやって意識の間隔を短くしていけるようになる。そうやって無意識の間隔が短くなっていけば、意識の時間は自然に伸びていく」と言われていた。
その言葉に思いっきり甘えていたわけだ。

こんな意志の弱い私にとっては、武術でなければ続かなかっただろう。

ここに武術の良い点がもうひとつあるのだが、武術は『稽古』をする。
そう、稽古という形で、前回の稽古から今日までの自分の在り方や成長がとして曝け出される。

稽古での成長を実感して、日々の生活において姿勢作りに意識が向けば向くほど、意識が外ではなく自分に向いていくようになるのだ。

『正しい』こと、これは重要だ。
正しい努力なんて言葉もあるが、武術においてもこれは当然のことである。
正しい努力をしていなかったら、10秒をいくら積み重ねていても稽古では結果が出ない。

そして正しい姿勢であれば、相手の状態に関係なく、技がかかるようになる。
これを身をもって実感できることは強いと思う。
稽古を通してこの意識づけができていくことで、自分がどうあるかを考える習慣も身についていく。

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