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コリッコカフェを閉店した 今思うこと

はじめに

こんにちは。
株式会社コリッコのマリアこと鎌田あみです。

応援してくださっているみなさんにお伝えしなければならないことがあります。

大変急でしたが、先日(2024年11月3日)に私のメインのお仕事だったコリッコカフェを閉店しました。

最終営業日の店内の様子。本当に最終日までたくさんのお客様にご来店いただき感謝です。
最終営業日のあと、コリッコスタッフとご家族みんなでささやかなパーティ。
本当に素敵な愛すべきスタッフに恵まれてました。

閉店に至るまで、本当にたくさんの葛藤がありました。
それほど、すごく大切に始めた事業でした。
そして、たくさんの皆様に愛されて、育てられたカフェでした。
閉店に至った経緯をここに記すことは、
私にとっても大切なことだな。
そして、みなさんにも知っていただきたいな。
と思い、このnoteを綴ります。


オープン当初のこと

3年8ヶ月前のコロナ禍4月。
安定職だったヨガインストラクター正社員のお仕事を辞めて、夫(ジェロ)に誘われるがまま、一念発起して始めたのが、コリッコカフェです。

カフェも飲食業も経営したことなんて誰一人いないメンバー(私マリア、夫ジェロ、可愛い書道の先生)3人で始めました。

2021年4月14日 オープン日(左マリア 真ん中ジェロ 右雪華先生)

でも、できる気がしていました。

  • 根拠のない自信①
    メンバーの気合いは十分でした。

    マリア→カフェを開業することは、私の小さい頃の夢でしたし、前職の店長経験も活かせるはず!
    ジェロ→「社長になることが、小さい頃からの夢」という優秀な夫。経理や原価計算もお手のもの。
    書道の先生(雪華先生)→長年勤めてきた太宰府天満宮の正社員を辞めて、書道の先生として独立を決意!コリッコカフェ2Fで書道教室を開きつつ、スタッフとしてもカフェで働くことに。

  • 根拠のない自信②
    すでに資産がありました。
    太宰府天満宮徒歩2分という好立地に物件がありました。
    また、ジェロが学生時代から育ててきた事業「オリーブオイル」も武器としてありました。

  • 根拠のない自信③
    人にシェアしたい考え方がありました。
    誰しも事業をするにあたって、広めたい想いって絶対あると思うのですが、あの頃の私には、しっかりとそういうものがありました。
    文章にすると、
    Fullfill yourself, share your happiness.
    簡単にいうと、セルフラブという意味なのですが、自分の心や身体は自分自身で責任を持って、大切にして、満たしてあげる。溢れた幸せは、周りにシェアしよう。

    この想いはすごく大切にしていたので、働くメンバーにも常々伝えてましたし、来店してくださるお客様にも感じて欲しい、知ってほしい想いでした。特に、身体に取り込む「食」に関しては、嘘のない、原材料にこだわったものを自然と選んでいました。(原価がなかなかかかりますがw)

いろいろ試行錯誤!これこそカフェ事業の醍醐味。

・「カフェ」

という事業は、本当に幅広いものだな。と痛感します。
コーヒーは自然とメインになると思いますが、それに付随する焼き菓子やケーキ、、、いっぱい考案しました。
何がお客様に喜ばれるのか、全然わからなかったので、本当にたくさん試作しました。それは、それは楽しいお仕事でした。

当店の一時期のショーケース

はじめは、タルトが好きという単純な理由でいちごタルトやいちじくタルトを作ったり、チーズケーキ、ショコラケーキ、材料にこだわりながら、本当にいろいろ作りました。お客様の反応を見ながら、コロコロ変わって行ったなという印象です。「美味しいものを作る」って本当に楽しいことです。そして、それを喜んでもらえた時、大きなやりがいに変わっていきます。

もちろん、原価計算するジェロも、働いていたメンバーも大変だっただろうなとは思います(笑)

私なりにヒットしたなーというケーキはこの「オリーブオイルケーキ」。

コリッコのエクストラバージンオリーブオイルを160ml使って作った甘くしょっぱいケーキ。作り方はシフォンケーキのオリーブオイルverという感じです。

新鮮なオリーブオイルを輸入している私たちだからこそできるこのレシピ。
ある日、ジェロがいきなり試作しだして、出来た思い出のケーキです。見た目は地味なのですが、初めて食べた時の感動は忘れません。ここでしか食べれないけど、すごく美味しいのです。

・「太宰府の朝を広めたい」

モーニングのメニューもいろいろ変わりましたが、結局は朝ガレットが一番人気に。

昼間は参道が人でいっぱいになる太宰府ですが、朝は空気が澄んでいて、人も少なく、最高な時間帯。太宰府天満宮で毎朝8:30から開催されている朝拝神事も素敵で、広めたくて、モーニングは7:30からオープンしました。
また同時に、7時から朝活も始めました。
木・土は、朝活書道
金・日は、朝ヨガ

朝7時ですよ?人来るのかしらw w w

私達の不安とは裏腹に、これは、成功でした。
認知まで時間がかかりましたが、朝書道も朝ヨガも徐々に常連さんが増えていき、朝活コミュニティにまで発展しました。モーニング営業も、認知まで2年くらいかかりましたが、3年目に急に増えていき、特に土日のモーニングはコリッコの大きな売上でした。

・「ガレット」

ガレット・プロヴァンサル 
鉄板の上で生地を焼き上げ、卵、オニオンコンフィ、アンチョビ、トマト、
そして自家製ベーコンを乗せたメニュー。


コリッコカフェは、「ガレット」で有名になっていきました。
しかし、「ガレット専門店」として頑張ろう!と至るまで、すごく時間がかかりました。(もう少し早くからそうした方が売上が安定していたかも)
確か去年くらいからだったと思います。(今の時代、飲食店は専門店がやはり強いです。専門店の方が、ロスも少なく、作業もシンプル。原材料費がどんどん値上がりしていますしね…)
作っていたケーキの種類を絞って、ガレットに集中できるスタイルへ。

ガレットとナチュールワイン。
常連のお客様のお声もあって、
ガレットとのペアリングのシードルやナチュラルワインも置き始めました。

思い返せば、ガレット屋さんを始めた理由は、素敵な偶然が重なったからでした。

ガレット鉄板はクレープ焼き鉄板と一緒です

初めはクレープ屋さんをやろうかな?と思って、たまたまクレープ焼き器を買いました。(試作段階で太ってしまい、これは理念に反すると思って辞めて、ヘルシーなガレットにしました。)
ガレットを試作したら、たまたまオリーブオイルと相性抜群でした。
雪華先生のお父さんがたまたま職人歴10年の無添加ベーコン職人でした。

コリッコカフェ自慢の無添加自家製わきベーコン


ガレット出してたら、たまたま蕎麦職人の安武さんに出会い、一緒に国産蕎麦粉でガレット粉を開発しました。

ゆっくり、そしてどんどんコリッコカフェのガレットは美味しくなりました。去年の12月に初めて、フランス・パリで本場のガレットを食べましたが、「え!コリッコカフェのガレットは、本場に負けないくらいレベル高い。」と気づきました。
googleの口コミを見ていても、カフェなのに、
「ガレット美味しい」のコメントをたくさんいただきました。

でもやっぱり、飲食店って経営難しいんですね

夫婦営業も日常茶飯事

いろいろ頑張ったのですが、カフェ事業初心者が利益を上げていくには壁がいっぱいありました。

  • 「隠れ家」という立地
    太宰府天満宮徒歩2分という好立地なのですが、メイン参道から一本外れた場所にありました。本当に「隠れ家」的場所。認知されるまでたくさんの努力と、時間がかかりました。知ってもらう努力をしないと、お客さんが来ない!

  • 原材料費がかかる
    コンセプト的にも、私とジェロの性格的にも、原材料はできるだけ無添加で美味しいものがいい!というこだわりがあったので、原材料費が高かったと思います。いつも原価計算で、睨めっこしてました。ガレットにしても、ケーキにしても、価格設定が一般より若干高めの料金になってしまいます。

  • 大人数スタッフを雇えるだけの資金力がない
    オープン当初は週4日営業でした。三人で回していたし、それぞれ他の仕事もあったので、セルフラブの観点からもちょうど良い営業スタイルだったと思います。しかし、お客様の認知の観点では、営業日を増やすことは必須事項でした。週6営業にするためにメンバーを増やす必要があったのですが、やはり人件費というのは飲食店の大きな壁です。

それでも、どうにかこうにか続けていたのですが…

夫婦に人生のピンチが訪れました

それは、まず夫のジェロの方に訪れました。
ちょうど1年前だと思います。

鎌田ファミリーの大黒柱事業、カマタテクナスが倒産の危機に見舞われ、
事業継承が急速に始まることに!
こちら、詳しくは、ジェロ記載のこちらの記事をお読みください。

ピンチと書きましたが、
ジェロの夢は、(株)カマタテクナスの社長になること。だったので、倒産の危機を脱して、夢が叶う。というおめでたい出来事でもありました。
とはいえ、コリッコカフェの出勤数や、コリッコカフェの経理や運営にあまり関われなくなるという事実に直面。

私(マリア)にも人生のピンチが訪れました

ちょうど半年前の4月に、乳がんと告知されました。
正直、元気だけが取り柄の私だったので、相当のショックを受けました。
ステージ3C、腋窩リンパ節転移あり。

すぐ抗がん剤が始まりました。
二週間に一回の点滴で、副作用は噂通りひどくて、脱毛もしますし、寝込みますし、終始体調悪いのです。
一週間寝込んで、次の一週間で徐々に回復して、また抗がん剤day!
正直コリッコカフェで働くどころではなくなりました。

新しいケーキを試作することも、
新しいガレットのメニューも作ることが難しくなりました。

私とジェロの穴を埋めるように、
コリッコカフェのスタッフはよく働いてくれましたし、
私達がいなくても、それぞれが楽しんで、素敵な接客をし続けてくれました。

「継続し続ける」
という選択も出来たかもしれません。

でも、飲食店はそんなに甘くありません。
無数にある飲食店のなかで、選んで来店してもらうためには、
常にクオリティを求め、成長しつづける努力が必要です。
実際に、売上は低迷し、資金も底をつきかけていました。

私たち夫婦が運営のメインであったコリッコカフェだったので、
私達夫婦が カフェに全力投球できなくなった今、
ギリギリのラインで継続する
というのは、お客様にもスタッフにも申し訳ないと思い、
閉店を決意しました。

しかし、悪いことばかりではありません!
閉店が急になってしまったのは、実はあの場所の借り手が見つかったからです。あの場所で飲食店として挑戦したい!と言ってくれる友人が見つかったのです!乞うご期待です☺︎

コリッコカフェを閉店した 今思うこと

ジェロの昔住んでいた家を改装、DIYしてできたのがコリッコカフェです。

コリッコカフェのコンセプト
「心や身体を自分で満たすこと」と私が一番大切にしていたはずなのに、
乳がんになってしまいました。
まだまだ大切度が足りないようです。再度修行します(笑)

とはいえ、この考えをコンセプトにしたことは、
決して間違いではありませんでした。後悔もありません。
その証拠に、
コリッコカフェで働くメンバーは、いつもニコニコ笑顔で穏やかに働いていました。
それが電波して、
コリッコカフェにご来店くださるお客様はどなたも温かくて、
穏やかな方ばかりでした。
いつもいただく感想や、コメント、DMは温かいものばかり。
お金をいただいて、カフェに来店してくださっているのに、
お家のように「ただいま感」のある温かい空気のある場所だったと思います。

私自身も、お店を経営できて学んだことは、数知れないです。
できるようになったこともたっくさんあります。
自分の新たな才能に気づいたきっかけもたくさんもらいました。

コリッコのこれから

私事ですが、半年の抗がん剤を終え、先月右胸の全摘手術を終えました。
乳がんの手術を担当してくれた先生に初めてお会いした時、「しっかり読んでね。」と、先生の著書を渡されました。

乳がんの本なのに、
この本の大部分に、「食事」のことが書かれています。
毎日の身体に取り込むものの大切さが書かれています。

8年前、ジェロに出会ったとき、コリッコのオリーブオイルに出会った時も、「食事の大切さ」に気づいたはずなのに。

また出会ってしまった。
きっと私自身も「健やかな食」を毎日学び、実践しながら、皆様に発信し続ける運命なのだと思います。

コリッコのオリーブオイルは間違いなく、「健やかな食」を助けるひとつなので、まずはネットショップで発信を続けます。
この乳がんというかけがえのない経験を通して、皆様に伝えることにも意味があると思います。
変わらず応援、そしてコリッコのオリーブオイルの愛用をお願いします。

もう少し、体力が復活してきたら、
イベントの出店やオリーブオイルのイベント開催も積極的に行いたいと思います。(関係者の皆様ぜひお誘いよろしくお願いします。)

またネットショップで、
コリッコカフェのケーキの復活も検討しております!
ぜひ心の片隅にいつまでもコリッコカフェを♡

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